2024 秋の旅 ~大垣市 奥の細道結びの地 10.4~
今年の秋旅行は岐阜に行ってきました。岐阜は何度となく訪れていますが、美濃地方はほとんど観光した事がありません。京都や奈良に比べると名の知れた観光地は少ないですが、調べると面白そうなところがいくつもあります。それに新快速を使えば在来線だけで行く事が出来、交通費もさほど掛かりませんしね。
まず訪れたのは大垣市です。人口は15万人ほどで、岐阜県第二の都市ですね。大垣の名を知ったのは小学生の頃、松尾芭蕉の奥の細道の結びの地としてです。なぜ江戸から始まった大旅行の終着点が大垣なのかずっと気になっていたのですが、その答えはこの銅像の向かいにある「奥の細道結びの地記念館」にありました。
この銅像の手前の人物が松尾芭蕉、奥が谷木因です。谷木因は大垣の人で、この地で船問屋を営んでいました。俳人として北村季吟の門下生であり、芭蕉の弟弟子に当たります。二人は同門である以上に友人でした。芭蕉は野ざらし紀行の旅の際に木因の下を訪れており、大垣に一ヶ月程滞在しました。芭蕉はその時に木因の仲立ちで多くの門人を得ています。奥の細道の終着点を大垣と決めたのは、木因と自分を慕う門人達と会うためだったのですね。
この銅像のすぐ横には二人の句碑があります。手前が芭蕉の「蛤のふたみに別行秋ぞ」、奥の細道の結びの句ですね。奥が木因の「惜しむひげ剃りたり窓に夏木立」です。
こちらは木因が美濃路から伊勢に向かう分かれ道に建てたという道標で、案内文が「南いせくわなへ十りざいがうみち(南伊勢 桑名へ十里 在郷道)」という俳句になっています。これは戦後に再現されたもので、オリジナルは戦災で焼けてボロボロになったため、現在は奥の細道結びの地記念館に展示されています。
銅像の対岸にあるのが住吉灯台。かつてここを流れる水門川は桑名と大垣を結ぶ運河で、明治期には蒸気船の定期航路もありましたが、昭和に入ると物流の中心が鉄道に移り、水運は衰退してしまいました。この灯台は天保11年(1840年)に建てられたもので、かつてここが川港であった事を示しています。
記念館を出てバス停に向かうと、すぐ側に立派な竜宮門がありました。ちょっと違和感を感じたのは一階部分に屋根がある事ですね。いわゆる裳階なのかしらん。日蓮宗常隆寺とあったので帰ってから調べてみたのですが、詳しい事は判りませんでした。門の他には本堂がぽつんとあるだけで、無住の寺の様ですね。廃仏毀釈で破壊されたのか、戦災で焼けてしまったのか、どちらでしょう。見るからに荒れ寺という感じで、せっかくの門が勿体ないですね。もう少し整備すれば名所になりそうなのに惜しいな、ていうのは余計なお世話かしらん。
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