京都・洛東 夏の早朝散歩2024 ~法然院 8.1~
安楽寺から法然院に来ました。敷地は隣同士なのですが、法然院の墓地が広大なため、随分離れている様に感じます。法然院の魅力はまずこの参道、鬱蒼とした木々に挟まれた道の先に茅葺きの門が佇む風情は、この寺が住宅街に隣接しているとは思えず、あたかも深山に来たかの様です。
山門を潜ってまず目に入るのが砂を盛った二つの山、白砂壇と呼ばれる施設です。ただの修景施設ではなくちゃんと宗教的な意味があって、この間を通る事によって心身が清められるのですね。表面には模様が描かれており、周期的に描き換えられます。この日は水紋を表すのかな、円が描かれていました。この白砂壇を描き換えられているところを見た事がありますが、四角い木切れを使ってまず元の模様を消し、お手本も無しで即興で新しい文様を描かれていました。書き手のお坊様は飄々とした感じで、特に考え込む様子も無かったのですが、毎回見栄えのする文様を描くのは修練の技としか言い様が無いですね。大したものだと見とれていたのを覚えています。
法然院の起原はホームページに依ると、鹿ヶ谷の草庵で法然の弟子、安楽と住連が、後鳥羽上皇の女房、鈴虫と松虫を上皇に無断で出家させた事により上皇の逆鱗に触れ、二人の弟子は死罪、法然は讃岐国に流罪になるという事件が起こりました。その後草庵は荒廃していましたが、延宝8年(1680年)に知恩院第三十八世萬無和尚が法然縁の地に念仏道場を築くことを発念し、弟子の忍澂が受け継いで伽藍が築かれたとあります。でもちょっと待った、松虫・鈴虫の事件は安楽寺で起きた事ですよね。そして安楽寺のホームページには流罪から戻った法然によって草庵は復興され、その後天文年間(1532年から1555年)に本堂が再建されたとあります。何だか矛盾した話で良く判らないのですが、萬無和尚は安楽寺の存在は無視して、隣を法然縁の地として法然院を建てたという事なのでしょうか。寺の縁起には辻褄が合わないことがよくありますが、隣同士でここまで食い違うというのも珍しいと思います。
ここからは私の推測ですが、安楽寺は浄土宗西山禅林寺派(現在は独立して単立寺院)に属していたため、浄土宗総本山の知恩院としては自らの法統に繋がる法然縁の寺が欲しかったんじゃないかしらん。浄土真宗の東大谷と西大谷の様なものなのかな。違っていたらごめんなさい。
法然院の本堂は境内の奥まった所にあります。本尊は阿弥陀如来座像で、観音菩薩、勢至菩薩像が一緒に祀られています。また法然上人像も祀られていますが、立像というのが珍しいですね。立ち姿の法然上人像というのは他にもあるのかな。ご本尊の前には二十五菩薩を表す二十五の生花が散華されています。ただし、普段は扉は閉まっており、中は暗いので外から見ることは出来ません。
原則非公開の寺ですが、毎年4月1日から7日、11月18日から24日には特別公開が行われます。また毎月26日には山山詠唱会という行事が行われる様ですね。たぶん御詠歌を唱う法要なのかな。他にも法然院サンガという催しが月に何度かあり、一般人でも参加出来るそうですよ。内容としては法話や法要などのほか、コンサート、映画の上映、読書会、さらには落語の会など多岐に渡っており、とても開かれたお寺ですね。内向きでない、生きたお寺と言えましょうか。
法然院にはモリアオガエルが生息しており、6月から7月頃に来ると池の畔の木に白い卵塊があるのを見る事が出来ます。このモリアオガエルは全国的に数が減少しており、絶滅危惧種に指定されている府県も多いですが、京都のお寺を廻っていると結構あちこちで見かけます。最近では岩倉実相院と泉涌寺御座所庭園に居ましたね。お寺は殺生禁止の場所ですから、生き延びる事が出来ているのかな。そのうち野生種が居なくなって、京都のお寺だけに生息しているなんて事にならなきゃ良いのですけどね。
法然院は外国人にも人気があって大抵何人か来ているのですが、この日は珍しく誰も居ませんでした。ここを独り占め出来たのは初めてじゃないかしらん。蝉しぐれだけの法然院はとても良いですね。次に来るのは紅葉の頃かな。ほっこりとした気分になった後は銀閣寺へと向かう事にします。
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