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2024年6月

2024年6月30日 (日)

京都・洛東 早朝の散歩道2024 ~三年坂 6.20~

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二年坂から三年坂に来ました。ここの枝垂れ桜が倒れたのは記憶に新しいですが、折れた根元はそのままで、別の植物が植えられていました。後継の桜を植えるということはしない様ですね。まあ、どう見てもスペースが狭いので、桜を育てるのは難しそうです。根っ子を掘り出すのだけでも大工事になりそうですしね。

今思うとあの巨木が良くここで育っていたものだと感じます。樹齢は100年だったと聞きますから、以前はもっと広い地面があったのでしょうか。建物を拡張していく内に露出した地面が少なくなり、桜か弱った原因の一つかなという気もします。まあ、あくまで私の勝手な想像で、根拠はないのですけどね。

なお、桜のあった明保野亭は幕末からここで営業していた様に言われますが、新選組が事件を起こした当時の明保野亭は今の青竜苑の辺りにあり、南にある茅葺きの門が唯一の遺構です。今の明保野亭は屋号だけを引き継いだものですね。

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三年坂の名の由来にも諸説があり、一番有名なのが清水寺の門前にあった泰産寺・子安の塔に、安産祈願を行うために登ったため産寧坂と呼ばれたと言われます。また大同三年に出来た坂だから三年坂、清水寺に参拝した人がこの坂で再び念を強くするから再念坂と呼ばれたとする説もあります。さらにここで転ぶと三年後に死ぬからという物騒なものもありますね。ただ、いずれも根拠は薄く、文献はいくつかありますが、どの本も江戸時代に書かれた京都の観光案内書であり、一次資料と言えるものではありません。おそらく地元に伝わっていた伝承を拾ったものなのでしょう。そのせいか文献に記されてる中では、三年後に死ぬという説が一番多いのも面白いですね。ですので、どれが正しいかは不明で、どの説を信じるかは人それぞれという事になりそうです。

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桜の無くなった空間はなんだかスカスカしていますね。もう綺麗な花を見ることが無いと思うと寂しいです。ただ子供の頃も見ていたはずですが、なぜか記憶に無いのです。三年坂は課外学習で何度も訪れて石段の数を数えたり、分度器で坂の角度を測ったりしたものなのですけどね。当たり前すぎて気にも止めてなかったのかな。それとも半世紀以上前のことなので、桜もそれほど大きくなかったからかも知れません。

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でも見方を変えればすっきりした景色になったとも言えますね。今は物足りないですが、時間と共にこれがデフォルトの風景となっていく事でしょう。桜は記憶の中に留めておくことにします。

2024年6月29日 (土)

京都・洛東 早朝の散歩道2024 ~二年坂 6.20~ 

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八坂の塔から少し登って二年坂に来ました。一見誰も居ない様に撮っていますが、この背後や横にはインバウンドの方達が並んでいます。東山界隈は早朝に来ても、以前の様に独り占めとは行かなくなりました。

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最近建てられた二年坂の道標です。少し前までは二寧坂と表記される事が多かったですが、産寧坂と違って意味が通じません。やっぱり二年坂の方がしっくり来ますね。名前の由来としては大同二年に出来たからという説がありますが、調べた限りでは特に根拠は無い様です。私的には三年坂に続く坂で、少し小さいため二年坂と呼ばれる様になったという説がぴったり来る様な気がしています。

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今の時期、二年坂を彩るのがこの紫陽花です。古い町並みに良く似合う花ですね。雨のしとしと降る日に来ると、一層風情を感じますよ。

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この辺りの地名は桝屋町。江戸時代に枡屋喜兵衛という人が屋敷を構えた事から付いた地名だそうですね。それ以前には祇園社の領地で畑だったのだとか。今からでは想像も付かない光景だったのでしょうね。大正時代に宅地開発が行われ、貸家街となって今の町並みが形成されました。志賀直哉の暗夜行路に高台寺の貸し家を見に行く場面がありますが、このあたりの家を想定していたのでしょうか。

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二年坂の北側の入り口です。左手の建物は好立地にも関わらず何度も店が変わりましたが、今は外資系のホテルになって落ち着いた様です。あまり気楽に入れる雰囲気では無く、インバウンドや富裕層を目当てにしているのでしょうね。京都はこういうホテルが増え、日本人の庶民は相手にされない感じになって来ていますが、これで良いのかしらん。京都は日本の古都、外人のための高級リゾート地じゃないのにね。

2024年6月28日 (金)

京都・洛東 早朝の散歩道2024 ~八坂の塔 6.20~

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祗園から建仁寺を通り抜けて八坂の塔に来ました。桜時分の混雑に懲りて敬遠していたので、ここまで来るのは久しぶりですね。

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八坂の塔は正確には法観寺の五重塔。寺伝に依れば聖徳太子が如意輪観音の夢告によって建立し、仏舎利を収めたとされます。当時は八坂寺と呼ばれ、諸堂を備えた大寺だったと考えられています。あるいはこの地を支配していた八坂氏の氏寺だったという説もありますね。平安時代を通じて栄えていましたが、鎌倉期に入ると衰退を始め、1240年には建仁寺の末寺となって臨済宗に改宗しました。法観寺という寺名になったのもこの時とされます。八坂の塔はこれまで三度焼失しており、現在の塔は1440年に足利義教によって再建されたものです。応仁の乱の時は物見台として使われたとの事ですが、よくぞ戦火を免れて残ってくれたものですね。

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塔を下から見ていると、見慣れない花が目に入りました。たぶん最近植えられたのでしょうね。白い綺麗な花で、調べてみるとシマトネリコの様です。無粋なものは困りますが、こうした上品なものが増えるのは嬉しいですね。

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拝観は相変わらず不定期の様ですね。何時開けるかはお寺の人の都合次第の様です。なので、開いて入ればラッキーというところなのかな。確からしいのは拝観時間が10時から15時という事くらいですが、この時間帯はインバウンドの人たちで一杯なんですよね。正直言って、あまり近づきたくはないなあ。

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八坂通は朝からインバウンドの人たちで賑わっていましたが、高台寺の入り口には誰も居ませんでした。この角度の写真は、外国の方には人気が無いのですかね。久しく夕景は撮りに来ていないので、次は日暮れ時に来てみようかな。上手く夕焼けに遭うと嬉しいのですけどね。

2024年6月27日 (木)

京都・洛東 早朝の散歩道2024 ~花見小路 6.20~

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祗園白川から四条通を渡って花見小路に来ました。昼間は観光客でごった返してとても来る気にはなりませんが、早朝なら誰も居ない静かで情緒のある道です。

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祗園の中でも最も格式の高い御茶屋、一力亭です。江戸時代の歌舞伎、仮名手本忠臣蔵で、大石内蔵助が豪遊した場所とされ、一躍有名になりました。本来の屋号は万亭だったのですが、芝居の中では万の字を崩して一力とされ、その方が世間に広まった事から、本家も屋号を変えたとの事です。でも、今でも暖簾には万亭と書かれていますね。

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祇園町南側の一帯は明治以前は建仁寺の境内だったところで、上地令により京都府に召し上げられ、遊郭を管理していた八坂女工場に一括して払い下げられました。女工場は与えられた土地を花街として開発し、その中心の通りとして花見小路が設けられました。八坂女工場は現在の八坂女工場学園に引き継がれており、現在も土地の管理は女工場が行っています。同じ花街でも個人が土地を所有していた祇園町北側が雑居ビル街になっているのに対し、南側が花街としての景観を保っているのは女工場が守って来たからで、新規に出店する際には外観は無論の事、商売の内容も祗園に相応しいか厳格な審査があるとの事です。

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花見小路にある丸ポストです。郵便よりメールやネット上でのやりとりが主流となっているのは祗園でも変わりませんが、スマホを持つ事が禁止されている舞妓さんにとって郵便は唯一の外部との連絡手段です。何気ない景色ですが、祗園にとっては掛け替えのないポストなのですね。

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先日昼間に通った時には人が多すぎて気づきませんでしたが、そこら中に立て札が立っていますね。そして木製に見せかけた三角コーンの多い事。立ち入り禁止と入り口を塞いでいる御茶屋さんもあります。随分と見苦しくなっていますが、あの数の観光客、特にインバウンドの方達が溢れている状況ではやむを得ない処置なのでしょう。

