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2024年8月 7日 (水)

京都・洛東 夏の早朝散歩2024 ~熊野若王子神社 8.1~

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南禅寺から哲学の道に入る前に、熊野若王子神社に立ち寄りました。特に哲学の道と関係がある訳ではありませんが、まずはご挨拶しておこうと思ったのです。

熊野若王子神社は永暦元年(1160年)に、後白河法皇が禅林寺(永観堂)の鎮守社として熊野権現を勧請したことに始まります。若王子とは神仏習合神で、天照大御神の別名です。京都には熊野三山に対応した神社が三つあり、熊野本宮大社に対応するのが新熊野神社、熊野速玉大社に対応するのが熊野神社、そして熊野那智大社に対応するのがこの熊野若王子神社とされます。

今からでは想像出来ませんが、平安時代末期の熊野信仰は熱狂的だったと言え、浄土信仰の高まりと共に古くからの聖地であった熊野の地はこの世の浄土と見なされるようになり、全盛期だった院政期には白川院9回、鳥羽院21回、後白河院34回、後鳥羽院28回とそれぞれ熊野詣を行っています。今でも京都から熊野までは遠く、特急に乗っても4時間以上掛かるはるかな地です。ましてや平安時代は当然徒歩で、往復20日からひと月掛かりました。これを34回も行ったという後白河院の情熱はどこから来たのでしょうね。お供の数も半端ではなく、800人から時には1000人を超えたと言われ、費用も相当なものだった事でしょう。こんな事ばかりしていたから、武家政権の台頭を許したんじゃないかと思いたくなる程です。

それはともかくとして、この神社では梛の葉を大切にしており、罪汚れをなぎ払うお守りとして使かう一方、梛の葉は裂こうとしても裂けない事から、縁結びのお守りに入れて授与されます。この事から、この神社の御利益は縁結びとされていますね。ただいくつかのサイトにご神木として樹齢400年の梛の木があると記されていますが、今の境内のどこを見てもそんなに大きな木はありません。たぶん、この写真の右端に見える白い枯れ木がそうで、随分前に枯れてしまったのではないかと思われます。その代わりということでしょうか、境内のそこかしこに梛の木が植えられています。

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哲学の道から上がってくると、冒頭の写真の様に橋があって鳥居があり、一見するとこちらが正規の入り口かと思ってしまいます。しかし、入って正面にあるのは惠比須社で、中を覗くと大きな惠比須様が鎮座されています。とても立派な神像で、いかにも御利益がありそうですね。

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この惠比須様については説明書きがあり、意訳すると元は別の場所、古い表記では西洞院中御門、今で言う西洞院椹木町に惠比須社がありました。およそ第二日赤十字病院の西側、麩まんじゅうで有名な麩嘉さんのあたりになるのかな。この社の近くに川が流れており、社にちなんで惠比須川と呼ばれていました。中御門通の三筋下に冷泉小路があったのですが、惠比須川はこの道にも流れており、町が発展する共に冷泉小路はいつしか夷川通と呼ばれる様になりました。つまり通り名の由来を突き詰めれば、この惠比須様に行き着くという事ですね。惠比須社は応仁の乱で焼けてしまいましたが、この神像は奇跡的に無事で、その後この神社に引き取られてきたという事の様です。

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熊野若王子神社の本殿はこちらになります。でも、なぜか正面に鳥居が無いのですよね。なので、惠比須社の方が入り口と思う人が多いんじゃないかしらん。

この神社は、江戸時代には神仏習合の修験宗の寺となり、正東山若王子乗々院と号し、門跡に次ぐ院家として活躍しました。その頃には一般大衆の間にも熊野信仰が浸透し、蟻の熊野詣と言われるほど多くの人が参拝に出かけました。熊野に向かう人は旅立ちの前にこの寺を訪れ、身を清める事が慣例とされていたため、さぞかし賑わっていた事でしょうね。しかし、明治になると神仏分離令が発せられて寺は廃絶し、神社だけが残りました。熊野詣もまた神仏分離の影響で訪れる人は激減し、この神社も次第に衰徴していきましたが、村社に列せられた事でかろうじて廃絶は免れています。あまり目立たない小さな神社ですが、結構波瀾万丈の歴史を辿って来ているのですね。

元はこの本殿は本宮、新宮、那智、若宮の四つに分かれていました。それが現在の一社相殿の形に改められたのは昭和54年(1979年)で、理由は判りませんが比較的最近の事ですね。この本殿の裏山には桜花苑があり、桜時分には賑わう様です。私はまだ訪れた事がありませんが、来年の春には出かけてみようかと思っています。

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