祇園祭

2024年7月24日 (水)

祗園祭・後祭 山鉾巡行 行けませんでした

今日は祇園祭・後祭の山鉾巡行の日。当然出かけるつもりだったのですが、前日までの天気予報では午前中は雨模様。仕方が無いので河原町通沿いのアーケード下で撮ろうかと思っていたのですが、朝起きてスマホで雨雲レーダーを見てみると京都の北西部で豪雨となっています。さらに時間を進めると丁度巡行が行われる頃に京都市内が豪雨になる予想となっていました。これではどうしようもないと行くのを諦めたのですが、実際に9時になってみると雨雲は消え、晴れていました。一体あの予報は何だったんだ、こんな事なら雨は覚悟の上で出かければ良かったと思っていました。

でも結局昼前になって大雨になってしまいましたね。まだ巡行中の山鉾もあったと言うのに、保存会の人たちは大変だった事でしょう。貴重な懸裝品は大丈夫だったのかな。被害が無ければ良いのですが。

降るかと思えば晴れ、晴れていたと思ったら俄かの大雨。梅雨は明けたと言うけれど、実はまだ梅雨末期じゃないのかしらん。何ともおかしな天気に振り回された山鉾巡行でした。

 

2024年7月23日 (火)

京都・洛中 祗園祭・後祭2024 ~宵々山 7.22~ 

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令和6年7月22日、祗園祭・後祭の宵々山を訪れてきました。この日は昼から強い雨が予報されており、実際隣の大津市では豪雨となったのですが、幸いな事に京都では雨を免れ、無事に祭りの宵を楽しむ事が出来ました。

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その代わりという事か、この日の京都は38度まで気温が上がり、夕方になっても暑さは収まりませんでした。まあ宵山が蒸し暑いのは毎年の事ですが、年々酷くなっているのを実感します。

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前祭の宵山にも来るつもりでしたが、雨の予報だったのと連休に重なったため人出が半端ないと思われたので、今年は敬遠しました。実際凄い混み方で、特に15日は豪雨にも見舞われ大変だった様ですね。後祭の宵山は屋台も無く、四条通の歩行者天国も無いのですが、人出はずっと少なく、宵山の風情を味わうにはこちらの方が向いています。

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中でも子供たちが歌ううそく売りの童歌は、宵山らしい情緒があって良いですね。ここ南観音山ではコロナ禍以降暫く途絶えていましたが、今年は可愛らしい歌声を聞くことが出来ました。以下動画出その様子をご覧下さい。

今年はいつにも増して幼い子達ばかりでしたね。暑い中、ずっと歌い続けるのはさぞかし大変だった事でしょう。でもこの歌を聴くと宵山に来たなあという気分になります。

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すこしあれっと思ったのは南観音山の拝観は日中だけのはずだったのてすが、この日は上っている人が居ましたね。ルールが変わったのかなと思ったのですが、ここには2年前に入っているので特に確認せず、スルーしました。

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2階にご神体が展示されているのが橋弁慶山。実はここのちまきを買う予定だったのですが、なんと既に売り切れていました。他の山でも売り切れているところがあり、宵々山で無くなるとは大した人気ですね。あるいは宵山用には別に取ってあるのかな。

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毎年見に来るのを楽しみにしているのが黒主山のご神体。大友黒主が桜を見上げているところなのですが、巡行中はあまり判らないのですよね。会所で見ると非常に格好良く、なかなか絵になるのが気に入っています。

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役行者山に来ましたが、ここは会所が新しくなっていましたね。調べてみると2年前にリニューアルしたようです。常設展示場とホームページにはあるのですが、祭りの期間以外でも見せて貰えるようになったのかな。触れると全身の凝りが消えるという行者石も置いてありました。 これも以前は無かったと思うのですが、どうだったかな。

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黒主山の近くには、今年も誉田屋源兵衛の上り鯉がありました。2008年に創業270年を記念して始められたイベントで、今年で16年目を迎えますね。毎年1匹ずつ書き加えられて行くというのが趣旨ですが、今年はどこに増えていたのかしらん。