不思議なのは、なぜインバウンドの人たちは一カ所に固まるのでしょうね。祗園に清水寺、金閣寺、錦市場、嵐山。インバウンドが来るのは構いませんが、あまりにも同じ場所に集中しすぎです。富士山でも問題になっていますが、SNSの弊害でしょうか。京都市も外国から呼び込むだけでなく、抜本的な対策を取ってほしいですね。

2024年6月26日 (水)

京都・洛東 紫陽花2024 ~祗園白川 6.20~

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令和6年6月20日の祗園白川です。この日は始発に乗って京都を訪れ、祗園白川を皮切りに東山界隈を散策してきました。

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祗園白川とは、祗園の中でも白川沿いに広がる区域を指します。川沿いに植え込みがあり、歩道を備えた広い石畳の道が通っていて、祗園の中でも他とは違う独特な雰囲気があります。なぜこういう特徴的な町並みになったのかと言うと、戦争と関係しています。

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戦前はこのあたりは御茶屋が立ち並ぶ区域でした。どれくらい密集していたかと言うと、吉井勇が枕の下に水の流るると詠った様に、白川を半ば埋める様にして建てられていたのですね。今なら違法建築ですが、当時はお構いなしだったのでしょう。それがなぜ無くなったのかと言うと、戦時中に強制疎開があったからでした。大規模なものだと五条通や御池通が知られますが、ここ祗園でも火除地を作るために、強制的な立ち退きがあったのですね。

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その中の一つに大友もありました。大友は吉井勇を初めとして、夏目漱石、谷崎潤一郎など錚々たる文化人と交流のあった磯田多佳が営んでいた御茶屋で、かにかくにの碑のあたりに建っていました。今、祗園白川に紫陽花が多いのは多佳女が愛した花だからで、祗園を文化的に高める事に貢献した彼女を偲び、地元の人たちが植えたのだそうです。

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祗園白川を代表する景観が巽橋。最も京都らしい風情を持った橋で、とても絵になりますね。1829年に初めて架けられたと資料にありますが、1864年の古地図には載っていませんね。今の旅館白梅の前にあるような、御茶屋に入るための小さな橋だったのかな。その後変遷を重ね、今の橋が出来たのは昭和32年の事です。景観に配慮した良い橋を架けたものですね。以前は昼間にここを通る人は少なかったのですが、今は9時を回る頃にはインバウンドの方達でいっぱいになります。情緒を楽しみたいなら早朝に来るしか無いですね。

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巽橋から続く道が切り通し。祗園らしさが凝縮した様な小径で、多佳女が暮らしていた頃を彷彿とさせるものがあります。でも幕末の頃の地図を見るとこの道はまだ無いですね。祗園白川もびっしりと家が建ち並び、川の畔に家があるのでは無く、家並の中を白川が流れていたという感じです。今とは全然違いますね。この道が出来たのはたぶん明治に入ってから、文字通り家を切り開いて作られたのでしょう。都を失い衰退した京都を活性化させるべく様々な改変が行われましたが、この道もその一つだったのでしょうね。小径一つが祗園の繁栄を支え、今では屈指の観光名所となっているのですから、明治の人はとても良い仕事をしたと言えるのではないでしょうか。

2024年6月25日 (火)

京都・洛北 青紅葉2024 ~実相院 6.19~

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蓮華寺から叡電を乗り継いで実相院に来ました。岩倉駅から実相院まではバスがありますが、残念ながら時間が合わず、歩いてたどり着きました。時間にして15分程、ちょっと暑かったですが、岩倉の町並みを見ながらの散策は楽しかったです。

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実相院は天台宗に二派ある内の寺門派の流れを汲みますが、単立寺院、つまり総本山の三井寺の傘下には属していない寺です。創建は1229年の事で、当初は紫野の地に開かれました。初代住職は鷹司家の出である静基僧正で、貴族が住職となるいわゆる門跡寺院ですね。後に今出川小川の地に移転しており、今でも実相院町の地名が残っています。

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現在の地に移ったのは1474年の事で、応仁の乱の戦火を逃れる為でした。しかし、ここでも戦乱の渦を免れることは出来ず、務町時代末期には、ほとんどの堂舎が焼失しています。江戸時代に入ると徳川家光の援助を受け、再建が進みました。この頃になると住職は皇室縁の人物が勤める様になり、以後明治に入るまで続きます。皇室との繋がりが出来た事により、本堂、四脚門、車寄せなどが京都御所から移築され、現在の寺容が整いました。

庭園はこの池泉回遊式と枯山水の二つがあり、楓樹が多い事から青紅葉、紅葉の名所として知られます。この池にはモリアオガエルが生息しており、卵は見つかりませんでしたが独特の鳴き声は響いていて、なかなか風情がありましたよ。

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こちらが枯山水のこころのお庭。市民参加型プロジェクトとして整備された庭で、七代目小川治平衛さんの監修の下、ボランティアで参加した市民の手で造られました。完成してから10年が経過しましたが、すっかり落ち着きましたね。ただ昨年メインの桜が枯れ、今年3月に植え替えられています。

どこでも同じですが、庭を維持するには不断の手入れが必要で、この日も真夏を思わせる日差しの下、草引きをされていましたね。暑い中ご苦労様と思いながら写真を撮らせてもらいました。

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実相院は床に写るもみじで有名ですが、初夏は床みどり、秋は床紅葉、冬は雪化床と呼び名が変わります。残念ながら撮影は禁止で写真はありませんが、床が波打っており、ゆらゆらと揺れる感じでなかなか綺麗でしたよ。

実相院は痛みが激しく補修が必要なのですが、門跡寺院である事から檀家は無く、また文化財の指定も受けていない事から国の補助も受けられないため、資金を集めるクラウドファンディングや、支援活動を募る実相院クラブの募集をされています。補修費用は4億円と見積もられており、まだまだ不足している様ですね。補修作業に参加する事は無理ですが、また拝観に訪れる事で微力ながら協力したいと思っています。

2024年6月24日 (月)

京都・洛北 青紅葉2024 ~蓮華寺 6.19~

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三明院から7~8分ほど歩くと蓮華寺に着きます。天台宗の小さな寺ですが、池泉鑑賞式の庭を持ち、境内に楓樹が多い事から紅葉の名所として知られます。

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蓮華寺は今は上高野という町外れにありますが、かつては京都駅近くにあった西来院という時宗の寺でした。西来院はご多分に漏れず応仁の乱で焼失してしまったのですが、江戸時代の初期に加賀前田藩の人、今枝近義によって今の地に再建されました。近義が再建を思い立ったのは、祖父の重直の供養のためでしたが、重直は京に聞こえた文人の一人で、当代一流の人物たちと交流がありました。このため、蓮華寺の建立にあたっては、石川丈山、狩野探幽、隠元龍埼など錚々たる人たちが協力したと言われます。小さな寺ですが、江戸時代初期の文化が凝縮されている訳ですね。

なお、蓮華寺は重直の庵があった場所で、さらに遡れば天台宗の同名の廃寺があった事から、今の寺名になったとされています。

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蓮華寺の山門を潜るとすぐ左手に夥しい数の石仏が祀られています。これは市電の河原町線が整備されたときに出てきた石仏で、かつて鴨川の河原にうち捨てられた人々を供養するための石仏が、長年土の中に埋まっていたものが出てきたと考えられており、この寺に集められて供養されているとのことです。

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実はこの蓮華寺にはあまり良い印象は持っていません。この寺を訪れる様になっておよそ20年、その間に色々なお坊様に会いました。大抵は受付で言葉を交わす程度ですが、説法を聞かせて貰った事もあります。ほとんどの人は穏やかで常識的な人だったのですが、ある日あまりにも居丈高で、高圧的なお坊様と出会ったのです。詳細は省きますが、いきなり人を怒鳴りつけて来て、こちらの話はまるで聞こうとせず、一方的にまくし立てるだけで、ここはブラック企業かと思ったものです。20年通って、こんな人は初めてでしたね。以来、この寺で説法があっても聞く気になれず、庭の写真だけ撮って帰ることにしました。この日の受付にいたお坊様はごく穏やかな方で、説明も丁寧なものでした。同じ寺でもえらい違いですね。長い間寺巡りをしていると色々な人に会いますが、お坊様も十人十色、本当に凄いなと思う人も居れば何だこれはと思う人も居て、お寺の印象もその都度180度変わります。出会いというのは大切なものだと思いますね。

