京都・洛南 宇治逍遙2024 ~橋姫神社と橋姫伝説 9.10~
宇治橋西詰から平等院に向かう賑やかな参道では無く、縣神社方面に向かう府道を歩いて行くと、左手に小さな神社がひっそりと佇んでいます。ここが橋姫神社、宇治橋を守る神様を祀る社です。
境内はごく狭く、2つの社が建てられています。左が瀬織津比咩(せおりつひめ)を祀る橋姫社、右が住吉明神を祀る住吉社です。
大化2年(646年)に宇治橋が架けられた時、瀬織津比咩は橋の守り神とするため上流の櫻谷から勧請され、宇治橋の三の間に祀られました。後に宇治橋の西詰に移されましたが、明治3年(1870年)の洪水で流され、明治39年(1906年)に現在地に再建されました。
この三の間は豊臣秀吉が茶会のために水を汲み上げさせた場所ともされており、10月に開かれる茶祭りの際に名水汲み上げの儀が行われて、汲み上げられた水は興聖寺に運ばれるとの事です。
ここまでが橋姫神社の表の顔なのですが、もう一つ縁切りの神社という顔があります。それか橋姫伝説。平家物語の異本、源平盛衰記に記されている説話で、嵯峨天皇の御代、新しい女が出来た夫に捨てられた高貴な姫が嫉妬に狂い、貴船神社に七日間籠もります。そして殺したい女が居る、どうか私を鬼に変えて下さいと願うと貴船明神が現れ、姿を変えて37日間宇治川に浸かれと告げました。姫は言われたとおり髪を五つにわけて角とし、頭に逆さに金輪を被って三本の松明を灯し、さらに全身を朱に染めて口にも松明を咥えて宇治川に至り、37日間川に浸かりました。すると願い通り鬼となり、憎い夫と女、それに係累の人々をこどごとく殺してしまいました。
この時、宇治川に走った橋姫の姿が、後の丑の刻参りの原型になったと言われています。
この姫が宇治の橋姫と呼ばれ、いつしか瀬織津比咩と同一視されるようになり、縁切りの神様とされる様になったのですね。説話のせいで鬼と一緒にされるとは何とも酷い話だと思いますが、今でも橋姫神社はパワースポットとされ、悪縁を切りたい人が訪れているそうです。なおこの橋姫は以前に紹介した法雲寺の菊野大明神にも関わりがあり、ご神体の石が橋姫が貴船神社に行くときに腰掛けた石とも伝えられています。
この説話は鎌倉時代に成立した話ですが、平安時代には橋姫はむしろ愛らしい女性とされていました。源氏物語の宇治十帖の始まりは「橋姫」。大姫に惹かれた薫が贈った歌「橋姫の心をくみて高瀬さす棹のしづくに袖ぞ濡れぬる 」にちなみます。源平盛衰記の作者が、なぜたおやかな女性を鬼に変えたのかは判りませんが、一説には橋を守る神は女性であり、嫉妬深いと考えられていたからだとも言われます。
縁切りの神様としてお参りするも良し、源氏物語の縁の地として訪れるも良し、二つの顔を持つのが橋姫神社です。
(Ctrlキーを押しながらスクロールして地図を少しズームして下さい。橋姫神社の表示が現れます。)
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