京都・洛西 京都紅葉事情2024 ~西国三十三所第二十番札所 善峯寺 11.18~
令和6年11月18日、善峯寺を訪れて来ました。紅葉情報に見頃とあったので見に来たのです。
善峯寺を訪れたの始めでです。何しろアクセスが悪いのですよ。JR向日町か阪急東向日町からバスに乗っていくのですが、このバスが二時間に一本しか無く、とても不便なのです。善峯寺は桜の名所でもあり、今年の春にも訪れようかと考えていたのですが、踏ん切りが付かなかったのですよね。でも一度は訪れておきたいと思い、これも良い機会かと思って行ってみる事にしたのでした。
善峯寺は長元二年(1029年)に源算上人によって開かれました。上人は横川の源信僧都に師事した人で、47歳の時にこの寺に入いり、千手観音を自作して小堂に収めました。長元七年(1034年)には後一条天皇より鎮護国家の勅願所と定められ、「良峯寺」の寺号を下賜されています。長久三年(1042年)に御朱雀天皇の勅命により、洛東鷲尾寺の仁弘法師御作の千手観音を当山に移して本尊とし、先の千手観音を脇本尊とされました。建久三年(1192年)には後鳥羽天皇より善峯寺の「宸額」が下賜され、現在の寺名となっています。(以上パンフレットより抜粋)
この経過から判る様に初めは天台宗の寺でしたが、改宗時期は不明ですが現在は天台系の単立寺院として善峰観音宗となっています。
その後も歴代天皇から寄進を受け、また多くの親王が住み、室町時代には僧坊が52にも及びましたが、応仁の乱により大半の坊が焼失してしまいました。しかし、応仁の乱はこんな山奥にまで戦禍が及んでいたとは知らなかったですね。どちらかの陣営が拠点としたのかしらん。
江戸時代になると江戸幕府第五代将軍綱吉の生母「桂昌院」を大壇越として復興が図られます。現在残っている堂舎の多くは桂昌院の寄贈に依るものです。桂昌院は父が善峯寺に一女を得ることを願った結果生まれた娘であり、この報恩に報いるために多大な援助を行ったのですね。御堂を巡っていると桂昌院寄進と書いた札がそこかしこある事に気付きますよ。
善峯寺は山の中腹にあり、見晴らしの良さは素晴らしいですね。京都盆地の南西隅に位置し、京都市街は元より、大阪方面まで見渡せてまさに絶景でした。10月に京都西山竹灯りというイベントで夜間拝観が出来たそうですが、ここから見た夜景はさぞ見応えがあった事でしょうね。
紅葉はご覧のとおりほぼ見頃でした。初めて来たので最高潮の時がどんな具合かは判りませんが、この時期の京都で見られる紅葉としては上出来だと思います。感じとしてはピークはもう少し後だったという気はしますけどね。
善峯寺は山腹にあるため、坂道だらけです。まず、バス停から山門までの道が結構きつい。境内に入っても石段の連続で、ずっと坂道を歩くことになります。でも歩いてみると案外早く回れて、御堂に参拝しながらでも一時間程で一周出来ました。下から奥の院を見上げたときは、どうなる事かと思いましたけどね。
残念ながらバリアフリーではなく、足の弱い方にはきついと思います。結構な御年を召した方も来られていましたけどね、あの方はどうされたのだろう、本堂だけお参りして済まされたのかな。
その本堂にも参拝しましたが、ご本尊は厨子の中に安置されており、扉は閉じられていました。お前立ちも無かったですね。ご本尊の開帳は毎月第二日曜ならびに正月三が日に行われていましたが、令和3年12月で終了しています。次の開帳は開山千年にあたる令和10年(2028年)に予定されているとのことです。
善峯寺は自家用車があれば本堂下の駐車場まで上がる事が出来、バス停から山門までの坂道は上らずに済みます。ただ、途中の道は狭く、意外な程交通量が多いため、行き違いが大変です。バスも途中から二人態勢になり、前から来る車を見張ってましたからね。車で行かれる場合は十分に注意して下さい。
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