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立身出世の御利益があるという鯉山です。リタイアした私には縁の無い山となってしまいましたが、息子達のためにと拝観してきました。ここで子供たちの歌に誘われて献灯をしたのですが、背後に居た女性が軽く頭を下げてくれました。その柔らかい所作を見て、ああこの人京女だなあとふと思ったのです。どこか雰囲気が似ていた小学校の同級生を思い出したのですね。その子は決しておしとやかでは無かったのですが、聡明で人の痛みの判る子でした。仲の良い女友達の一人で、京都の路地裏で他の友達と一緒にドッジボールをしたり、自転車で走り回ったりしたものです。男の子にも遠慮しないけど、決してがさつではなく、ちゃんと芯が通っていて、そのくせ思いやりも深く、私の中で京女と言えばその子です。中学校で別々になってから何十年と会っておらず、ずっと記憶の底に沈んでいたのですが、どういうものか急に蘇ったのですね。これも宵山という京情緒のなせる技かしらん。

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2022年に巡行に復帰し、今年で3年目を迎える鷹山。唯一宵山で乗った事の無い山ですが、今年も長蛇の列が出来ていたので見送りました。あまりの蒸し暑さで、行列に並ぶ気力が無かったです。来年は真っ先にこの山に来る事にしようかしらん。その祗園囃子を動画でお聞き下さい。

この祗園囃子を初めて聞いたのは2016年の事(復活したのは2014年)でした。当時はビルの一階を借りて演奏されていましたね。まだ復帰に向けた動きを知らず、あらぬ方角から祗園囃子が聞こえて来たのに驚いたのを覚えています。今は南観音山、北観音山に並ぶ三つの曳き山の一つとして堂々とした姿を誇っています。

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ご神体の方は居祭りの当時と変わらず、ビルの一階に祀られていました。でも復活以前はここに立ち寄る人はほとんど居なかったのですが、この日は短いながら行列が出来ていましたね。やっぱり山が出来ると注目の度合いが違ってくるという事でしょう。ちなみに今年のちまきはここで買いました。御利益は厄除け、来年に向けて無事で過ごせますようにという願いを込めました。

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最後に立ち寄ったのが鈴鹿山です。鉾町からぽつんと離れた烏丸通にあり、いつもは空いているのですが、この日は結構混んでいました。何でも売り子さんたちの交代で、立ち入りを制限していた様です。でも祗園祭一の美人と言われるこのご神体を見逃す訳にはいかないのでじっと待ち、無事に拝む事が出来ました。この仮面の下はどんなお顔かいつか拝見したいですが、それは無理なお願いというものでしょうね。

6時に着いた頃は空いていた鉾町でしたが、8時に近くなると結構混み出しました。仕事帰りの人がやって来たのでしょうか。後の祭りの語源と言われますが、なかなかどうして人気はありますよ。前祭が混みすぎなんですよね。祭り情緒を味わいたいのなら、後祭を訪れる事をお勧めします。

2024年7月17日 (水)

京都・洛中 祗園祭・前祭2024 ~山鉾巡行 新町通にて 7.17~ 

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令和6年7月17日、祇園祭・前祭の山鉾巡行が行われました。今年の祇園祭は特に雨に祟られており、今日も予報ではにわか雨の心配もあると言われていましたが、結果としてまずまずの天候に恵まれ無事に挙行されました。

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今年は何年かぶりに新町通に来てみました。ここ数年雨や季節外れの超高温のせいで避けていたのですが、今日ぐらいの気温だと耐えられるだろうと思ったのです。しかし、来てみるとやっぱり暑かったです。

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どこで撮ろうかと迷ったのですが、背景が絵になる八竹庵の前にしました。ここは以前は紫織庵と言う名前でしたよね。大正時代に建てられた豪商の家で、和洋折衷の貴重な建築です。洋の部分は武田伍一が設計したと言いますから豪儀ですね。山鉾を見るための鉾見台を持つという特徴があり、この日も招待客なのでしょうか、幾人もの人が見ていました。この家、一時取り壊しという事になっていたそうですが、くろちくが文化財の喪失を惜しんで買い取り、八竹庵と名を変えて保存、公開を行っています。

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去年も書いていますが、山鉾巡行は祗園祭のメイン行事ではなく、今夜行われる神幸祭のための露払いです。神様が通る街中の穢れを払うのが目的で、穢れをまとった山鉾は巡行が終わるとすぐに解体されます。

