栗名月 十三夜 2025 ~伏見 中書島 11月2日~
十三夜 中書島 十石船と共に
十三夜は中書島へ
令和7年11月2日は十三夜。十五夜に続く2度目の名月です。十五夜が中国から伝わった風習であるのに対し、十三夜は日本独自の風習です。どちらも収穫祭の意味合いがあり、十五夜には芋を備えることから芋名月、十三夜には栗や豆を供えることから栗名月あるいは豆名月の別名があります。今年はどこに行こうかと考えたのですが、伏見の中書島を選びました。川に船、酒蔵に橋と月に合いそうな場所が幾つもあると思ったのです。
酒蔵の上に輝く十三夜
十三夜の由来について
十三夜の起原には諸説があり、保延元年9月13日の月を見た宇多天皇が今宵月無双と言い、以後名月となったとする説(中右記)、延喜19年(919年)に醍醐天皇が9月13日に月の宴を催したのが始まりとする説(古今要覧)、藤原忠道が読んだ漢詩がその最初とする説、九月十五日に詠んだ菅原道真の漢詩の表題を後の人が五を三と間違えたとする説などがあります。いずれが正しいかは定かでは無く、意見が分かれる様ですね。
十三夜はラグビーボール型
満月とは違う名月
十三夜は概ね満月前後になる十五夜と違い、上弦の月から満月へ移行する途中、ラグビーボールの様な形をしています。十五夜がまだ台風シーズンであり、天候が崩れる事が多いのに対し、十三夜は気温が下がりかつ昼夜の気温差が大きくなって、放射冷却で空が澄みやすくなる事から、満月ではなくても美しいと感じると言われます。宇多天皇が今月無双と称えたのはそのせいかも知れませんね。
夜の坂倉街の風情
外れてしまった天気予報
ところがこの日は天気予報では終日快晴となっていたのですが、昼過ぎから雲が多くなり、空が暗くなる頃には厚い雲に覆われてしまいました。日没直後はところどころ雲の切れ間があり、月が顔を出すことがあって、その瞬間を狙って撮っていたのですが、時間とともに全天が曇ってしまい、雨まで降ってくる始末でした。なので残念ながら月が撮れたのは数枚で、川面に映った月と十石船とか、色々考えていたバリエーションは撮れず仕舞でした。
伏見は京都の酒処
酒処伏見の夜
でも夜の酒蔵街も風情があって良いものですね。月はほとんど獲れなかったですが、昼間とは違う昔ながらの町並みは楽しむ事が出来ました。
伏見は京の酒処。中硬水を使い荒々しさを売りにする灘の男酒に対して、軟水を使う伏見の酒は丸みをおびた女酒と呼ばれます。帰りは居酒屋に寄って、その伏見の地酒を楽しむつもりでした。ところが、予定していた居酒屋は全国チェーンのせいか、伏見の酒が全く置いてなかったのですね。せっかく酒処にあるのに何でと思いましたが、無いものは仕方が無い。別の産地のお酒を頼みましたが、それもとても美味しかったので良しとします。
この日は雨まで降って予定が大幅に狂いましたが、十三夜は十分に楽しむ事ができました。
余談ですが、十三夜と聞くと思い出すのが中島みゆきさんの「帰れない者たちへ」。もう20年前の歌になるのですね。ちょっと雰囲気が暗いですが、雨の降る夜にはぴったりの歌でしたよ。


























































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