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蓮華寺の帰り道、高野川に架かる橋の上から見た比叡山です。子供の頃からずっと見て来た山ですが、見る角度によって表情が全く異なります。そこがまた面白い山なのですけどね。この間近に迫った険しい感じも良いもので、しばらく見とれてしまいました。ここから電車を乗り継いで実相院へと向かう事にします。

2024年6月23日 (日)

京都・洛北 青紅葉2024 ~三明院 6.19~

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三宅八幡宮の池の外れに小さな小径があります。今は半分壊れてしまっていますが、以前は水車が回る素敵な小径でした。あの水車小屋はもう直さないのかなあ。とても趣きがあって良いと思うのですが。

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その小径を少し歩くと三明院に出ます。明治39年に山形県から移ってきたという真言宗醍醐派の寺で、小さいながら手入れの行き届いた気持ちの良い寺です。樹齢100年を超えるという楓樹が10本あり、春の青紅葉、秋の紅葉の隠れた名所です。

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この寺で目立つのは多宝塔です。昭和36年に出来たコンクリート製ですが、ぱっと見とても絵になりますね。ただ、下を見るとピロティー式で、コンクリートの柱が並んでいるのが見えて、なんだこれはとなります。あまり近づかずに遠くから見るのが吉ですね。余計な心配なのでしょうけど、地震が起きたらこの塔は大丈夫なのかなと気になってしまいます。それほど柱が剥き出しで、不安に駆られるのは私だけなのかしらん。

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せっかく青紅葉を楽しもうとやって来たのですが、この日はなぜか門が閉じられていました。いつもは開放されているのですけどね、一体どうしちゃったのかしらん。念のため調べてみましたが、理由は判りませんでした。非公開になったという訳では無い様ですね。

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まあ入れないのは仕方が無いので、蓮華寺に向かってぶらぶらと歩いて行く事にしました。何度となく来ているところですが、改めてじっくり見ると古い町並みが残っていて、風情のある良いとこですね。ところどころに紫陽花も咲いていて、素敵な散策路でした。観光地ではないので地元の人にとっては、朝早くからうろつく怪しい余所者だったかも知れませんけどね。私的には新たな発見もあって、楽しい一時でした。

2024年6月22日 (土)

京都・洛北 半夏生2024 ~三宅八幡宮 6.19~

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令和6年6月19日の三宅八幡宮です。この日は半夏生を見に行ったのですが、未だ少し早く2~3分咲きといったところでした。

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三宅八幡宮は、社伝に依れば推古朝の時、小野妹子によって開かれたとされます。今は上高野と呼ばれるこの地に妹子の領地があって、かつては小野郷という呼称だったのだとか。宇佐八幡宮を崇敬していた妹子が、八幡神をこの地に勧請したのが始まりと言われます。あまり知られていない小さな神社ですが、平安京以前からの歴史を持つ侮れない存在だったのですね。

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半夏生の花は細長い花序の部分です。白いのは葉で、花が咲く同時に色が変わり始めます。おそらく虫にアピールするためで、ハナアブの仲間が多く集まるそうです。花には蜜は無く、あるのは花粉だけで、虫は花粉を食べに来るのだとか。葉の色だけで虫を惹きつけるとは、何とも面白い戦略を身につけたものですね。植物の生態の奥深さ、不思議さを感じます。

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二十四節気七十二候の一つに半夏生があります。夏至から数えて11日目を言いますが、半夏が生じる頃という意味で、この半夏はカラスビシャクという植物の事を指すとの事。この半夏生とは全く違う植物なのですが、今は混同される事が多い様です。実際、咲く時期も似てますからね。

半夏生を調べていて判ったのですが、関西では半夏生にタコを食べる習慣があるのだとか。私も関西在住ですが、これは知らなかったです。関西と言っても広いですが、どのあたりの習慣なんでしょうね。せっかくなんで、今年はたこ焼きでも食べようかなと思っています。ちなみに今年の半夏生は7月1日です。

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三宅八幡宮の半夏生が見頃ににるのはもう少し先、月末から7月初旬頃でしょうか。今年は花の進行が早いのでこの花も見頃かなと来てみましたが、ここではほぼ例年通りの様ですね。何とも見頃を読むのが難しくて困まる今年の花暦です。

2024年6月21日 (金)

京都・洛東 青紅葉2024 ~智積院 6.14~

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今の時期の智積院のもう一つの魅力、青紅葉です。新緑の時期は過ぎましたが、まだ瑞々しさは残っており、十分に美しさは保っています。

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智積院のもみじは参道や金堂、不動堂周りにもありますが、メインは庭園になります。この庭園、17年前には駐車場だったなんて、誰も思わないでしょうね。当時はなんて大胆なと驚いたものですが、すっかり落ち着きの出た庭園を観ていると、智積院の決断は正しかったと言えるのでしょう。

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庭園のアクセントになっている鐘楼は、平成10年に旧宗立智山専門学校の同窓生から寄贈されたものです。庭は後付けな訳ですが、あたかも最初から一体として整備されたかのように調和していますね。設計の妙と言いますか、上手く処理したものです。

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智積院にはもう一つ境内の北側の奥に鐘楼がありますが、1616年に建てられたという由緒のあるものです。ずっと智積院の鐘として使われてきたのでしょうけど、奥まったところにあるため知らない人の方が多いんじゃ無いかな。現在はこの鐘楼がメイン、除夜の鐘もこちらの方が使われています。

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智積院の青紅葉はとても綺麗でした。この日は京都の最高気温が全国一という暑い日でしたが、もみじの下に居る間はさほど不快ではなかったですね。爽やかな景色に癒やされたという感じです。次に来るのは紅葉の時かな。もみじが綺麗に色づいてくれると良いですね。

2024年6月20日 (木)

京都・洛東 紫陽花2024 ~智積院 6.14 見頃~

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藤森神社から智積院に来ました。ここも金堂裏に紫陽花園が整備されており、京都における名所の一つになっています。

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ここは拝観料は無料で、誰でも入る事が出来ます。位置関係からしても、最も気軽に訪れる事が出来る紫陽花園と言って良いでしょう。智積院は四季を通じて見所が沢山ありますが全て無料、本当に有り難いですね。僧侶の方も職員の方もすれ違う都度に挨拶をしていかれますし、とても気持ちの良い寺です。

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ここに紫陽花園が整備されたのは2008年頃だったかな。過去記事を遡ったのですが、それ以前には見つけられませんでした。当時は数は多かったですが、本当に苗木が並べられているという感じで、弱々しい印象を受けたのを覚えています。あれから16年が経ち、どの株も立派に成長し、見事な紫陽花園になりましたね。智積院の丹精を込めた管理が実ったという事なのでしょう。

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この日は平日にも係わらず、そこそこの人が来ていました。この紫陽花園も随分と知られる様になったのですね。でも混み合うという程では無く、気を使わずに撮影する事は出来ました。

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紫陽花園に向かうべく参道を歩いていると、カラコロという下駄の音がしました。おやっと思って横を見ると、和服を着た若い女性達が歩いていました。でも言葉を聞いているとお隣の国の方でしたね。以前は舞妓体験が大流行りでしたが、最近では見かけなくなりました。その代わりインバウンドの方による和装体験が増えています。和服の魅力を外国の方が理解してくれるというのは喜ぶべき事なのでしょうけども、日本人よりずっと多いというのは複雑な気がします。

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智積院の紫陽花はどうでしょう、そろそろ陰りが見えてくる頃かな。息の長い花ですけど、このところの暑さは異常ですからね。次は蓮に期待したいところですが、この日はまだつぼみも上がっていませんでした。三室戸寺では咲いていたのですけどね。咲いたとしても蓮にあまり勢いは感じられず、数輪で終わってしまいそうな感じです。わざわざ見に来る価値があるかどうかは微妙なところです。

2024年6月19日 (水)

京都・洛南 紫陽花2024 ~藤森神社 6.14 見頃~

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三室戸寺から藤森神社に来ました。ここも紫陽花の名所として知られ、毎年訪れるのを楽しみにしています。

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藤森神社の紫陽花苑が出来たのは昭和63年の事。三室戸寺のあじさい園は平成元年頃から整備され始めたので、こちらの方が先輩ですね。紫陽花園はその頃の流行だったのかしらん。以前は沢山の紫陽花の中に細い通路があり、鬱蒼とした感じだったのですが、昨年大幅にリニューアルされ、バリアフリー化を施したほか、紫陽花の種類も増えました。とてもすっきりとして歩きやすく、かつ花も見やすくなり、このリニューアルは正解でしたね。

