京都・洛西 蓮2024 ~大沢池7.19~
清凉寺から大沢池に来ました。ここまで歩きでしたが、午前中にも関わらず暑い上に日差しもあって、着いた時にはバテバテになっていました。
ここに来たのは蓮を見るためでしたが、池を前にして愕然、何にもありません。あれほど咲いていた蓮はどこへ行ってしまったのだろう。
わずかに見えていた水草は、近づいてみると睡蓮でした。これはこれで綺麗でしたが、目当てにしていたのは一面に咲いていた蓮です。なぜ無くなったのかはわかりませんが、大覚寺のホームページを見ても大沢池の花として紹介されているのは睡蓮だけ。という事は、意図的に除去したのでしょうか。
わずかに咲いていたのはもみじロードの近くの水路だけでした。ここは以前から咲いていた場所ですが、蓮はこれで十分という事なのかな。まあ、白い花に赤い欄干が良く映えて、絵になってくれたのは嬉しかったです。
大沢池は嵯峨天皇が作った離宮嵯峨院の林泉庭園の跡。現存する中では日本最古の庭池とされます。嵯峨天皇当時の離宮がどんなものだったかは判りませんが、現地にはずっと時代が下った後宇多天皇(鎌倉時代末期)が復興した頃の大覚寺の絵が設置されています。それによると当時は今と違って池の北側に伽藍があり、池の周辺には今と同じようにいくつかのお堂がある程度で、特に庭園として整備されていた様には見えません。この頃には現在の様に主として水面を眺めるためのもので、時として船を浮かべる池になっていたのでしょうか。
現地で見る事が出来る離宮当時の名残が名古曽の滝の跡です。滝殿と呼ばれた御殿にあったとされる庭の痕跡で、今昔物語に百済川成が作ったとあるそうですね。百人一首の一つ「滝の音は絶えて久しくなりぬれどなこそ流れてなお聞こえけれ」という歌で知られていましたが、かつてはそれらしき石組みがあるだけではっきりした事は判っていませんでした。昭和50年代から平成にかけて行われた発掘調査で、石組みは一部が平安時代のもので他の多くは後世の手が入っている事、また石組みから続く遣り水の跡が残っている事が判り、現在の様に復原整備されています。以前は石組みだけだったと思うのですが、この日見ると実際に水が流れていましたね。
ちなみに百人一首の歌を詠ったのは藤原公任、光る君へでも登場している平安時代の政治家であり歌人です。藤原道長と同い年で若い頃は出世のライバルでしたが、道長が抜きん出るとその政権を支える存在として権大納言となり、一条朝の四納言の一人に数えられています。今後ドラマの中でどう描かれていくか楽しみですね。
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