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2024年5月

2024年5月31日 (金)

京都・洛北 さつき2024 ~詩仙堂 5.28~

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令和6年5月28日の詩仙堂です。先日、八坂神社のさつきが盛りを過ぎていたので、詩仙堂はどうかと来てみました。

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結果はと言うと、なんとも微妙でしたね。確かに咲いてはいましたが、盛り過ぎなのかまだこれからなのか、判断に迷いました。

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詩仙堂の公式インスタグラムでは24日で見頃となっていますね。それからすると今年はこんなものなのかな。なんだか寂しい気はしますね。

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この株は近くで見るとまだつぼみが沢山ありました。この後一度に咲くかどうかは判りませんが、まだ暫くは楽しめそうでした。

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この日はあいにくの雨模様。この翌日が大雨の予報で、花が散ってしまわないかと思い、雨を押して出かけて来たのです。まあ、それが杞憂だったかどうかは判りませんが、雨の詩仙堂はしっとりしていて、なかなか風情がありましたよ。

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京鹿子はほぼ満開でした。いつもより数が少ない様に思ったのは気のせいだったのかな。また、花菖蒲も一部咲いていましたね。この花も例年よりかなり早い展開です。あと七段花も咲いていたとの事ですが、見過ごしてしまいました。どこに咲いていたのかしらん。

この時期の詩仙堂は花が一杯で良いですね。次は何時にしようか。ヒグラシを聞きに夏の夕方に来てみようかな。上手く鳴いてくれると良いのですけどね。

2024年5月30日 (木)

京都・洛東 さつき2024 ~八坂神社 5.25~

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霊源院から八坂神社に来ました。途中花見小路を通ってきましたが、相変わらずの混雑ぶりですね。WINSの警備員さんたちが交通整理をしていましたが、人混みの中を車が通るのだから歩き難くてしょうがない。やっぱり好んで行くところではなくなっていますね。

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八坂神社に来たのはさつきを見るためです。そろそろ見頃かなと思っていたのですが、既に盛りは過ぎていました。やっぱり今年の花暦は早くなっていますね。

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それでもなんとか咲いてはいたので、撮るには撮って来ました。いつ頃が盛りだったのでしょうね、例年より半月くらい早い感じだったのかな。

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ここまで来て素通りは出来ないので参拝もしてきました。まだ祗園祭の季節でもないのに、境内は結構混んでいましたね。祗園から流れてくる人が多いのでしょうか。

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境内の新緑は輝く様でした。抜けるような青空とあいまって、神域らしい爽やかな景色でしたよ。ただちょっと賑やかすぎたので、次は静かな早朝に行きたいですね。

2024年5月29日 (水)

京都・洛東 甘茶の寺2024 ~建仁寺塔頭 霊源院 5.25~

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石畳の道を歩いて霊源院に着きました。ここには甘茶の寺、そろそろ咲いているかなと来てみたのです。

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この霊源院、最初は妙喜世界という庵で、万寿寺にあったのだそうです。しかし創建から四年後、開山であった中厳月和和尚が建仁寺の住持になるよう指示が出され、妙喜世界も建仁寺に移築されて、霊源院と名を改めたのでした。玄関に妙喜世界という額が掲げられているのは、創建時の言われを今に伝えているのですね。

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これが西来院に龍が描かれるきっかけとなった陳漫さんの龍図です。二枚目と言うか、格好の良い龍ですね。西来院と共に建仁寺の宝として長く受け継がれていくことでしょう。

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四年前に整備された鶴鳴九皐の庭もすっかり落ち着き、良い風情を出す様になりました。以前の紫陽花の植え込みの中を歩ける庭も良かったですけどね、禅寺には枯山水が似合うかな。

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甘茶は咲いていましたが、まだ色が薄い感じでした。これから濃くなっていくのかしらん。また甘茶の接待は今年も無かったですね。コロナは五類になったとは言え、まだ流行が収まったわけではないですからね、甘茶を出すにはリスクが大きい様です。また復活したら飲ませてもらいに来たいですね。

2024年5月28日 (火)

京都・洛東 霊源院への道 ~建仁寺 5.25~

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西来院から霊源院へと向かいます。参道に出るより裏道を行った方が近いので、両足院の前の道を進みます。

この両足院ですが、拝観料が恐ろしく高くなりました。書院に入るだけなら1000円、庭を歩きたければ2000円、お茶を楽しみたければ3500円との事です。何なんでしょうね、これって。3500円なんてちょっとした高級レストランのランチ並じゃないですか。

寺院の庭園は宗教施設、その拝観は宗教行為とされます。だから拝観料は非課税なのですが、宗教行為なのに価格の多寡によって出来る事が違うとはどういうことでしょう。それも貧者には手の届かない高価格、仏の前では万民は平等という教えはどこへ行ったのかしらん。何とも釈然としない事がまかり通る様になったものです。

以前は800円で散策も出来、茶亭でお茶が楽しめた良心的なところだったのですけどね、すっかり変わってしまいました。地獄の沙汰も金次第と言いますが、仏の加護も金次第なんですね。