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それにしても、新町通で見る山鉾巡行は、いつ来ても迫力がありますね。目の前を巨大な鉾が通り過ぎていくのですから、臨場感が違います。

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山鉾巡行には沢山の人が参加しますが、中でも一番元気なのが綾傘鉾の棒振り囃子を踊るこの人でしょうか。巡行中、要所要所で棒振り囃子を披露し、歩いている間も飛んだり跳ねたりと大活躍です。今日もとっても暑い中、大変お疲れ様でした。

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山の中で一番人気はこの蟷螂山です。鎌を振り上げたり、羽根を広げたりと動きがあるのが面白いですね。常に動いている訳ではありませんが、2階から見ている人から動かしてと声が掛かると羽根を動かすサービスぶりでした。

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山鉾の中でも一番巨大なのが月鉾です。重さが12トンもあるという巨体が動いてくる様は迫力がありますね。鉾の名の由来となっている鉾頭の月は、三日月ではなく新月です。学校では月が見えなくなるときを新月と習いますが、二日目の細い月を指して新月と呼ぶ事もあるのですね。宵山に月鉾に乗ると、鉾頭を指してこれは新月ですと説明してくれますよ。

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八竹庵の前で待っていた狙いどおり、鉾と町家の組み合わせは絵になりますね。新町通もどんどん町家が無くなり、こうしたポイントが少なくなっているのは残念です。次に月鉾が目の前を通り過ぎる動画をご覧下さい。

祗園囃子も良いですが、目の前を車体がぎちぎちと音を出して通り過ぎる様は、新町通ならではの体験です。この臨場感をぜひ現地でご覧になってください。

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気が付くと鉾見台に居た舞妓さんたちが下に下りてきていました。特等席で良いなと思っていたのですが、下で見た方が臨場感があって良いのかな。

巡行が二つに分かれる前には最後まで見届けて、北観音山が会所の前で締めを行うのを見るのが楽しみだったのですが、今は体力的に保ちません。特に今日は暑かったからですね。巡行はまだまだ続くのですが、ここで切り上げて帰る事にしました。その代わり、後祭の方は全部を見届けるつもりです。24日に行くのを楽しみにしているところです。

2024年7月12日 (金)

京都・洛中 祗園祭2024 ~鉾建て・曳き初め 7.12~

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令和6年7月12日、今日は祇園祭の曳き初めと鉾建てを見に行ってきました。昨日から今日に掛けて雨模様だったのでどうなるかと思っていたのですが、遅れ気味ながらもなんとか間に合わせたようです。

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今日、曳き初めが行われたのは関谷鉾、鶏鉾、菊水鉾、月鉾、長刀鉾です。平日にも係わらず結構な人気で、一番手の関谷鉾には順番待ちの人が列を作っていました。

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こちらはまだ山建て中の岩戸山。悪天候の中頑張って、形が出来つつありました。ただここで渡している長い棒は何でしょうね。完成時にはこんな長い部材は無いと思うのですが良く判りません。

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こちらは未だ土台が出来たばかりの船鉾です。ずっと雨除けがしてあったのでしょう、この時は覆いを外しているところでした。

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こちらも土台が出来て、これから真木をつけるために寝かせるところだった思われる放下鉾です。飛び出した長い2本の棒は、土台を寝かせる時に使われる部材です。

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こちらは急ピッチで組み立てられていた月鉾です。3時から曳き初めの予定でしたが、2時前のこの時点でまだ車輪を取り付けている段階でした。一時間足らずで懸装品の取り付けまで出来たのかな。

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こちらは無事に曳き初めが出来た関谷鉾です。四条烏丸の交差点の真ん中までひっぱり、その間通行止めにしてしまうのですから、祗園祭の伝統の力は大きいですね。

以前は私も曳き初めに参加していたのですが、空いているところに子供が入って来るのですよね。そうすると歩幅が合わなくて、下手をすると転びそうになって危ないのです。なので、最近は曳くのは止めにして子供に譲り、もっぱら撮る方に回っています。

