京都・洛北 一乗寺から修学院周遊 2024 ~曼殊院 8.15~
曼殊院の中に入りました。ここに来るのは2年前の秋以来、夏場に来るのは14年ぶりですね。学生時代から慣れ親しんだ庭ですが、いつ来ても素敵な庭です。でも、年々坂道がきつくなって、足が遠のきがちになりました。学生の頃は自転車で坂を登り切っていたのだけどなあ、今では考えられないはるか遠い昔の話です。
今の曼殊院を作ったのは良尚法親王、桂離宮を造った八条宮智仁親王の第二皇子です。さすがに親子、たぶん桂離宮を見て育ったのでしょうね、建物の風情から釘隠しや引手の意匠までが似ており、小さな桂離宮と呼ばれます。もっとも、桂離宮には未だ行った事が無く、実物は見たことが無いのですけどね、写真や動画で見る雰囲気とそっくりです。
庭を作ったのは誰かは判っていません。小堀遠州という説があったのですが、曼殊院がここに移転する前に亡くなっており、誰か別の人物です。たぶん良尚法親王の好みに合わせて造ったのでしょうね、枯山水ながら緑に溢れていて、王朝風の風情が素敵です。
この大きな松は鶴を表しています。そして目立たないですが、根元にキリシタン灯籠が据えられています。桂離宮にもキリシタン灯籠がいくつもあるそうで、ここも共通していますね。
宸殿は2022年に再建されました。なぜこれまで無かったかと言うと、京都府立医科大学の前身が造られた時、宸殿を売ってその金を寄付したのだそうです。神仏分離令で門跡制度が無くなり、台所事情も苦しかったでしょうに、何とも見上げたものですね。今は白木も美しい宸殿に、ご本尊の阿弥陀如来と寺宝の黄不動(複製)が祀られています。
ところで今回調べて初めて知ったのですが、曼殊院の門主は北野天満宮の別当を務めていたのですね。曼殊院がまだ比叡山の一坊であった頃、947年に北野天満宮が創建され、四代目住職だった是算国師が菅原氏の出身だった事から別当を兼ねたと言われます。あるいは一条天皇の御幸があった1004年からだとも言われますが、この関係は近世に至るまでずっと続いていたそうです。これで北野天満宮の御手洗祭の際に、御神水を曼殊院に届けていたという謎が解けました。
夏の曼殊院は蝉の声以外は静かで良いですね。本当はヒグラシを聞きに来たかったのだけどな、一番暑いときに家を出なければならないので見送りました。学生の頃はそのためだけに修学院まで来た事もあるのですけどね。あの頃は今みたいな猛暑じゃ無かったから出来たのでしょう。38度や39度なんてあり得なかった、今の太陽はほとんど凶器、焼き尽くされる様な熱さです。地球温暖化、なんとかしなければね。
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