
越前大野城から一乗谷城に来ました。正しくは一乗谷城は一乗城山に築かれた中世山城で、近年発掘整備され特別史跡に指定されている一乗谷朝倉氏遺跡の一部です。百名城として選定されているのは朝倉氏遺跡全体ですね。

朝倉氏遺跡の最寄り駅は九頭竜線の一乗谷駅。写真は駅舎の遠景で、ホームに小さな木製の待合室があります。九頭竜線は福井駅を出た後は越前大野駅までの間にはまともな駅舎は無く、ホーム上に小さな待合室があるだけです。当然全て無人駅で、切符の販売機もありません。ICカードも使えず、無人駅から乗る場合は整理券を示して下車時に車内で精算する事になります。これぞローカル線、初めて乗る者にとっては戸惑う事ばかりですが、他では経験できない事だけに面白くもありますね。

まず訪れたのが県立一乗谷朝倉氏遺跡博物館。朝倉氏遺跡の調査・研究のための拠点で、発掘品や一乗谷の復元模型の展示を行い、当時の人々の生活の様子を紹介しています。とてもモダンで新しい施設ですが、2022年に新設されたばかりです。福井県がいかに一乗谷朝倉氏遺跡を重視しているかが判るというものです。
ここで展示を見るのは後にして、まずはレンタサイクルを借りました。遺跡は2km離れた場所にあり、さらに3kmの延長がある事から、徒歩で見て回るのは厳しいのですよ。なお、レンタサイクルは予約制で、博物館のホームページから申し込んでおく必要があります。

レンタサイクルは全て電動アシストですから楽で良いですね。博物館から遺跡の入り口にあたる下木戸跡までは10分足らずで着きました。この巨石を用いた石垣は谷の北の入り口を守っていた門の跡で、長さが38mあり鍵形に曲がっているところを見ると枡形を形成していた様です。

ここに来て意外だったのは一面の公園の様になっていると思っていたのですが、中央に県道が通り、集落もあって生活の場でもあるのですね。考えてみれば一乗谷は織田信長によって焼き払われた後は土に埋もれていたのですから、長年の間に新たに集落が形成されても何の不思議も無いのでした。
谷の中央には一乗谷川が流れ、県道は川に沿う様に走っています。川の両岸の多くは公園として整備されており、多分元は田畑だったのでしょうね。発掘調査の結果良好な遺跡が埋まっている事が判り、特別史跡に指定された事から買収を進め、発掘が終わったところを埋め戻して公園とする事で保存しているのでしょう。

整備の仕方は様々で、武家屋敷跡を平面復元しているところもあれば、この写真の様に一部を城下町として復元しているところもあります。ここにある石垣や建物の礎石は実際に発掘で出土したものを使用しているとの事で、戦国時代の町並みを実感する事が出来ます。

復元されているのは武家屋敷や商家、染め物屋など様々で、一乗谷が如何に栄えていたかが窺える様になっています。ここは中級武士の武家屋敷で、武士達が将棋を指している姿が再現されています。この屋敷にはスタッフが常駐しているのでなぜ将棋なのですかと尋ねたところ、醉象という駒が発掘されたため、当時の武士の嗜みだったと推定されるからだそうです。ただ醉象は中将棋や大将棋に使われた駒で、今の本将棋には無いのですが、なぜか再現されていたのは本将棋でした。まあ、その辺は愛嬌ですね。
この武家屋敷の見所の一つはトイレが再現されているところで、遺跡でトイレが確認されたのは日本ではここが最初なのだそうですね。それまでトイレと推測される穴は見つかっていたのですが、便器の痕跡が出てきた事から初めて確定出来たのだとか。ちなみに日本でトイレが普及したのは鎌倉時代頃からと推定されており、し尿が下肥として使用される様になったためだそうです。それまでは例えば平安京では貴族の屋敷にはあったようですが、使用後は道の側溝に流していました。また庶民の家にはトイレは無く、道に垂れ流しだったそうですね。今からでは想像出来ない不潔さですが、中世ヨーロッパでも事情は似たようなもので、室内で便器に用を足し、後は窓から道にぶちまけていたと言いますから、鎌倉以降の日本は世界的に見ても群を抜いて清潔な町だった様ですね。

こちらは上級武士の屋敷跡。門と塀は復元されていますが、屋敷は説明板があるだけで遺跡は埋め戻されています。せめて平面復元してくれれば判りやすいと思うのですが、一面の原っぱではどんな屋敷だったか思い浮かべるのは難しいですね。

こちらは町家が復元されているコーナーです。武家屋敷と違って塀や門は無く、区画も小さいですね。商家、大工の家、染め物屋などがあり、それぞれ道具類が置かれています。商家はそれなりに広さがありますが、大工の家などは土間と一間の座敷がある程度で、当時の庶民の暮らしぶりはとても質素なものだったと想像出来ます。なお、ここには着付け体験コーナーもあって、甲冑や着物に着替えて散策する事が出来るそうですよ。

