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2025年1月16日 (木)

秋の旅2024 ~津市 11.12~

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津市を訪れるのは初めてです。もちろん三重県の県庁所在地であり、「伊勢は津でもつ、津は伊勢でもつ、尾張名古屋は城でもつ」という伊勢音頭に歌われた宿場町でもあったのは知っていましたが、具体的に何があるのかまでは知らず、仕事上でも縁が無かったので、訪れる機会が無かったのです。

来てみてあれっと思ったのは、津市は城下町から発展した町で、市役所や警察署は城の近くにあるのに、津駅や県庁はずっと離れた北にあり、津城の最寄り駅は小さな津新町駅だということですね。そして駅前は津駅のほ方がずっと発展しているのに、津城の周りも大門という繁華街や百五銀行本部の大きなビル、それに百貨店などがあって、町の中心が二つある様に感じました。これってなぜかと調べてみたのですが、先に町として発展したのは、やはり城下町であり宿場町でもあった津城の周囲だったそうですね。ところが県庁所在地が四日市市から津市に変わった時に、城の周りは開発され尽くしていて県庁舎を建てる余地が無く、当時は町外れだった安濃川の北に建てたのだそうです。津駅については、北から延伸して来た鉄路の終点が今の位置だったのだとか。この二つの施設が出来た事により、新しい市街地が形成され、中心部が二つある様な町になったという事の様です。

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津市もまた戦時中に大空襲を受けており、旧市街地は壊滅してしまったそうです。なので、残念ながら城下町らしい古い町並みは残っていません。でもせっかく来たのだから城跡以外に訪れるところは無いかと探したところ、近くに津観音という寺がある事が判りました。

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寺伝に依れば和銅二年(709年)に伊勢阿漕ヶ浦の漁夫の網に聖観音立像がかかり、それを本尊として祀ったのが始まりとされます。その後の記録は途絶えますが、室町幕府の時代に第六代将軍足利義教が三重塔と恵音院を建立した事が知られます。面白いのは津観音は真言宗醍醐派に属するのですが、延徳2年(1490年)に近江国坂本の西教寺の住職にして、天台宗真盛派の開祖真盛上人が観音堂で諸人に念仏を勧めたということで、以後本尊の脇壇に真盛上人の木像が置かれたと伝わります。このあたり、宗派の違いは問題にならなかったのですかね。それ以上に真盛上人が優れた僧侶だったという事なのでしょうか。

その後伊勢が織田家の勢力圏となり、安濃津城に織田信包が入ると津観音を整備し、鈴鹿国府にあった阿弥陀如来を六大院に移して伊勢の天照大神の本地仏として庶民に開帳しました。江戸時代には御陰参りの際には津観音に立ち寄り、国府阿弥陀如来に参拝する事が慣わしとなって、津に参られねば片参りと言われる様にまでなります。

隆盛を誇った津観音でしたが、関ヶ原の戦いの際に阿野津城の戦いに巻き込まれ、全山焼失の憂き目に遭ってしまいます。

戦後藤堂高虎が移封されてくると、城の鬼門にあたる津観音の復興に助力し、次第に寺観が整って行きました。また、徳川幕府からも百石の寺領を寄進され、七つの塔頭と多くの建造物を備える大寺として復興します。そして伊勢参りの際には必ず立ち寄るべき寺として知られる様になり、全国的に有名な寺となりました。

明治維新後は幕府と藩の庇護を失いますが、庶民の祈願所と性格を変え、境内に小学校や役場、商工会議所、寄席などが建てられて、門前町の大門と共に津の中心地として賑わう様になります。しかし、戦時中に津市を襲った大空襲によって堂塔伽藍諸共、全てが灰燼と帰してしまいました。

終戦後、昭和24年に観音堂が洛慶したのを皮切りに再建が始まり、昭和の後半から平成の半ばまでの長い時間を掛けて現在の寺観が整えられました。私が立ち寄ったこの日はとても静かで、拝観者も2,3人だけでしたが、初詣や節分などにはとても賑わうらしく、2013年には23万人が訪れたと言いますから、今でも津市民にとっては親しみのある、大切な場所の様ですね。

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津観音には平成13年に完成した五重塔があるという記述を見て、楽しみにして来たのですが、思いのほか小さなものでした。もしかしたら日本で最小の五重塔ではないかしらん。でも、建立時の動画を見ると、とても丁寧に作られており、この塔に込められた願いには深いものがあると感じました。信心の尊さは、大きさとは関係無いですね。

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津城跡から津観音に行く途中に通ったフェニックス通。津市の東西を結ぶ幹線道路だそうですね。その名の通り中央分離帯にフェニックスが植えられており、独特の景観をしています。昭和42年(1967年)の開通だそうですから50年以上経っており、フェニックスも巨木に成長しています。2005年には中部国際空港セントレアの開港に伴い、海からの玄関口としてなぎさまちが整備され、この通りも延長されています。この交差点の角にセントレアへの玄関口というオブジェが設置されており、一瞬何の事と思ってしまいました。

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津観音からは歩いて津駅に向かい、町並みを楽しむつもりだったのですが、さすがに疲れてしまいバスに乗りました。最寄りのバス亭に行くと、すぐ後ろに松阪牛と大きく書いた朝日屋という精肉店がありました。丁度良いからお土産に松阪牛を少しでも買って帰ろうかと思って店を覗くと、長蛇の列になっていました。何が売っているのだろうと中に入ろうとすると、番号札を取って待つ様にとあります。電車の時間もあり、これはとても無理と諦めたのですが、後で調べてみると松阪牛としては結構安い店だった様ですね。どうりで人気店な訳だ。惜しい事をしたな。

これが津駅です。大きなビルはアストという商業ビル。時間が無くて入りませんでしたが、上まで登ったらさぞ良い景色だった事でしょうね。また、駅裏に皆楽園という藩主の別荘跡があるのですが、これも時間が無くて見送りました。もう少し時間に余裕を持たせておけば良かったです。

ところで、三重は近畿か中部かどちらなのでしょう。小学校の時は近畿と習いましたが、その後区分の仕方によっては中部に入る事もあると知りました。地理的には名古屋に近く、電車も名古屋行き、あるいは名古屋始発となっていましたね。多分、遊びや買物は名古屋に行く人がほとんどで、大阪や京都に行く人はまず居ないでしょう。ところが、言葉は明らかに関西なのですね。名古屋弁はほぼ聞かなかったです。これってなぜでしょう。明治以前は京・大坂との結びつきが強く、文化も大きく影響を受けたのかしらん。今回の旅行で思った、ちょっとした謎です。

帰りは近鉄の誇る超特急の「ひのとり」に乗りました。別に狙っていた訳では無いのですが、時間を見計らって選んだらたまたま「ひのとり」だった次第です。通常の特急より300円高かったのですが、時間を考えるとこれしかなく、まあいいやと予約しました。すると、津から大阪の鶴橋までノンストップなのですね。乗ってからアナウンスで知ったのですが、これがまあ速いのなんの。新幹線とまでは行かないものの、途中で止まらない分、新快速より速く感じましたね。シートも豪華だし、快適そのものでした。300円余分に出した甲斐はありましたね。

松阪と津と、両方とも初めての街でしたが、知らない所へ行くのはやはり面白い。少し交通費が掛かりましたが、とても楽しめた旅でした。

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