かく言う私もまだ小学校に上がる前、長刀鉾を曳かせてもらった記憶があります。その日たまたまた母に連れられて大丸に買い物に行ったのですが、外に出てくると何やら人だかりがして異様な雰囲気でした。すると保存会の人だったのでしょうね、子供だった私に曳いてみるかと声を掛けてきたのです。幼い私に曳き初めがどういうものなのか判るはずも無く、何を言われているのか理解出来ませんでした。しかし、母にも勧められて、言われるままに綱を握って懸命に曳きました。覚えているのは小さい私の目の高さに綱があり、鉾はよく見えてなかったという事です。思えばおおらかな時代でしたね。今は通りがかりの子に声を掛けたりするのかな。数十年前の懐かしい思い出です。

明日は放下鉾、船鉾、岩戸山の曳き初めが行われます。興味のある方はお出かけになっては如何ですか。

2023年7月26日 (水)

京都・洛中 祇園祭・後祭 山鉾巡行 ~大船鉾~

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後祭の巡行の最後尾を飾るのは大船鉾。この鉾は鷹山に先駆けて平成26年に復興された鉾です。早いものであれから9年になるのですね。9年の間に少しずつですが懸装品などが整えられ、白木ばかりが目立っていた鉾も見栄えがする様になってきました。この鉾もまだまだ発展途上で、さらに豪華になっていく事でしょう。

この鉾は元は凱旋船鉾と名乗っていた時期があったのですが、隣国との関係を慮って大船鉾と名前を変えたといういきさつがあります。けれども町衆は凱旋船鉾という名に愛着があるらしく、法被などには凱旋の文字が書かれていますね。祗園祭も歴史の流れとは無縁ではあり得ない様です。

2023年7月25日 (火)

京都・洛中 祇園祭・後祭 山鉾巡行 ~鷹山~

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去年188年ぶりに再建されて巡行に復帰したのが鷹山。白木が目立つ山が初々しいです。ご神体は鷹匠、犬飼、樽負の御三方で、鷹狩りをする場面を表しています。宵山で居祭りをしていた頃は注目する人はほとんど居なかったのですが、去年訪れた時は長蛇の列で山に上るの諦めた覚えがあります。

鷹山はまだまだ発展途上の山。これから懸装品や屋根や柱の装飾などが加わっていく事でしょう。その変化をリアルタイムで見られるのは幸運な事ですね。

2023年7月24日 (月)

京都・洛中 祇園祭・後祭 山簿巡行 ~南観音山~

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北観音山と対になるのが南観音山。北観音山と同じく観音様がご神体です。違いはこちらの観音様は女性だという事。何でも北観音山の観音様に恋をしており、その情熱を収めるために宵山の夜にご神体を担いで町内を走り回るという暴れ観音という奇妙な行事が行われるそうです。

後祭が始まってからは常に北観音山が先に巡行していたのですが、今年はなぜか南観音山が先行したそうですね。これからは交互に入れ替わるのからん。鉾町の並びからすると北観音山が先の方が楽な気がするのだけどな。

後ろに飾られているのは柳の枝。ご神体の楊柳観音様から来ているのでしょうね。この柳の葉は無病息災のご利益があるとされ、巡行が終わると鉾町で争奪戦が行われます。私は見ていただけですが、なかなか凄い熱気ですよ。興味のある方は新町通へ行って参加してみては如何ですか。

2023年7月23日 (日)

京都・洛中 祗園祭・後祭 山鉾巡行 ~北観音山~

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今日は祇園祭・後祭の宵山。鉾町はきっと賑わった事でしょうね。残念ながら私は体調が思わしくなく自重しました。前祭に無い後祭らしい宵山の風情を味わいたかったなあ。

そして明日は山鉾巡行の日。これも休みが取れなかったので、昨年撮った写真から構成したいと思います。まずは北観音山。観音山はその名の通り観音様をご神体としており、二綦の観音山がある事から北に位置する山を北観音山と呼びます。かつては南観音山と交互に巡行していたそうですが、今は二基揃って巡行に参加しています。

この山で残念なのは宵山でちまき売りをせず、また招待者でないと山に登れない事です。開放的な南観音山とは対照的ですね。一度は北観音山の観音様と対面したいものです。

2023年7月22日 (土)

