近江町市場から金沢城までは歩いて五分程。ただ入り口までは近かったのですが、思っていた以上に中は広く、結構歩く事になりました。
金沢城の前身は浄土真宗の寺、尾山御坊であり、一国を支配した加賀一向一揆の拠点でした。寺とは言っても石垣を廻らせた要塞で、織田信長に十一年間抵抗した大阪の石山本願寺に似た堅固な造りだった様ですね。尾山御坊は1580年に信長によって攻略され、一揆の鎮圧に功のあった佐久間盛政が跡地に入り、金沢城を築きました。しかし盛政は3年後の賊ヶ岳の戦いで豊臣秀吉に敗れ、金沢城は前田利家に与えられます。利家は1592年から本格的な城の改修を始め、五層六階の天守を持つ近代的な城に作り替えました。その後は加賀百万石の城として代々受け継がれていきますが、江戸期を通じて幾度となく大火に見舞われており、その都度再建されています。ただ、天守は1602年に焼失して以来、再建される事はありませんでした。
城に入ったのは黒門口からで、すぐに広大な新丸広場に出ました。ここは築城当時は重臣の屋敷や藩の役所が立ち並ぶところであり、その屋敷群は城の防御施設も兼ねていたそうですね。しかし、時代が進むと共に重臣が増えて手狭になり、屋敷と役所は全て城外に移され、跡地には武具の修理、製造を行う細工所が建てられました。その細工所も1759年の大火で焼け落ち、その後は再建される事は無かったとの事です。現在は芝生の広場として整備されており、西側の一角では早咲きの桜(コシノヒガンザクラ)が咲いていました。
金沢城は明治以後は陸軍省の管轄する所となり城の破却は免れたのですが、明治14年に火災に遭い石川門など一部の施設を残して全焼してしまいます。戦後は金沢大学が置かれ、長くキャンパスとして使用されました。城の中にある大学というのは世界的に見ても珍しかったそうですね。昭和53年になると金沢大学の移転が決定され、平成7年に全ての施設が城外へと移されました。そして城は国から石川県へと移譲され、翌年から金沢城公園としての整備が開始されます。
写真は右側が菱櫓、左側が橋爪門続櫓、間を繋ぐのが五十間長屋で、平成13年に木を使った伝統工法で史実どおりに再建されたものです。そう聞くと身体の不自由な方は近寄りがたい感じがしますが、ここはちゃんとバリアフリーが完備されており、足の悪い方でも内部に入って櫓の上部に上がれる様エレベーターが設置されていました。本来吹き抜けの場所を活用したのですね。史実には無い設備ですが、この事でこの城の値打ちが落ちるわけでは無く、むしろ史実に沿った再建をしながら福祉を両立させたという意味で高く評価されるべきでしょう。金沢の象徴として長く輝き続けるでしょうね。
これは同じく平成13年に復原された橋爪門一の門です。平成27年にはこの奥にある二の門が復原され、枡形が蘇りました。この門を潜っていくと二の丸に出る事が出来、そこでは二の丸御殿の復原に向けた作業が行われています。本丸はそのさらに奥にあり、大学があった頃は植物園が設置されていたため、今でも鬱蒼とした森となっています。
金沢城で焼失を免れた数少ない遺構の一つがこの石川門。一の門と二の門、続櫓、石川櫓からなる枡形です。かつては観光客が見る事が出来る唯一の建物で、金沢城の象徴的な存在でした。そのせいでここが表門と思われがちですが実は裏門で、大手門はこの反対側にありました。
金沢城内には玉泉院丸庭園という池泉回遊式の庭園があり、石を縦に積んだ色紙短冊積石垣などの見所があるのですが、1月の地震によって石垣の一部が壊れたため、立ち入る事が出来ませんでした。楽しみにしていたところだけに残念です。いつかまた見に来られると良いのですけどね。
金沢城の後は兼六園に寄るのが順序ですが、混んでいたのと過去に二度来ているので今回はスルーする事にしました。その兼六園の入り口で売っていたのがこの金箔ソフトクリームです。巻いてあるのは本物の金箔で、このまま食べる事が出来ます。もっとも金箔に味は無く、見た目を楽しむものですね。
兼六園の前の坂を下っていったところに石川県観光物産館があります。ここに来たのは金箔体験をするためで、せっかく金沢に来たのだからここならではの事をしたいと思い、試してみる事にしました。
まずは絵柄を決め、お皿の上に型紙を置き、型抜きの要領で絵の部分を剥がします。そして専用の接着剤を塗り、型紙の上から金箔を貼って、丁寧にこすりつけます。
暫く置いて、接着剤が乾いたら型紙を外して出来上がり。これが最終形ですが、途中の難しいところは担当の方がやってくれるので、大過なく仕上げる事が出来ました。子供の工作の様でしたが、なかなか楽しめましたし、良い記念品になりました。
この後ホテルに向かったのですが、そこでは給水車が駐まっていました。ナンバーを見ると奈良とあります。おそらく奈良市から応援に来ているのでしょうね。こんな具合に各自治体、国の機関から石川県に応援が来ています。目立つことの無い地道な作業ですが、慣れない土地で頑張っている人たちが居ます。ほとんど報道される事はありませんが、そんな人たちの事も知らせてあげてほしいなと思った次第です。
最近のコメント