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今の紫陽花苑には花菖蒲も植えられています。藤森神社は菖蒲の節句発祥の地とされ、この紫陽花園も最初は花菖蒲園にしたかったのだとか。理由は判りませんが、それが紫陽花に変わってしまった訳で、リニューアルを機に一部を本来の目的だった花菖蒲のコーナーとしたのでしょうね。

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紫陽花苑の会期は6月1日からおよそ一ヶ月とされ、閉苑時期は決まっていません。これは毎年の事で、花の開花状況を見て決められます。今年は異様に暑いので花が痛むのも早く、閉園も早いかもしれませんね。

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藤森神社は勝負と馬の神様とされます。菖蒲は本来厄除けの植物で、疫病退散の意味で用いられたのですが、音読みが尚武と同じでさらに勝負に通じる事から、いつしか勝ち運の神様とされる様になりました。また5月に奉納されるのが馬の神事である事から、馬の神様とされたようですね。このため、藤森神社は競馬関係者からの尊崇が特に篤いとのことです。

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藤森神社には第2紫陽花苑もあります。主として本殿の裏側に広がっていますが、こちらはリニューアルの対象外で以前と全く変わっていません。それにどういう訳がここ数年は花付きが悪いですね。この日もほとんど咲いておらず、ちょっと寂しい状況でした。かつてはここも結構な数の花が咲いていたのですけどね。

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拝観料は第一、第二紫陽花苑共通で500円、第一紫陽花苑のクオリティを考えれば妥当かなと思います。この日から五日が過ぎていますが、多分まだ見頃は続いているでしょう。でも訪れるなら早めの方が良いと思いますよ。

2024年6月18日 (火)

京都・洛南 紫陽花2024 ~三室戸寺 6.14 見頃~

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令和6年6月14日の三室戸寺です。この日はあじさい園が見頃を迎えていました。

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こちらは毎年恒例になった紫陽花の花手水です。花手水は長岡京市の揚谷寺で始まり、コロナの流行で手水が使えなくなったのを機に一気に広まりました。三室戸寺でも2020年から始めたとの事ですね。コロナは5類に移行し様々な規制が無くなりましたが、花手水を止めるところは少なく、益々豪華になっているところが多いです。ここも2年前に来た時より規模が大きくなっていますね。水に浮かべた花は痛むのが早く、入れ替える手間が大変で同じ物は二度と作れないそうですが、見ているぶんにはとても綺麗でこれからも続けて欲しいです。

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三室戸寺の紫陽花は約二万株あるとされています。元々あじさい寺として有名でしたが、数年前に規模を広げたのだそうですね。様々な種類の紫陽花が植わっていますが、こだわっているのは品種ではなく花色なのだとか。如何に見栄えがするのかに心を砕いているのだそうです。

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それにしても広大なあじさい園ですね。紫陽花を見に来たのは2度目ですが、前回よりも沢山の花が咲いており、ここの真骨頂を見せて貰った気分です。

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ただ以前にはあった茶店が無くなっていますね。調べてみると昨年限りで営業を止めたのだそうです。結構流行っていた様に見えたのですが、採算が取れてなかったのでしょうか。楽しみにしていた人も居たでしょうに、少し残念ですね。

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あじさい園は7月7日まで開園されています。拝観料は1000円、ここは花の時期は値上がりするのですよね。まあ、これだけの花を維持管理するのは大変で、費用も相当な額に上る事でしょう。2万株の紫陽花を切り戻しすると考えただけでも気が遠くなりますしね。これ以上の値上げは無い事を願いつつ、また来年を楽しみに待つことにします。

2024年6月17日 (月)

丹波紀行2024 ~福知山市 4.10~

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丹波篠山から福知山線に乗り、福知山へと向かいました。篠山口を出るとすぐに車窓が山里に変わります。まだ大阪の近辺にこんな所があったんだと思うくらい新鮮な景色でしたね。手入れの行き届いた田畑に山林、古びてはいるけれど整った家並みや小径、絵に描いた様な日本の山里です。途中いくつか川がありましたが、大抵の堤防上に桜並木が整備されており、それがことごとく満開、実に見事でした。とある村はずれの辻に咲く一本桜は、あたかも一幅の絵のようです。また駅を通過するごとに光がぱっと輝きを増します。駅の周囲が桜で覆われているのですね。丹波の里は産物の豊かさで知られますが、景色もこれほど美しいとは驚きの連続でした。

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これも里人が何代にも渡って営々と里を護ってこられたからだこそでしょう。一足飛びにこんなに豊かな山里は出来ません。大げさでは無く、これはとても貴重な財産、宝物だと思いました。

でも、いつまでここが保つのだろうと不安にもなりました。消滅可能性自治体にこそ入っていませんが、丹波篠山市の人口はずっと減少傾向にあって、現状で四万人を切っており、2060年には二万人程度にまで減少すると予測されています。高齢化率も50%近くになるとか。都心部を含めてこれですから、山間部はどうなってしまうのでしょうね。住む人が居なくなれば田畑が野に帰り、山は荒れ果ててしまいます。貯水機能は失われて雨が降る度に川が暴れて洪水となり、下流の町もただでは済まないでしょう。山里の豊かな恵みと美しい風景、伝承されてきた数々の文化を失い、都会の住民は自然の脅威に晒されながら暮らす、そんな未来は来てほしくないですね。でも今のうちになんとか対策しないと、取り返しが付かない事になってしまいそうです。

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そんな事を考えていると、やがて福知山に着きました。今では京都府と兵庫県に分かれていますが、元はと言えば篠山と一続きの丹波国でした。福知山はその丹波の中央部に位置し、古くから交通の要衝として栄えてきました。城下町としての基礎を造ったのは明智光秀、1579年に丹波平定に成功し、その押さえとして福智山城を築きました。城は上の復元模型を見て判るとおり、福知山盆地の中に突き出た台地の上にあって、本丸と二の丸が同じ台地上に置かれました。

実際にこの城に入ったのは光秀の娘婿である明智秀満でしたが、三年後に起こった山崎の戦いで光秀が豊臣秀吉に敗れて明智氏が滅びると、秀吉の養子であった羽柴秀勝が城主となります。さらに城主は何代か代わり、関ヶ原の戦いの後は有馬豊氏が城に入って、近世城郭としての福知山城と城下町を形成しました。最終的には複数の郭と城下町を三重の堀で囲った総構えの城となっています。

福知山城主はその後も変遷を重ね、1669年に朽木氏が入部し、幕末まで続く事になります。

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福知山城で面白いのは将棋の竜王戦の舞台となっている事で、2018年と2022年の二度行われています。現代のお城将棋として話題を集めましたね。対局の間は上の写真の様に保存されており、誰でも自由に入れて対局者の気分を味わう事が出来ます。でも天守の中は思っていたよりも狭くて、対局者や立会人の控え室はどうしていたのかなとちょっと不思議でしたね。

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明治に入ると福知山城は廃城となり、いくつかの城門が寺に転用された他は徹底的に破壊されました。この写真は天守から西を眺めたところですが、一番右にあるのが福知山市役所、その左にある小高い丘が二の丸跡です。天守からこの丘までは一続きだったのですが、町の発展と共に掘り崩されて原型は止めていません。

本丸と天守台はわずかに残されており、古図を頼りに復原されたのが現在ある天守です。昭和61年の事で、瓦一枚運動という市民から寄付を募ることで資金が捻出されました。コンクリート造りですから外観復原天守と言うのが正しいのかな。でも外観は木造の様に見える巧妙な仕事がしてあります。

この天守は古図だけからの復原だったのでどこまで正しいか疑問視する声もあったのですが、近年古写真が見つかりほぼ原型に近い形だと判かりました。未来に誇れる事業だった事が証明された訳で、何よりの結果ですね。

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二の丸跡の丘から眺めた福知山城です。お城の受付の人に写真スポットとして聞いて来たのですが、実際に来てみると入り口が判らなくて困ってしまいました。たまたま近くに市の職員の方がおられたので聞いてみたところ、市役所の裏から登れると教えてくださり助かりました。ところがいざ登ってみると、背丈より高いフェンスで囲われているのですね。仕方が無いので両手を伸ばしてカメラをうんと上げてモニターを見ながら撮ったのですが、なかなか水平が出せなくて手こずりました。何回かトライし直してやっと撮れたのがこの写真です。

