相国寺から清浄華院、廬山寺を訪れた間、京都御苑もぶらぶらと歩いて来ました。ここには毎年梅や桜を見に来ていますが、じっくり見て回るのは久しぶりの事です。
京都御苑で中心的な施設は京都御所。周囲は長い土塀で囲われています。そんな中で特徴的なのが東北角のこの部分。わざとへこませた形に作られています。ここは御所の鬼門にあたる東北隅で、隅を欠く事で鬼門を無くすという意味があるそうです。
そしてここには鬼門を守る神様、日吉神社の使いとされる神猿が祀られており、この猿が居る事から通称猿が辻と呼ばれます。幕末に姉小路公知卿が襲われた猿が辻の変の舞台としても知られますね。尊皇攘夷の急先鋒であった公知卿が開国派に転向したと疑われ、尊攘派の志士たちに狙われたと言われますが、真相は未だに不明です。
猿が辻から東に歩いて行くと柵に囲われた一角があります。ここは明治天皇が生まれた中山邸跡です。京都御苑のほとんどの場所が公開されている中で、ここはずっと非公開ですね。明治天皇が神格化されていた事と関係あるのかしらん。春には柵の際で白梅が咲き、なかなか綺麗ですよ。
中山邸跡からさらに東に歩いて行くと、左手奥にグランウンドがあります。ここが去年後期の直木賞受賞作となった万城目学氏作の「八月の御所グラウンド」の舞台です。作品では石薬師門を潜って暫く進んだ先にあるように描かれていますが、京都御苑の北辺にあるグラウンドはここしかありません。作品に出てきたのは創作上のグラウンドかも知れませんが、モデルとなった事は間違いないでしょう。主人公は不本意ながらここで早朝野球に参加する事になり、不思議な体験をする事になります。とても読みやすくて、読了後はほっこりした気分になる名作ですよ。
そのグラウンドからすぐの場所にあるのが石薬師門。わざわざ裏側から撮ったのには意味があります。この外側一帯を真如堂前町と言い、安土桃山期から江戸時代の初期まで真如堂がありました。この門の前に石薬師堂があり、名前の由来となっています。当時はどんな景色だったのでしょうね。真如堂は東山天皇の勅命により現在地に移転しましたが、もしここにあったならば天明の大火で焼失していた事でしょう。何が幸いするかは判らないものです。
京都御苑を出て寺町通を南に下り、清浄華院に来ました。ここに来たのはこの大きな石と大日如来を見るためです。この石は清浄華院のずっと南、世界救世教いづのめ京都跡地の工事現場から出土したもので、藤原道長が建てた法成寺の礎石ではないかと推定されているものです。
法成寺は北は廬山寺のあたりから南は荒神口通の辺りまで、西は寺町通りから東は鴨川堤までという広大な寺域を誇った寺で、寛仁3年(1019年)に開かれました。最初は九体阿弥陀堂に始まり、無量寿院と称していました。その後、経蔵、講堂、金堂などが次々に建てられ、法成寺と名を改めています。平等院のモデルになった寺とも言われ、鴨川から見た姿は宇治川から見た平等院の様であったと考えられています。京極御堂とも呼ばれ、道長の別称御堂関白はこの寺から来ているとの事です。道長はこの寺で亡くなっており、その死後も頼通に引き継がれて隆盛を極めるのですが、鎌倉期に入ると戦乱や火災によって次第に衰え、徒然草に寄れば南北朝期には無量寿院と阿弥陀堂だけが残るという荒涼としたありさまになっていました。
法成寺は御堂関白記や権記、小右記といった一次資料、栄華物語や大鏡といった歴史物語に記されており、存在したことは確かで、場所や範囲も概ね特定されていますが、考古学的な痕跡がほとんど無いのですね。付近から井戸の跡や当時高価とされた緑釉瓦は大量に出土しており、おそらく法成寺のものだろうと推測されていますが、基壇や礎石といったものは見つかっていません。おそらく鴨川の畔にあった事から、相次ぐ氾濫により痕跡が消えてしまったのではないかと言われますが、皆無というのも不思議な気がします。
そんな中、令和3年に法成寺跡の範囲内で工事が行われ、巨石と石仏が見つかったのです。工事関係者の中に清浄華院に縁のある人が居て、供養のために寺で預かってくれないかと連絡が入り、寺の職員が確認したところ大日如来と礎石らしいと判りました。出土場所から見て法成寺のものではないかと考えた清浄華院は引き取って供養する事とし、後から見つかったもう一つの礎石と共に境内に安置して公開する事にしました。
無論、工事に先立って埋蔵文化財の発掘調査は行われたのですが、そこでは何も見つかっておらず、調査の範囲外で偶然掘り出されため出土時の状態などが記録されていない事から、残念ながら考古学的に法成寺のものとは確定出来ないそうです。しかし、出てきた場所と礎石に焼けた痕跡が見られることなどから法成寺縁のものという可能性は高く、貴重な資料である事には変わりないと考えられています。
清浄華院と法成寺跡は離れており、両者の間に直接の関係は無いのですが、幻の寺と言われる法成寺の痕跡が何時でも見られるというのは、とても有り難い事です。
