京都・洛東 一条天皇中宮・彰子縁の寺 ~東北院 7.25~
真如堂を出て東北院に来ました。何も知らなければ通り過ぎてしまうような小さくて古びた寺ですが、ここは藤原道長が開いた法成寺の中にあった常行三昧堂の後継の寺で、道長の死後の長元3年(1030年)に、娘にして一条天皇の中宮、そして後一条天皇の母である上東門院彰子の発願で建てられました。常行三昧堂は法成寺の東北にあった事から、東北院と呼ばれる様になります。
彰子は光る君へではあまりぱっとしない女性の様に描かれていますが、道長が彰子の産んだ敦成親王を立太子しようとした時、定子が産んだ第一皇子の敦康親王を推し、父に抗議しています。自分の子でなく定子の子を推したのは一条天皇の意を受けての事であったのですが、当時道長に逆らえたのは彰子くらいのものでしょうね。この時は道長に一蹴されてしまいますが、道長が政界から身を引いた後は後一条天皇の母、国母として政治力を発揮し、弟の頼通と共に御堂関白家を支える存在となり、藤原実資から賢后と称えられるまでになっています。東北院を築いた後はここを住処とし、孫の後冷泉天皇の代になってもなお影響力を持っていたらしく、後冷泉天皇は祖母に会うために2度東北院に行幸しています。その後も長命して87歳まで生き、最期は法成寺の阿弥陀堂で息を引き取りました。
東北院にまつわる伝承としては、彰子の女房であった和泉式部が東北院内に小堂を建ててもらい、晩年を念仏三昧で過ごしたと伝えられます。その小堂が誠心院の前身とされるのですが、誠心院の寺伝には1027年に、彰子が和泉式部のために父の道長に勧めて建てさせたとあり、史実との間に明らかな齟齬があります。まあ、寺伝とは得てしてそういうもので、ここでは深く追求しないでおきます。また伝承とも言えない謡曲の世界なのですが、和泉式部が手植えしたという軒端の梅という古木が寺に伝わります。無論平安時代のものではなく後継木とされており、年によって咲き方が違いますが、当たり年には真っ白な花が一面に咲き、とても綺麗な梅ですよ。
私は見落としたのですが、境内には和泉式部と道長の供養塔があるそうです。また、寺には道長の木像も伝わっており、いつか拝見したいものですね。
そんな東北院ですが、これまでに何度も焼失と再建、移転を繰り返して来た苦難の歴史を持ちます。まず、天喜6年(1058年)に法成寺が全焼した際に類焼し、康平4年(1061年)に敷地を北に移して再建されます。この場所は一条南京極東と記録されており、現在の廬山寺あたりではないかと想定されています。次いで承安元年(1171年)にも火災に見舞われ、同年中に京極今出川に移転して再建されました。そして極めつけの受難は応仁の乱で、千手堂など一部の施設を除いて全焼し、廃寺同然となってしまいました。
荒廃していた東北院を再建したのが時宗の僧、弥阿で、永禄2年(1559年)に復興しています。おおよそ100年近くは荒廃したままだったという事になりますね。そして、この時に天台宗から時宗に改宗したものと思われます。さらに元亀元年(1570年)には戦乱に巻き込まれて焼失してしまい、正親町天皇、後陽成天皇の綸旨を賜って諸国を勧進して巡り、資金を得て再建されました。しかし、東北院の受難はまだ続き、元禄5年(1692年)にまたしても火災に遭い、翌年現在地に移転して再建され今に至ります。
これだけの受難の歴史を歩んできた東北院ですが、ご本尊の弁財天女は法成寺当時から受け継いで来たものとされ、伝承では桓武天皇の勅命により伝教大師が彫ったものと伝わります。門の前には弁財天女と刻んだ石碑があり、このお堂の中に祀られているはずですが、中を覗いても暗くて良く判らず、撮影禁止の文字だけが目立っていましたね。
東北院の西側に、道を一筋挟んであるのが彰子の子、後一条天皇の御陵、菩提樹院陵です。元禄年間に東北院が現在地に移転してきた時、息子が眠る地の側を選んだと思いたくなるのですが、調べてみるとどうも違う様です。後一条天皇は崩御された後、神樂岡の西で荼毘に伏され、遺骨は一旦浄土寺に預けられて、火葬の跡には彰子によって菩提樹院が建てられたとされます。間もなく遺骨も菩提聚院に安置されるのですが、その後の戦乱によって菩提樹院は破壊され、江戸時代にはどこにあったか判らなくなっていたそうです。この場所は在原業平の廟が吉田山の奥にあったという伝承に基づいて業平塚とされていたらしく、東北院が今の地を選んだのはこの御陵とは関係がなさそうですね。後一条天皇の御陵と治定されたのは幕末の事で、明治になって菩提樹院陵と改められました。なおこの陵墓には後一条天皇の娘で後冷泉天皇の中宮であった章子内親王も祀られており、結果として彰子縁の東北院は子と孫の眠る場所の側に佇むという事になった様です。
付近は閑静な住宅街、観光客とは無縁の地です。静かに平安時代の物語を思うにはうって付けの場所ですよ。ぜひ一度訪れてみてください。ただ、菩提樹院陵の前の道は細い割に車が良く通るので、安全には十分気をつけてください。
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