この反対側から撮った写真が城のホームページに使われているのですが、どこにそんなスポットがあるのかな。

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昼食は福知山で食べる事にしていました。いろいろ探したのですが決め手が無く、ふと思いついたのが竜王戦の勝負飯、藤井竜王にあやかろうと思ってやって来たのが柳町という料亭です。

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柳町は結構な人気店、平日でもあらかじめ確かめた方が良いよと観光案内所で聞いていたので、だめ元で電話してみると一席だけ空いているとの事。急いで店に来てみると入り口に本日は予約で満席とありました。いやラッキーでしたね。案内所の方、ナイスアシストでした。

頂いたのは京地鶏の親子どんぶり。藤井竜王は二日目の昼に食べたのだったかな。藤井竜王の勝負飯はとても話題になるので、対局を開催する地元でも力を入れており、毎回名店揃いのメニューが用意されます。これはその中の一つですから美味しいに決まっています。実際とても濃厚な味わいで、選んで正解でした。

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福知山にはあまり城下町らしい町並みは残っていません。わずかに柳町のある京街道跡に面影がある程度かな。明治以降、積極的に再開発が行われたのでしょうね。その代わり、広小路、新町など昭和レトロを感じさせる商店街がいくつかあって、懐かしい気分にさせてくれます。ご多分に漏れず、郊外のショッピングセンターに押されてシャッターが目立つようになっていますけどね、まだ健在な店もあってかつての賑わいを感じる事は出来ます。

その一つ、広小路はかつて大火があったとき火除地として広げられた道で、その名の通り広々として気持ちの良い道でした。途中にSLがあったのには驚きましたけどね。その広小路の突き当たりにあるのが御霊神社、明智光秀を祀る神社です。元は稲荷社だったのですが、光秀を名君として慕う領民達の願いにより神として合祀され、名も御霊神社と改めたとの事です。江戸期を通じて謀反人として忌み嫌われた光秀ですが、この町では評価が180度違います。世間の評判が当てにならないのは、近江八幡における秀次に通じるところがありますね。

この神社の前が公園になっているのですが、そこに浸水水位を示す標識がありました。見上げる様な高さで、町中がことごとく湖になったんじゃないかと思える程の水深でした。市内を流れる由良川が氾濫したためで、福知山は水害に苦しみ続けてきているのですね。由良川はやっかいな川で、福知山のあたりは平地ですが、下流に行くと山間部になり、川幅が狭くなるのです。このため、大水が出ると下流でせき止められる形となり、福知山で氾濫してしまうのですね。光秀が名君とされるのは、この由良川の治水に正面から取り組んで成果を上げたためであり、今でも明智藪という光秀が築いた堤防が残っています。治水が進んだ現在でも水害とは無縁ではなく、数年に一度は被害がある様ですね。御霊神社には日本で唯一という堤防神社があり、この町が如何に水害と闘ってきたかが偲ばれます。

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福知山は平成の大合併によって市域が広くなっており、かつての大江町なども含まれます。ですので観光名所はまだまだあるのですが、公共交通機関を使って廻るのはかなり無理があり、やっぱり自家用車で訪れるのが現実的かな。あるいは観光タクシーを使うかですね。城下町を廻るだけなら徒歩圏内ですので、電車で来て半日あれば十分です。電車は京都方面に向かう山陰線が一時間に二本程度で、うち一本が特急です。大阪に向かう福知山線も同様ですね。ややこしいのが京都方面として東舞鶴行きの電車が表示されていることで、時刻表だけ見ていると間違えるので注意が必要です。

駆け足の丹波路でしたが、好天に恵まれ、桜も満開で楽しませて貰いました。何人もの人に親切にして頂いたのも嬉しかったですね。今度はどちらか一方に絞って、食べ歩きでもしてみようかな。秋の丹波路も良さそうです。

2024年6月16日 (日)

丹波紀行2024 ~丹波篠山市 篠山城跡~

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篠山城跡は町の中心部にあり、河原町からも御徒町からも歩いてすぐのところにあります。ここに来る前に兵庫県屈指の桜の名所と聞いていたのですが、実際に来てみて驚きました。御徒町から河原町までは南の堀端を歩いたのですが、見事な桜のトンネルでした。そして北側に目を向けると、石垣のそこかしこで桜が咲いています。兵庫県屈指という表現は伊達ではなかったですね。

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篠山城が築かれたのは1608年の事、徳川家康の命により八上城主であった松平康重が築きました。縄張りを行ったのは東堂高虎、普請に当たったのは十五カ国二十大名で、いわゆる天下普請です。目的は豊臣氏の大坂城包囲のため、及び西国諸大名に対する備えとしてでした。築城に掛かったのはわずかに六ヶ月ですが、二重の堀と三つの馬出を持ち、総石垣造りの非常に堅固な城でした。外堀沿いには土塀と隅櫓、内堀上には多門櫓を廻らせ、各虎口は枡形で固めたまさに鉄壁の構えだった様ですね。写真の正面に見えるのが天守台ですが、ここに天守が築かれる事はありませんでした。これはあまりに堅固に造りすぎたために、幕府から天守は建てるなと止められたとからと伝わります。あるいは天守は大砲の目標になるだけで無用の長物だと家康が言ったからだとも、実は名古屋城の建設のために人手を取られたからだとも言われます。

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篠山城は第八代まで三家の松平氏が入れ替わり、九代目からは青山氏の居城となっています。石高は最初は五万石、後に六万石に加増されました。明治に入ると廃城となり、施設のほとんどは破却されました。唯一二の丸の大書院だけが解体に多額の費用が掛かるために放置され、これを旧藩士の一人が入手し保存される事となります。その後は大書院は小学校から公民館として活用され、二の丸御殿跡には女学校が建てられました。そして本丸には青山氏の祖先を祀る青山神社、三の丸は小学校や中学校、幼稚園、農学校などが建てられた様です。

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この石碑には農学校発祥の地とありますね。現在の三の丸には篠山小学校が残るだけで、他の幼稚園などは城外に移され、多目的広場や駐車場として整備されています。それにしても石垣に桜は良く似合います。こんな景色がそこかしこにある訳で、名所と称えられるだけのことはありますね。

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唯一遺構として残っていた大書院ですが、残念ながら昭和19年に焼失してしまいます。平成12年に至り、市民の寄付によって創建当時の姿で再建されました。内部を見学する事も出来、忠実に再現された上段の間など見応えがありますよ。その手前が二の丸御殿があった場所で、平面的に再現されています。

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ここが現在青山神社となっている本丸跡です。創建当時は石垣の上に多門櫓が廻らされていましたが、内部には何も無かった様ですね。本来は天守を護る郭だったのですが、天守が建てられなかったため、無用の区画になってしまったのかな。

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これは天守台からの眺望です。城下町や遠く丹波の山並みが見渡せる素敵な景色ですね。江戸時代には天守の代わりに平屋の櫓があったとの事です。

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この日は篠山の代表的な三つの名所を訪れただけですが、城下町だけなら徒歩で廻れる範囲であり、見るだけなら半日掛かりません。ショッピングやグルメ、歴史館などを楽しんでも一日掛からないかな。ただ、公共交通機関を使う場合はバスと電車の時間に制約があるので、注意が必要です。実はこの日はスマホのアプリでダイヤを確認していたのですが、なぜか電車の時間が違っており、数分の差で乗り遅れてしまいました。アプリの情報が古かったのかな。おかげで次の電車まで一時間待つ羽目になり、そんなに待っていられるかと特急に乗ってしまいました。あれは余計な出費だったなあ。

自家用車ならそんな心配は無く、周辺の名所もドライブがてら楽しめるのでお勧めですね。

2024年6月15日 (土)

丹波紀行2024 ~丹波篠山市 河原町妻入商家群 4.10~

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御徒町武家屋敷群からお城の堀端を歩く事10分程、河原町妻入商家群の入り口に着きました。ここから600m程の長さで、江戸時代さながらの町並みが続きます。

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妻入とは屋根の端側に入り口があるという意味です。この通りの商家の多くは家の端を通りに面して建ててあるのですね。これは京都の鰻の寝床と同じく、家の間口の大きさで税金が決まったため、家を横向きに建てる事により間口を狭くしているのです。そのぶん奥行きは長くして、居住空間を取っているのですね。その結果、この独特の景観が形作られました。

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これだけの商家が栄えたのは、篠山が西丹波の中心であった事、京都や大阪に通じる交通の要衝であった事などに依るものと思われます。塗り籠めの壁などを見ていると、相当に豊かな町だった事を伺わせますね。