なお、法成寺跡の石碑は鴨沂高校の校舎とグラウンドを隔つ荒神口通北側にあり、これより東北法成寺跡と記された石柱と、概要を記した案内板が建っています。
法成寺跡から引き返し、清和院御門から京都御苑に戻りました。ここで見たかったのは土御門邸跡、道長の邸宅跡です。元は左大臣源雅信の屋敷で、娘の倫子と結婚した道長がここに入っています。この道長と倫子の結婚には雅信が難色を示し、それを妻の穆子が強引に進めたというのは光る君へで描かれたとおりで、栄華物語がその原典です。これには異説もあり、実は雅信と兼家が決めた政略結婚ではなかったかとする意見もあります。
雅信の代には方一町の大臣としては標準的な広さだったのですが、道長の代になるとどんどん拡張を進め、倍以上の広さとなりました。法成寺跡に掲示されている説明板には上の図面が記されており、土御門邸と法成寺の位置関係と大きさが良く判ります。これからすると、土御門邸は現在の表示板があるのが北辺付近で、今の仙洞御所からこの少し北あたりまでの規模を持っていた事になりますね。土御門邸は長和5年(1016年)に一度焼けているのですが、再建のために全国の受領達がこぞって寄進し、元より立派な屋敷になったと栄華物語などに記されています。当時の道長の権勢の程が窺えるエピソードです。
こうしてみると、道長と紫式部は隣同士ともいえる程のご近所さんだった事が判ります。光る君へは無論創作ですが、尊卑分脈には紫式部は道長の妾とあり、もしかしたら二人の間になにがしかの関係があったのかも知れないという気にはなります。貴族としての格が違いすぎるし、学説としても否定されていますけどね。
御堂関白家の本拠として偉容を誇った土御門邸ですが、鎌倉時代以降は次第に荒廃し、南北朝時代には法成寺と同様に見る影も無い廃墟となったと兼好法師が徒然草に記しています。
調べた限りではこれまでほどんど発掘調査は行われておらず、わずかに北辺にあった池の跡が確認されている程度の様です。今後全容が明らかになる時は来るのでしょうかね。
土御門邸跡からずっと西、閑院宮邸跡の前に宗像神社があります。ひっそりと佇む小さな神社ですが、その歴史は古く、平安京遷都の翌年、時の太政大臣藤原冬嗣が桓武天皇の命によって筑前の宗像神を勧請したものと伝わります。ここには冬嗣の屋敷である小一条殿があり、宗像社はその南西隅に祀られました。下って花山天皇の時、一時この地に内裏を移した事があり、以後小一条殿は花山院と呼ばれる様になります。花山天皇は藤原兼家の陰謀により出家してしまいすが、その後は延暦寺で灌頂授戒して法皇となり、西国三十三所を復興するなど諸国を遍歴し、最後はこの地に戻って亡くなったとされます。光る君へでは描かれないでしょうけど、花山法皇を偲ぶ場所として訪れてみてください。
さらに下って花山院家が開かれると宗像社はその守護神となり、東京奠都後も元の位置に止まって現在に至ります。京都御所の南西、裏鬼門の位置にある事から方除けの信仰があり、そのほか産業安全、交通安全、建築安全、安産など様々なご利益があるとされます。観光神社という他には無い面白い摂社もありますね。
光る君へとは関係が無いのですが、京都御苑の近くに大久保利通邸跡があるのを思いだし、石薬師門まで戻りました。石薬師門を出て寺町通を右に曲がり、一筋目を左に入ったところに大久保利通邸跡があります。大久保は慶応2年(1866年)正月に藩邸を出てこの地で暮らし、同志達と倒幕のための密議を交わしたと言われます。周囲は全くの住宅街で当時の面影はありませんが、2019年にここにあった旧家が取り壊される時、密議に使用したと言われる茶室、有待庵が通行人によって発見されて破壊を免れ、移転保存される事となりました。そこまでは良いのですが、今どこにあるのかと調べてみたところ、岩倉具視幽棲旧宅に移転予定という発表があった以降、実際に再建されたという事実は無い様ですね。その後どうなっているのかしらん。なにがしかの情報発信はして欲しいところですね。
大久保はその後明治維新を成し遂げ、慶応4年6月までこの地で暮らしたとのことです。
京都御苑からの帰り道、加茂大橋を渡りました。橋から眺めた出町デルタは、平日にも係わらず結構賑わっていましたね。飛び石も相変わらずの人気の様です。この出町デルタは8月の御所グラウンドのシリーズ、「3月の局さわぎ」(単行本「6月のぶりぶりぎっちょう」に収録)に登場します。ある人物がデルタの先端で叫ぶというシーンなのですが、現実と京都の持つ不思議さが重なるというシリーズに通徹したテーマが現れた場面です。光る君へにも若干関わるので、興味のある方は一読してみて下さい。よくまとまった短編で、なかなか面白いですよ。少々高い本なので、図書館で借りる事をお勧めします。
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