京都・洛南 藤原道長縁の地 ~羅城門跡~
東寺から西に行ったところに羅城門跡があります。以前から気になっていたのですが、なかなか行く機会が無く、この日は時間があったので訪ねてみる事にしました。
羅城門は言わずと知れた平安京の正門で、芥川龍之介の小説や黒澤明監督の映画などで知られていますね。幅約35m、奥行き約9m、高さ約21mという、巨大でかつ細長い建物でした。そのせいか風に弱かったらしく、建てられてから間もない弘仁2年(816年)に大風で倒れています。その後一度再建されますが、天元3年(980)に再び暴風のために倒れてしまいます。都の正門ですからすぐに再建されそうなものですが、実際には24年間も放置されました。1004年になり、高階業遠が丹波守の任期の延長と引き換えに再建を申し出ますが、様々な障りがあり実現しませんでした。当時は藤原道長が権勢を振るっていましたが、羅城門の再建には全く関心を示さず、それどころか治安3年(1023年)に、自らが造営する法成寺のために礎石を持ち去ったと藤原実資が小右記に記して憤慨しており、為政者が公の施設を私物化するという有様でした。
羅城門は正門ではありましたが、人々が出入りするためのものではありませんでした。平安京はぐるりと塀で囲われていた訳では無く、この門の東西にわずかに土塀があった程度で、他に出入り口がいくつもありました。羅城門の役割は主として外交使節を迎え入れる事に有り、渤海や新羅からの使節が途絶えると無用の長物と化してしまいました。例えば今昔物語には羅城門は盗賊の住処となり、二階には死体がごろごろと転がっていたと記されています。つまり存在価値を失った羅城門は、全く管理されていなかったのですね。ちなみに羅城門から内裏へと続く朱雀大路も同様で、これも外交儀礼用に作られた84mmもの幅員を持つ道だったのですが、外国使節が途絶えた900年代には意義を失い、広すぎる道は牛馬の放牧場になっていたとされます。
羅城門はその後も再建されることは無く、いつしか痕跡すら無くなっていた様です。これまでに発掘調査が何度か行われましたが、基壇土の一部が出てきた他は礎石の一つも見つかっていません。一つには豊臣秀吉が御土居を築いたときにわずかに残っていた痕跡を破壊した事、またかつて付近を流れていた鍋取川が氾濫を繰り返し、遺構を洗掘してしまったのではないかと言われています。現在の羅城門跡は東寺の南大門から距離を測定して位置を推定したもので、考古学的な根拠があるわけではありません。
羅城門を偲ぶものとしては、現在東寺が所蔵している木造兜跋毘沙門天立像があり、かつて羅城門に祀られていたものと伝えられます。また、東寺のホームページには、宝蔵の床板は羅城門の扉と言われているとありますね。あと、羅城門の鬼瓦もまた東寺に伝わっていますが、現在は国立京都博物館に寄託されているとのことです。
羅城門跡は住宅街の中にぽつんとあり、周囲は小さな児童公園となっています。普通に歩いていると見落とす可能性があるので、地図を持参される事をお勧めします。スマホの地図があれば便利ですね。
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