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この町並みが今でも残っているのは、上級武士たちが東京に去って行った後、空き地となった城北の武家屋敷街が開発の対象となり、河原町や御徒町は手が付けられなかったからなのだとか。もう一つは町の中心に鉄道の駅が無かった事により町自体の発達が阻害されたためですが、よく聞くのが篠山の人たちが城下町の静謐を破る鉄道の建設に反対した結果だという説です。しかし実態は逆で、町の多くの人は鉄道が町に来るのを切望していたのだそうです。ところが明治時代に二つあった篠山への鉄道計画のうち、一つは駅の予定地の地権者が反対した事により挫折し今の篠山口駅に変更、もう一つの計画は資金の不足により立ち消えになってしまいました。それでも篠山の人たちは鉄道をあきらめず、大正時代になって篠山口から街中へと繋がる篠山軽便鉄道が敷設されたのですが、それも昭和19年に廃止になり、とうとう鉄道の無い町となってしまったのでした。こうして戦後の高度成長期にも取り残される事となり、大きな発展も無い代わりに古い町並みが残されたのですが、今となっては貴重な文化財、そして観光資源となっているのですから何が幸いするか判りませんね。

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このようにとても綺麗に保存されている町並みですが、実際に住んでいる人は少なくなっている様ですね。大洲でも見ましたが、一棟貸しのホテルになっている家が結構あり、元から居る人は減っている様子です。またカフェや土産物店に改装されている家も多く、それが観光客を引き寄せる要因にもなっているのでしょう。この時は平日の早朝だったので開いている店はほぼありませんでしたが、土日や休日はこの通りも結構賑わう様です。

次は篠山の中心、篠山城へと向かいます。

2024年6月14日 (金)

丹波紀行2024 ~丹波篠山市 御徒町武家屋敷群 4.10~

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かなりアップが遅れましたが、4月に丹波地方を日帰りで旅行して来たので、その様子をお届けします。まず訪れたのは丹波篠山市。大阪側から丹波地方への入り口にあたる町です。

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大阪からは快速電車に乗れば一時間と少し、最近は観光スポットとして人気を集めている所です。ただ行く前に調べて判ったのですが、JRの丹波篠山口から旧市街まではかなり離れているのですね。バスに乗って篠山本町まで約20分、歩くには遠すぎます。それに大阪から篠山口まで行く普通列車が一時間に一本程度しかありません。公共交通機関で行くにはかなり不便ですね。なので、自家用車がある方は、車で行った方がずっと自由が効きます。

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丁度桜の季節だったので混雑するのは避けて早朝に行ったのですが、大阪から出て行く列車なのに意外と混んでいました。尼崎を過ぎれば空くだろうと思っていたのですが、三田まで満席で、通路に立っている人も結構居ましたね。三田って大阪のベッドタウンだと思っていたのですが、大阪から通勤する人が結構居るんだと認識を新たにしたところです。

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篠山でまず訪れたのは御徒町武家屋敷群です。御徒とは馬に乗らずに戦う武士の事で、平たく言えば下級士族ですね。上級士族の屋敷は城の北側にあり、廃藩置県の時に藩主に従って東京へ移住したのだそうです。しかし、御徒の人たちの多くは篠山に残る事を選択したため、武家屋敷群はそのまま残る事となりました。ご覧のように土塀と茅葺きの屋根が特徴的で、街灯が無ければ江戸時代そのものという佇まいでした。金沢の武家屋敷街とはまた違った趣ですが、早朝という事もあってか誰も居らず、とても静かだったのは良かったです。

家が側溝から離れていて道が広く見えるのも特徴的ですが、これは1830年に大火があり、再建するにあたって火除地を確保するために後ろに引いて建てたからとの事です。

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それにしても我ながら情けないのですが、あらかじめ観光地図をダウンードし、予習もしていたのですが、バスを降りた途端方向を見失ってしまいました。バス停のすぐ前が武家屋敷群だと思っていたのですが、ごく普通の町並みなのですね。いきなりどうしようと困ってしまったのですが、丁度すぐ側のお寺の人が掃除をされていたため、もう少し奥の方だと教えて貰う事が出来ました。以前だと時刻表とガイドブックがあればどこへ行っても迷うことは無かったのですけどね、今はスマホ一つで何でも出来るのに返って判らなくなる事が増えました。デジタルに頼りすぎかな。でも、親切に教えて貰って助かりました。ここからお城の南側を通って河原町妻入商家群を目指す事にします。

2024年6月13日 (木)

京都・洛西 青紅葉2024 ~鹿王院 6.11~

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妙心寺から嵐電を乗り継いで鹿王院に来ました。1年前に来た時は補修中だった舎利殿も作業が終わり、仮覆いが取れてすっきりしました。

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鹿王院はみこじが多く、初夏の青紅葉、秋の紅葉共に素晴らしいものがあります。でも嵐電の駅名になっているにも関わらず訪れる人は少なく、いつ来ても静かなのは不思議ですね。まあ、それが良い所でもあるのですが。

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鹿王院が建てられたのは1380年(康暦2年)の事で、開基は足利義満、開山は春屋妙葩です。正確には義満が建てたのは宝幢寺という大きな寺で、鹿王院は春屋妙葩のための塔頭でした。このため鹿王院の本堂は宝幢寺の開山堂でもあったのですね。

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義満が宝幢寺を建てたのには次の様な逸話が残されています。ある日、義満はもうすぐ病となりやがて死ぬ、しかし、宝幢如来を本尊とした寺を建てれば命は永らえるだろうという夢のお告げを受けたのでした。これを信じた義満はすぐさま寺の建立に着手し、十刹の第五位に位置する大寺を造ったのです。夢一つで一大事業を起こしてしまうとは、当時の人の霊異に対する恐れというのは、平安時代とさほど変わらぬものだったのですね。また、義満の権力と財力の凄さを物語っているとも言えそうです。

宝幢寺は応仁の乱によって灰燼と帰しますが、開山堂だけは焼け残り、寺籍を継いでいくことになります。鹿王院はその後慶長年間に起こった地震によって荒廃してしまいますが、寛文年間に酒井忠知によって再興され、今に至っています。

庭の中心になっているのが舎利殿、お釈迦様の歯、いわゆる仏芽舎利が収められているのでこの名があります。歯というのは言葉が発せられる一番近い位置にあるため、舎利の中でも最も尊いと言われ、天下太平の霊仏とされています。普段は非公開ですか、毎年10月15日にご開帳され、一般人でも目にする事が出来るそうです。

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この日鹿王院を訪れたのは沙羅の花を見るためでした。舎利殿の横に大きな沙羅の木があり、最盛期には一面に花が散って、それは見事なのですよね。でもこの日はまだ咲き出したばかりで、ほとんど花はありませんでした。この本堂脇にある小さな沙羅の木が、わずかながら咲いていたのがせめてもの救いでしたけどね。

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帰りに気が付いたのですが、参道の脇に竹林の小径が出来ていました。これっていつ整備されたのでしょうね。ただ良い趣向だと思いますが、嵯峨野の竹林の小径や化野念仏寺の竹林には遠く及ばす、もう少し手入れが必要かなという感じでしたね。それに通路のあちこちに竹の子が生えており、歩き難いのが残念でした。でも後何年か手入れを続けていけば、きっと良い散策路になる事でしょうね。もみじと共に鹿王院の名所となって行く事でしょう。

2024年6月12日 (水)

京都・洛西 初夏の境内散策2024 ~妙心寺 6.11~

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妙心寺がある地域は花園と呼ばれます。かつては公卿の邸宅が建ち並び、お花畑があって文字通り花が咲き乱れる地だったのだとか。妙心寺の前身はその邸宅の一つ、花園法皇の離宮でした。法皇は禅に傾倒し、宗峰妙超禅師に参禅して悟りを得、印可を授けられたと言いますから、その信心たるや相当なものですね。花園法皇は離宮を禅寺に改めようと考え、宗峰妙超禅師の弟子、関山慧玄禅師を開山に迎えて妙心寺を開きました。時に1337年、建武4年の事でしたから、後醍醐天皇による建武の中興が綻びを見せ始めた頃ですね。

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その後寺は順調に発展を遂げますが、1399年(応永6年)に大内義弘が幕府に対して起こした反乱、応永の乱の時、当時の住持であった拙堂宗朴禅師が義弘との関係を疑われたために寺領を没収され、ここに一度法統が途絶えてしまいます。寺領が返還されたのは三年後の事で、日峰宗瞬禅師が妙心寺を中興しました。

