京都・洛東 夏の早朝散歩2024 ~哲学の道8.1~
熊野若王子神社から哲学の道に入りました。ここをゆっくり歩くのは久しぶりです。なにしろ人気の高い道ですから普段から人通りが多く、風情を楽しむゆとりは無いですからね。特に桜時分の混雑は酷く、インバウンドの人で溢れかえっていて、桜を楽しむどころの騒ぎでは無かったです。
哲学の道は本来遊歩道ではなく、疎水分線の管理用通路でした。出来た当初は芝生が植えられている程度だったのですが、周辺の南禅寺や銀閣寺、永観堂など風光明媚なところを廻るのに便利だったせいでしょうか、自然と歩く人が増えていったそうです。また当時は周辺は田園地帯だったと思われますが、名所旧跡に近く、かつ閑静な環境を求めてか文人が多く住む様になり、文人の道と称されていた様ですね。
大正10年(1921年)には近く(白沙村荘)に住んでいた橋本関雪が、長年暮らして来た京都に恩返しをしようと考えて300本の桜を寄付し、道沿いに植えた事で桜並木の道となりました。これで一気に道の雰囲気が変わった事でしょうね。この桜は関雪桜と呼ばれ、今でも一部が残っている様です。京都市では関雪桜を後世に伝えようと、クローン技術を使って後継木を育てているそうですね。
丁度この頃、京都大学の教授を勤めていた哲学者西田幾多郎が、好んでこの道を歩いて思索に耽ったとされ、その姿を見た地元の人たちが哲学の小径、思索の道などと呼ぶ様になりました。
哲学の道の名が世間に広く知られるようになったのは戦後の事で、昭和47年(1972年)にこの道に砂利を敷くなど保存運動をしていた地元の人々が話し合い、この名前が定められました。私も哲学の道という名を知ったのはこの頃だった様に記憶しています。確か新聞に新しい名所として紹介されたんじゃなかったかな、その頃国鉄が展開していたディスカバージャパンのキャンペーンによる旅行ブームも影響したのでしょう、この道を訪れるのがちょっとした流行になりましたね。昭和53年(1978年)には廃止された市電の敷石を利用して敷石を並べ、450本の桜を植えるなどさらに整備が進められました。昭和56年(1981年)には西田が詠んだ歌「人は人 吾はわれ也 とにかくに 吾行く道を 吾は行くなり」の石碑が建てられ、観光地としての地位が不動のものとなりました。
若王子から少し入った所にあるのが宗諄女王墓。光格上皇の養女で、霊厳寺の最後の門跡となった人でした。1890年没ですから、工事終了前後にここに葬られたと思われます。なぜこの場所が選ばれたのかは判りませんが、民家が多い沿道にあって、京都らしい風情を感じさせてくれるのは確かです。
今の疎水分線は浅い水深しかありませんが、当初の計画ではもっと多くの水を流し、水力に利用する予定でした。水力と言っても発電ではなく水車です。疎水沿いに沢山の水車を作り、その動力を利用してこのあたりを一大工業地帯にしようとしたのでした。何の工場を予定していたのかまでは判りませんが、当時の事ですから紡績工場か何かでしょうか。しかし、工事途中でアメリカに水力利用の実態を視察に行った田辺朔郎技師は、水車は時代遅れでかつ動力としても不足していると知り、計画は変更されました。その結果生まれたのが蹴上発電所です。商業用としては日本初の水力発電所で、市電を走らせる原動力となったのはよく知られるところです。
現在の疎水分線は全くの修景施設ですが、地下には松ヶ崎浄水場に通じる導水管が埋められており、京都市北部の水道をまかなうための大切な施設となっています。
琵琶湖疎水はその名の通り琵琶湖から取水しているのですが、無料で水を貰っている訳ではありません。琵琶湖疏水感謝金という名目で、毎年2億3千万円という金が京都市から滋賀県に支払われています。当初は滋賀県が使用料として徴収していたのですが、政府から収入の少ない自治体から使用料は徴収しないようにという通達が出されたため、京都市と滋賀県が話し合い、寄付金という形にしたのでした。何かあると「琵琶湖の水止めたかろか」というのが滋賀県民が口にする慣用句ですが、これだけの金を貰ってる以上、止める事は出来ないですよね。
哲学の道の途中で右に折れ、一本東の道に来ました。ここから左に曲がって法然院道に入るのですが、そのとっかかりにあるのが霊厳寺です。後水尾天皇が開いた尼寺で、代々皇室の皇女・皇孫が住職を務めた門跡寺院です。別名を谷の御所と言い、普段は非公開ですが椿の開花時期に合わせて特別公開が行われます。11年前の京の冬の旅で訪れた事がありますが、手入れの行き届いた気持ちの良い寺ですね。哲学の道沿いに墓があった宗諄女王が住職を務めたのがこの寺です。
この南隣がノートルダム女学院中学高等学校で、その中に和中庵という修道院跡があります。仏教とキリスト教という違いはありますが、出家した女性達が暮らした施設が隣同士にあるというのは、偶然ながら不思議な縁を感じますね。
法然院道に入って少し歩くと安楽寺があります。紅葉が見事な事で知られますが、境内のさつきも素晴らしく、花の時分には特別公開が行われます。とりあえず次は紅葉を見に来て、来年はさつきの頃に来ようかと思っています。今年は綺麗に色付いてくると良いのですけどね。ここから次は法然院を目指す事にします。
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