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2024年9月21日 (土)

京都・洛南 宇治逍遙2024 ~興聖寺 9.10~

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宇治神社を出て川沿いを上流に向かって歩くと、宇治発電所の放流口に架かる観流橋があります。橋の上から見る囂々と渦巻く放流水は、なかなか見応えがありますよ。その橋を過ぎて少し行くと左手に石造りの山門があり、興聖寺と書いた石柱が立っています。山門を潜ると琴坂と呼ばれる長い参道になっており、やがて正面に白い竜宮門が見えてきます。ここが道元禅師が最初に開いたとされる曹洞宗最古の修行道場です。

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興聖寺が創建されたのは貞永2年(1233年)の事で、当初は京都の深草の地にありました。しかし、寛元元年(1243年)に延暦寺の弾圧を受けて道元禅師は越前国に下向、以後興聖寺は荒廃して住持四代にして廃絶してしまいます。

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時代は下って江戸時代に入り、慶安元年(1648年)に淀藩主の永井尚政が万安英種禅師を招聘し、宇治旭茶園の地に再興しました。

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この寺には初めて来たので受付で撮影について確認したのですが、どこを撮っても良いとの事でした。撮影禁止になる社寺が増える中、ここは太っ腹ですね。仏像まで良いとは萬福寺と並んで何とも有り難い事です。

ここは老梅庵と呼ばれる開山堂です。御簾の向こうに隠れていますが、道元禅師の像が置かれています。老梅庵の名は禅師が梅を好まれた事から付けられたとの事です。

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法堂は伏見城から移築され、仏殿として改裝されたものです。天井は伏見城の戦いで切腹して果てた鳥居元忠達の血痕が染みついている床板を張った血天井です。京都に九つあるうちの一つで、こうして死者の霊を供養しているのですね。

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この像は僧堂に祀られている、正面に大黒天、右側に毘沙門天、左側に弁財天の三つの顔を持つ三面大黒尊天です。かつて伝教大師が延暦寺を開かれた時、大黒天が現れて守護を誓われましたが、大師がさらに比叡山三千坊の守護をお願いしたいとさらに祈られると、三天合体の姿に変化されたと伝わるとの事です。豊臣秀吉が念持仏とし、関白にまで出世した事でも有名ですね。

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僧堂は修行僧が座禅をするほか、寝起き、食事をする生活の基本となる場所。自由な興聖寺もここは立ち入り禁止でした。正面に祀られているのは文殊菩薩像。乗られている獅子の顔は左にある像が多いのですが、ここでは右側にあるのが特徴だそうです。

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宝物殿は白い扉を開けて入る事になります。中には聖観音菩薩立像が安置されていました。この観音様は宇治十帖の古跡の一つ、手習いの社に祀られていた事から手習観音とも呼ばれるとの事です。

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庭園には石の相輪と笠石があります。これは橋寺の叡尊が中の島に建てた十三輪塔の一部で、宇治川の氾濫で倒壊した後、長く地中に埋まっていたものです。十三輪塔は明治41年に発掘されて再建されたのですが、その時にはこの笠石と相輪は見つからなかったために新造されました。その後別の場所で発見されたのですが、取り替える訳にも行かなかったので、興聖寺に移されて保管されているとの事です。

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興聖寺は紅葉の名所で秋は賑わう様ですが、この日は拝観者はほとんど居なくて静かなものでした。見所も多く、穴場と言っても良い寺でしょうね。お寺の方の対応も親切で好感が持てます。宇治に行かれる事があれば立ち寄られる事をお勧めします。

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