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その後も妙心寺の法難は続きます。1467年に起こった応仁の乱に巻き込まれ、堂塔伽藍がことごとく焼失してしまったのですね。再建が始まったのはその10年後、雪江宗深禅師が後土御門院から妙心寺再興の綸旨を受け、復興に着手しました。

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妙心寺が発展を遂げるのは1509年(永正6年)の事で、利貞尼という人が土地を買い集め、妙心寺に寄進したのですね。現在の広大な境内はこの時に出来上がったとされます。ちなみに利貞尼は関白一条兼良の娘にして美濃の豪族斉藤利国の妻で、利国の死後その菩提を弔うために妙心寺の住持であった悟渓宗頓禅師に師事して出家し、私財を投じて妙心寺に尽くしたのですね。

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現在の妙心寺の境内は約10万坪、甲子園8個分に相当します。戦国から江戸期にかけて大名たちによる塔頭寺院の建立が相次ぎ、現在でも46の塔頭が存在します。これほどの規模を持つ寺は京都では他にありませんね。明治期には廃仏毀釈や上地令などにより境内地の20%を失ったとされますが、それでも現在の規模を保っているのは余程上手な運営を行って来たのでしょう。

妙心寺には何度か訪れていますが、塔頭が多すぎて未だに把握出来ているのはごく一部です。常時拝観出来るのは妙心寺の法堂と庫裏、塔頭の桂春院と退蔵院だけですね。大雄院は日時限定での座禅体験(要予約)、大法院は毎年春と秋に特別公開が行われます。昨日紹介した東林院も沙羅双樹の花を愛でる会など年に何度か公開されますね。他の塔頭は京の夏の旅、冬の旅での特別公開の対象となる事があるので、チャンスがあれば訪れてみてください。

ここに掲げた写真の様に妙心寺は周辺の環境とは別世界で、境内を歩くだけでも日常を離れた風情を感じる事が出来ますよ。

2024年6月11日 (火)

京都・洛西 沙羅双樹の花を愛でる会2024 ~妙心寺塔頭 東林院 6.11~

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令和6年6月11日の妙心寺塔頭 東林院です。今日は沙羅双樹の花を愛でる会に行ってきました。

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この特別公開は昨日から始まったところで少し早いかと思ったのですが、新聞に見頃と出ていたので来てみました。結果は確かに咲いてはいましたが、最盛期にはまだ遠かったです。でもまあこれだけ散っていれば見頃に入ったとは言えるのかな。

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沙羅の木は何本もあるのですが、メインはやはりこの木ですね。かつてあった樹齢300年の古木の後継として植えられたのですが、非常に美しい姿をしています。先代が枯れてからもう14年になるのかな。まだ若木という感じが抜けないですが、あと10年もすれば雰囲気も変わる事でしょう。

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報道陣だと、庭に下りて散った花をアップにして背後から撮る事が出来るのですが、一般人にはそんな事は許されません。もし認めてしまえばせっかくの苔が滅茶滅茶になってしまいますからね。それに鑑賞するにも邪魔で仕方が無いでしょう。

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今日は朝一番に行ったおかけで好きな場所に座る事が出来ましたが、その後続々と拝観者が来ていましたので、昼頃には一杯になっていたんじゃないかな。やっぱり新聞の報道が効いたのでしょうか。

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ちなみに拝観料は抹茶とお菓子が付いて1600円と安くはありません。でも、ここは元々高いのですよね。10年以上ほとんど変わってないんじゃないかな。無闇に値上げしないだけ良心的と言えるかも知れません。

2024年6月10日 (月)

京都・洛東 菩提樹2024 ~真如堂 6.7~

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植物園からバスに乗って真如堂に来ました。こには先日訪れたばかりですが、そろそろ菩提樹が満開になっているかなと確かめに来たのです。

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すると確かに咲いていましたね。寄り道をした甲斐があったというものです。でも花が少ないのは承知していましたが、満開になってみるとさらに際立ちましたね。去年は木全体が黄色く見える程でしたが、今年は少し離れると咲いているのかどうか判らなくなります。ここまで花か無いのは初めて見たような。老木になったせいなのか、異常気象のせいなのか判りませんが、今年限りの不調である事を祈っています。

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もみじは新緑の輝きは失われましたが、日を浴びるとまだ綺麗に見えます。こうした緑の下を歩くのは気持ちが良いですね。

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今更ですが、真如堂は光るの君への縁の地でもあるのですね。真如堂は一条天皇の勅願寺であり、元はその母の詮子の離宮だったのだとか。また安倍晴明にも縁があり、その念持仏であった不動明王像がご本尊の脇侍として祀られています。この不動明王は晴明が一度死んだとき閻魔大王の前に現れ、命乞いをして晴明を救ったと伝わります。その時、閻魔大王から晴明が授かったのが五行の印、いわゆる五芒星ですね。この縁から真如堂の絵馬には五芒星が描かれており、本堂前の絵馬掛けで見る事が出来ます。

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三重塔の下にあるのが鎌倉地蔵堂。下野国那須野にある殺生石の破片から造られたという地蔵菩薩が祀られています。このお地蔵様には家内安全、延命といったよくあるご利益の他、冤罪を晴らしたり、心の病を癒やしたりという特別な功徳があります。鎌倉と呼ばれるのは元は鎌倉の地にあったからで、江戸時代の初めにこの地蔵尊を信心していた幕府の作事方の夢枕に現れ、我を都の地に移し衆生を救えと告げたのだとか。何度となく訪れている真如堂ですが、少し調べただけでも様々な歴史を秘めている事が判る興味深い寺ですね。

2024年6月 9日 (日)

京都・洛北 花菖蒲2024 ~京都府立植物園 6.7~

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令和6年6月7日の京都府立植物園です。この日は花菖蒲が見頃を迎えていました。

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見頃と言っても花は少なく、寂しい光景でしたね。去年は全滅状態でほとんど咲いていませんでしたが、今年は復活したとは言え、まだ以前の様な華やかさには遠いです。植物園の技術力をしてもこうなるとは、一体どうしたのでしょうね。

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一番目立っていたのは奥に咲く黄色い花菖蒲。これは北アメリカ原産のキショウブと日本の花菖蒲を交配させて出来た品種なのだとか。近くに寄って見ることは出来ませんが、遠目には上品でありながら華やかで、良い花だなと感じました。

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この日は朝一番に行ったのですが、職員の方が作業中で、花殻を一つ一つ取っておられました。先日のバラの剪定と言い、こうした地道な作業のおかげで綺麗な花を見る事が出来るのですね。なんとも有り難い事です。

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北山門前広場では、綺麗なマーガレットが植えられていました。設置されていた看板に依れば、植物園100周年を記念して、サントリーから寄贈されたものだそうですね。家では鉢植えがせいぜいで、こんなに豪華に植えられるのは植物園ならではの事。良いものを見せてもらいました。

2024年6月 8日 (土)

京都・洛東 花菖蒲2024 ~野村碧雲荘 6.3~

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南禅寺界隈の別荘群の一つ、野村壁雲荘です。この時期は玄関前の水路に花菖蒲が咲き乱れます。

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野村壁雲荘は戦前の野村財閥が築いた別荘です。数ある南禅寺界隈の別荘の中でも群を抜いた広さを誇り、贅を尽くした数寄屋造りの建築は重要文化財に指定されています。

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これまで何度か見学会が行われている様ですが、残念ながら情報に疎く、まだ機会に恵まれません。いつかは見てみたい別荘ですね。

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ずっと以前は玄関先まで入れたのですが、今は敷地内は立ち入り禁止になっており、外から見ることしか出来ません。理由は判りませんが、迷惑行為があったのでしょうかね。まあ、今はSNSにアップされたら極端に大勢の人が押し寄せる世になっていますから、立ち入り禁止は正解だったのでしょう。外から写真を撮るぶんには文句を言われないだけ、良しとするのでしょうね。

2024年6月 7日 (金)

京都・洛東 初夏の境内2024 ~真如堂 6.3~

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黒谷から真如堂に来ました。この日はこちらが本命、菩提種が開花したと知り、見に来たのです。

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すると確かに咲いていましたが、まさに咲き始めたところ、わずかに二輪だけ開花していました。ぐるっと木の回りを探したのですけどね、他に咲いている花は無かったです。もう少し時間を置いて来るべきでした。今頃は満開になっているでしょうか。ただ、今年は花そのものが少なく、期待しすぎるとがっかりとなるかも知れません。