京都・洛中 祇園祭・前祭2023 ~四条傘鉾・油天神山・霰天神山・木賊山・芦刈山~

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傘と棒振り囃子が巡行するのが傘鉾。山鉾の古い形態と言われ、今は四条傘鉾と綾傘鉾の二つがあります。四条傘鉾は子供が行列の中心に居る事が特徴。棒振り囃子も子供が演じます。もっとも巡行中は棒をただ回すだけで何と言うことはありません。棒振り囃子は宵山の夜に演じられており、元気よく飛び跳ねる姿を見ることが出来ますよ。

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祗園祭には二つの天神があります。その一つが油天神山。天神とは菅原道真公の事で、古くから町内にあった天神様を勧請したのがはじまりだとか。場所が油小路綾小路下がるにある事から油天神山と呼ばれます。

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霰天神山は、室町時代の永正年間に大火があった時、にわかに霰が降ってきてたちまち火事は収まったのですが、その時屋根に小さな天神像が落ちていたのでした。町内の人はこれを奇瑞と感じて祀ったのがこの山の始まりとされます。良く判らないのがこの天神が道真公の事なのか、いわゆるあまつかみを指すのか明確ではないのですが、山に梅が飾られていたり、ちまきに梅の花が貼られているところを見るとやっぱり道真公の事なのでしょうね。

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木賊山は謡曲から題材を取った山で、信濃国で我が子を盗賊に攫われ、一人寂しく我が子を思いながら木賊を刈っている父の姿を現しています。遠目には判り難いですが、宵山に町会所に行くと結構しっかりとした木賊がある事が判ります。この後、父は子供との再会を果たすのですが、あえて寂しさを堪えている姿をご神体としたところに味わいがあれますね。

こちらは難波津で芦を刈っている翁のご神体を祀る芦刈山。やはり謡曲が題材になっていて、故有って別れた妻が乳母となって裕福となった一方、夫は一人寂しく芦を刈って暮らしていました。元の妻は別れた夫の事が気になり様子を見に帰ったところ、落ちぶれ果てた姿を見て歌を送り、元夫もそれを見て歌を返します。それが縁となり、二人手を携えて都へ帰っていくというお話です。この山も木賊山と同じくうらぶれた男の姿をご神体としているところに都人のもののあわれを思う心が現れているのでしょうか。

動画を見て判る様にこの山は辻回しの時に山を一周させています。こういう山はいくつかあるのですが、600kg以上ある山を回すのは大変でしょうね。サービス精神も良いけれど、けがをしないかと余計な心配をするのは老婆心というものなのかな。

2023年7月21日 (金)

京都・洛中 祇園祭・前祭2023 山鉾巡行 郭巨山・山伏山・孟宗山・保昌山

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山なのに屋根があるのが特徴の郭巨山。中国の二四孝の逸話の一つにちなんだ山です。老母を養えなくなった隔巨が口減らしのために自らの子を犠牲にしようと穴を掘ったところ、黄金が現れて一家が無事に過ごせたという物語ですが、子よりも親を大切にするというのは古代中国では孝の思想が大切にされていたという事なのでしょう。今の日本では受け入れがたい思想ですが、江戸時代には庶民の教養書に取り上げられていたと言いますから、それほど不自然な話でもなかった様です。

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山伏山はその名の通り山伏をご神体としている山です。この山伏、昔八坂の塔が傾いた時、法力で直したという浄蔵貴所がモデルだとか。宵山に本物の山伏が訪れる事でも知られる山ですね。

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真夏の祭りに冬の季節を題材に取り入れているのが孟宗山。冬の最中に筍が食べたいと願う母のために山の中を探し回り筍を得たという孟宗の物語です。分かり難いですが、良く見ると孟宗の手にはちゃんと筍を持っています。また松がところどころで白いのは雪を表しています。でも見ている人のほとんどは夏に雪と言われてもピンとこないでしょうね。

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山の中でも最も面白い話を持つのが保昌山。泉式部に求愛した藤原保昌が、紫宸殿に咲く梅の花を持ってきてという無茶な願いを本当に叶えてしまったという物語を題材にしています。その梅の枝が一本ではなく一抱えもあるというのもすごい。北面の武士に見つかって屋を射かけられながら逃げたというのも愉快です。その結果、泉式部に受け入れられた事から縁結びの御利益があるとされ、密かな人気のある山です。

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