復元町並の向かい側には朝倉館跡があります。朝倉家当主の屋敷があったところで、水堀と土塁に囲まれており、他の武家屋敷とは一線を画していますね。朝倉氏が一乗谷を本拠地としたのは南北朝時代頃と推定されていて、次第に当主のほか重臣が集住する様になり、応仁の乱以降は都から逃れて来た公家や僧侶、文人等が住み着いたため華やかな京文化が花開き、北の京と呼ばれるほど栄えました。最盛期には1万人ほどの人がこの谷に住んでいたそうですね。

一乗谷には高度な文化があった証しとして、四つの庭園跡が発掘されており、それぞれ国の特別名勝に指定されています。これはその一つ湯殿跡庭園で、豪壮でいて調和の取れた石組みが見事です。ただ、全く資料が無いため、誰がいつ頃作ったかは判らないそうですね。岡本太郎氏がこの石組みを見たとき、感動のあまり長時間動かなかったという逸話も伝わっています。

これが朝倉館跡です。第五代当主の義景が住んでいた屋敷で、10数棟の建物が並んでいました。南半分が主殿を中心とした接客の場で、足利義昭を迎え入れたとき、豪勢な宴が開かれたと言われます。北半分は日常生活の場で、常御殿、湯殿、台所、花壇などがありました。ところがなぜかトイレが見つからないそうですね。中級武士の家にはあるのになぜと思いますが、たぶんですが京の貴族の習慣に倣って、おまるを使っていたんじゃないかしらん。私の勝手な想像ですけどね。

これが朝倉屋敷庭園。ここは遺跡の上にアクリル板が張られており、見学者はその上を歩く事で義景が見ていたのと同じ目線でこの庭を見る事が出来るように工夫されています。とても調和の取れた石組みで、文化水準の高さを伺い知る事が出来ます。
なお、入り口の唐門は後世に建てられた松雲院の寺門で、義景の菩提を弔うためのものとされます。

遺跡の見所はまだまだあるのですが、バスの時間が迫ってきたので博物館まで帰ってきました。残念ながらじっくり見て回る時間は無かったのですが、町の復元模型などが興味深かったです。こうして見るとかなり過密な町だった事が判ります。そして、屋根がことごとく板葺きですね。京の町家も天明の大火までは板葺きだった事が知られており、これが当時の景色だったのでしょう。

こちらは朝倉屋敷の復元模型。整然とした建屋と広々とした庭が印象的です。ここで弓矢の稽古や蹴鞠などが行われていたのでしょうか。屋根は檜皮葺きだったと推測されていますが、鬼瓦なども出土しているとの事で、部分的には瓦葺きの建物もあったのかも知れませんね。
一乗谷は天正3年(1575年)に信長によって攻められ、義景は城を捨てて大野に逃亡し、町は織田軍によって焼き払われました。その後、越前を与えられた柴田勝家は本拠を北之庄に構えたため一乗谷は放置され、やがて土に埋もれてしまいました。結果として遺構は破壊を免れ、日本でも希な大規模な城下町の遺跡として今に伝わっています。
なお、一つ知りたかったのは、明智光秀はどこに住んでいたのかでしたが、小説やドラマで描かれる様に一乗谷の外れではなく、山を越えた東大昧という地と伝えられているとの事でした。根拠としては、勝家が一向一揆と対峙したとき、光秀がこの地の人々には世話になったので見逃して欲しいと頼んだという伝承があり、実際に勝家が出した安堵状が地元に伝わっています。現在は明智神社という小さな祠があり、光秀の木像が祀られていて、地元の人達が大切にお世話をされているそうです。一乗谷からは5km程離れており、朝倉家には相手にされて無かったんじゃないかと思える場所ですね。実際のところ資料は無いに等しく、朝倉家との関係は良く判っていないとの事でした。

写真は谷の中程にある一乗谷レストランで頂いた昼食です。当初は越前大野市で頂こうかと思っていたのですが、どう工夫しても時間が取れず断念しました。一乗谷では他に選択肢は無く、唯一の食事処です。選んだのは越前おろし蕎麦とソースカツ丼のセット。どちらも福井を代表する名物で、まずまずの味でした。
帰りはバスの時間に間に合うように博物館を見学し、無事に乗る事が出来しました。これももし一本乗り遅れたら大変な事になるという、ぎりぎりの選択でしたけどね、何とか予定通り帰ってきました。
それにしても、地方の交通事情はほんとうに酷い。自家用車を持たないと自由が効かず、公共交通機関ではもう行けないという所も少なくないようです。京都近郊でも同じで、善峯寺への直通バスが廃止になりました。これからどうすれば良いのですかね。採算が取れない、運転手が居ない等の事情は判りますが、このままでは地方の衰退は加速する一方でしょう。それに免許を手放せない高齢者による車の事故は増え続けています。小さな自治体や事業者の努力だけではもう限界なんじゃないかしらん。国を挙げての対策が必要なんじゃないかと思いますが、そんな声を上げる政治家は居ないですね。票に繋がらないものなあ。なんとももどかしい思いのした福井行きでした。
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