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もう一つ目的にしていたのが紫陽花で、こちらはヤマアジサイが咲いていました。まだ数は少なく、ぱっとした華やかさはありませんが、素朴な味わいがあって、これはこれで良いですね。

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ガクアジサイが咲くのはこれから、沙羅の花が咲く頃にもう一度見に来たいと思っています。

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弁天池の周りでは、まださつきが咲いていました。小さな池ですが、ここは他とは少し雰囲気が違っていて、真如堂の境内の中ではお気に入りの場所の一つです。

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もみじは新緑の美しさが無くなって来ました。これから夏の粧いに変わっていくわけですが、それはそれで悪くは無いですね。桁違いの猛暑は嫌ですが、蝉しぐれを聞きながらの拝観も夏ならではの風情です。

2024年6月 6日 (木)

京都・洛東 さつき2024 ~栄摂院 6.3~

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平安神宮から黒谷の栄摂院に来ました。ここではさつきがまだ見頃を保っていました。

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今年のさつきは進行が早く、多くの所で盛りが過ぎているためここも素通りするつもりでしたが、門の中を覗いてみるとまだ花が残っていたのでした。

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なぜここだけ見頃を保っていたのか理由は判りませんが、嬉しい誤算であった事は確かです。ピークは過ぎていましたが、これだけ咲いていれば十分と言えるでしょう。

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もう少し早ければもっと綺麗だった事でしょうね。でもいつ来れば良かったのか、今年は本当に判らない。過去の記録も参考にならないし、場所によっても展開がばらばら。出たとこ勝負というのが正直なところです。

2024年6月 5日 (水)

京都・洛東 花菖蒲2024 ~平安神宮 6.3~

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令和6年6月3日の平安神宮です。この日は西神苑で花菖蒲が満開を迎えていました。

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今年の花暦は本当に早いですね。この花菖蒲に関しては去年より一週間程度早く、さつきに関しては既に終了していました。

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過去記事から調べると10年前より半月程度早くなっていますね。これって気候変動の影響なのかしらん。それともたまたま起こった現象なのかな。

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それはともかく、今年の咲き方は見事なものでした。ただ花が美しいだけでなく、日本庭園の一部としての花菖蒲ですから、周囲と調和してとても素晴らしいものがありました。

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今年の神苑の無料公開は6月7日に行われます。丁度花菖蒲も見頃で、良いタイミングになりましたね。でもすごく混み合うのだろうなあ。花を楽しむどころではないという気もしますね。お勧めと言えるかどうか、ちょっと微妙な気がします。

2024年6月 4日 (火)

京都・洛中 さつき2024 ~相国寺 5.29~

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西方寺から相国寺にやって来ました。ここでの目的もさつき、承天閣美術館前の通路で綺麗に咲いていると知り、確かめに来たのです。

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この美術館には何度か入っていますが、通路のさつきは全くのノーマークでしたね。展示がメインですから当然と言えば当然ですが、こんなに綺麗に咲いていたとは驚きました。

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かなりの強剪定をしていますが、これだけ咲いていると言うことは、適切な時期を選んで刈り込んでいるのでしょう。施肥も欠かせないでしょうから、相当な手間を掛けていますね。こんな場所があるなんて、もっと早く気づくべきだったな。

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相国寺はまた青紅葉の名所です。そこかしこでまだ新緑と言って良い新鮮な緑が生い茂っていました。さつきは盛りを過ぎたでしょうけど、青紅葉はまだまだ見頃が続くと思われます。

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相国寺は6月2日まで特別拝観が行われていました。法堂の近くに居ると鳴き龍を試しているのでしょう、手を叩く音がしきりと聞こえて来ました。私も試した事がありますが、確かにビーンという音がするのですよね。鳴き龍はいくつかの寺にありますが、ここは比較的はっきりと聞こえます。次の特別拝観は秋に行われます。以前入った時は撮影禁止だったのですが、今検索してみると堂内は禁止ですが庭は良くなったみたいですね。確認が必要ですが、写真が撮れるなら入ってみようかな。書院の紅葉や方丈裏の庭園など見所が多いところなので、仮に写真が駄目でも16年ぶりに見学してみようかと思っています。

2024年6月 3日 (月)

京都・洛北 さつき2024 ~西方寺 5.29~

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正伝寺からほど近い場所に西方寺があります。847年に慈覚大師円仁によって建立されたという古い由来を持ち、初めは天台宗、鎌倉時代に浄土宗に転じました。五山の送り火の一つ、舟形と縁のある寺で、一説には慈覚大師が唐から帰るとき暴風雨に遭い、南無阿弥陀仏と書いた紙を海に投じたところ波が収まりました。このことから西方寺の本尊として舟形光背を持つ阿弥陀如来を迎え、その光背を象った舟形の送り火が始まったとされます。今でも西方寺と舟形の縁は続いており、護摩木の受付はこの寺の駐車場で行われ、送り火が消えた後はこの寺で六斎念仏が行われます。

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この寺を訪れるのは10数年ぶりです。紅葉の美しい寺で、秋には白壁沿いのもみじが綺麗に色づきます。ここを見つけたのは偶然で、正伝寺に向かう途中に鮮やかな紅葉が目に止まり立ち寄ってみたのでした。

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この日は青紅葉を撮ろうかと来てみたのですが、その前に境内にさつきが咲いているのに気が付きました。既に終盤を迎えており、大半は散っていましたけどね、盛りの時はさぞ綺麗だった事でしょう。

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この株は比較的まだ花が残っていましたね。盛りの時を彷彿とさせてくれます。来年は満開の頃に来てみたいですね。

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ただ前回来た時は境内の紅葉も鮮やかだったと思うのですが、改めて見回してみるともみじはそれ程多くないですね。もしかしたら枯れてしまった木もあるのかな。来年のさつきの前に、もみじが色づく頃にもう一度来ようかと思っています。

2024年6月 2日 (日)

京都・洛北 さつき2024 ~正伝寺 5.29~

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令和6年5月29日の正伝寺です。この日はさつきを見に来たのですが、残念ながら盛りは過ぎており、ちょっと遅かった様ですね。

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ここを訪れるのは桜を見に来て以来、約二ヶ月ぶりになります。前回来た時はまだ芽吹いたばかりだった紅葉もすっかり葉が伸展し、緑の屋根となって参道を覆っています。石垣の苔も雨を含んだせいもあるのでしょう、美しさを増していましたね。

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平日の午前中だったので誰も居ないだろうと思っていたのですが、先客が4人居ました。ここのさつきが綺麗だという事は、知っている人は知っているのですね。

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左半分はほぼ散っていましたが、右半分はまだ残っていたのは幸いでした。この前日に降った大雨でかなり散っていましたけどね、地面に落ちた花も遠目には綺麗でした。

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暫くしたら一人になったのでじっくりと庭を眺めていたのですが、やっぱりこの奥行き感は素晴らしいですね。英国のロックスター、デビットボウイがこの庭を見て涙したと言いますが、見れば見るほど味のある庭です。何度となく訪れた場所ですが、いつ来ても新鮮さを失わない素敵な庭です。

2024年6月 1日 (土)

京都・洛北 さつき2024 ~圓光寺 5.28~

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詩仙堂から圓光寺に来ました。ここも雨の日にはめったに来ませんが、しっとりとした風情は格別なものがありますね。

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ここに来た目的はやっぱりさつきなのですが、思っていた程には咲いていなかったです。奔龍庭が出来た当初は小さな株ながら沢山の花が咲いていたのですが、時間と共にあまり咲かなくなってきた感じですね。あるいはもう花期の終盤で、ほとんど散ってしまっていたのかな。

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本堂前のさつきは比較的良く咲いていましたね。つぼみは見当たらず咲ききっていた様なので、この株もそろそろろ花が散っている頃でしょうか。

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もみじは雨を含んだ枝が、大きくしなっていました。いつもと違う姿で、なんだか新鮮でしたね。まだ新緑と言って良い緑もとても綺麗でした。

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竹林は丁度竹の秋と呼ばれる時期にあたるので、今ひとつ冴えない感じがしました。でも少し薄暗い感じがして、雨ならではの静かな風情はありましたね。

五月晴れの庭も素敵ですが、雨の日ならではのしっとりした情緒も良いものですよ。土砂降りは困りますが、しとしととした雨の日は結構お勧めです。

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