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馬鹿高い拝観料を支払わなくても、拝める場所は幾らもあります。例えばこの楽神廟。栄西禅師の母が吉備津神社の末社・楽の社に参籠していたとき、夢に明星を見て禅師を懐妊されたという因縁により建仁寺に祀られる様になりました。この楽明神の本地仏は無限の知恵を持つという菩薩虚空蔵菩薩とされおり、受験合格、学力増進の功徳があるとのことで、受験生を中心にお参りする人が多いようです。実際絵馬掛には沢山の絵馬が掛けられていました。目立つ場所ではないのですが、知る人ぞ知る存在の様ですね。

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霊源院に行くには浴室横の石畳の道を辿っていく事になります。その途中にあるのが雲洞院、雲水のための修行道場です。ここは非公開の場所ですが、手入れされた竹林や清掃の行き届いた山門前など、気持ちの良いところですね。もっとも、この竹林は開山堂の敷地になるのかな。

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無論、中には入れませんが門は開いていて、外人さんが興味深そうに覗いていました。ここが雲水が暮らす場所だと知っているのでしょうかね。

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この分かれ道も何気に好きな場所だったりします。まっすぐ行くと大統院、14年前に改修されて特別公開が行われ、その時に訪れた記憶があります。その後も何度か公開があったようですが、最近は聞かないですね。また京の夏の旅か冬の旅で取り上げてくれないかな。前回訪れてから随分と時間が経っているので、庭も落ち着いている事でしょう。

目的地の霊源院は右へ曲がるとすぐのところにあります。甘茶が咲いているかどうか、期待しながら歩いて行く事にします。

2024年5月27日 (月)

京都・洛東 蘭の寺2024 ~建仁寺塔頭 西来院 5.25~

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令和6年5月25日、建仁寺塔頭の西来院を訪れて来ました。ここは非公開の寺でしたが、4年後に開山の蘭渓道隆の750年遠忌を迎えるに当たり、本堂、庭園の改修が行われ、記念事業として特別公開が行われています。

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これまで入る機会が無かったかと言うとそうでもなく、何年前だったかな、京大書道部がここで個展を開催していた事があって、立ち寄るチャンスはありました。時間が無かったので遠慮しましたが、あの時入っておけば良かったなと後から後悔したものです。代わりというのもなんだけど、門前のツツジとキショウブが美しく、写真を撮らせて貰ったことは何度となくあります。

今回の特別公開はそうだ京都行こうのホームページで知ったのですが、テレビでも紹介していましたね。そのせいでしょうか、思っていたよりも大勢の人が訪れていました。

改装された庭は三つあり、これはそのうちの一つの中庭です。妙顕寺の竹の庭に雰囲気は似ていますね。ただ採光のせいかこちらの方が明るく感じます。右下の黒い水盆は彫刻家の楽雅臣さんの作品で円宗と命名されています。地面に植えられているのは蘭だそうで、4月下旬頃が開花期と言うことでしたからもう終わってしまっていたらしく、ちょっと残念でしたね。竹の庭とは似ていて異なる風情のある庭です。

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こちらは本堂前の蛾眉乗雲の庭です。三つの庭はすべて中根近作さんの流れを汲む中根庭園研究所の手に依るのだそうですね。この庭は蘭渓道隆が修行したという峨眉山の深山幽谷を表しているそうですが、置かれている三つの石はすべて峨眉山から持ってきたのだとか。大した力の入れようですね。白砂と苔、そしてもみじが程よく調和してより、落ち着いた良い庭だと思いました。

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本堂の天井には二頭の龍が描かれています。先年霊源院の龍図を描いた陳漫さんの作品で、若い龍と年老いた龍からなるのだとか。寝転んで撮って良いとの事でしたが、それだと一部しか写せないのであえて立って撮りました。とても迫力のある素晴らしい作品ですね。向こうに見える金屏風も陳漫さんの作品で、唐獅子が描かれています。

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そして玄関前の九華蒼蓮の庭です。石組みを蓮の花に見立てるという趣向で、開放感にあふれた庭園です。山門内にはブルーボトルコヒーのキッチンカーが駐まっており、コーヒーや羊羹を買ってこの庭を眺めながら頂く事が出来ます。建仁寺の境内では飲食禁止と書いたプレートを下げた警備員さんが巡回されていますが、ここでは自由に食べる事が出来るというのも売りの一つになっていますね。

西来院の三つの庭はどれも素敵で、龍の天井画も素晴らしいものがありました。なかなか見応えがあって、訪れてみる価値はありますよ。特別拝観は12月31日まで行われます。拝観料は500円、最近の傾向からするとリーズナブルですね。今度は秋の紅葉時分を狙って行って見ようかなと思っています。

2024年5月26日 (日)

北陸旅行2024 ~福井 丸岡城・福井城 4.1~

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北陸旅行の二日目は福井に立ち寄りました。福井に来るのは40数年ぶりになりますね。久しぶりに見た福井駅は大きく変わっていました。新幹線の開通に会わせたのかな、超近代的なビルになり、駅前には沢山の恐竜が居ました。この恐竜がまた動くのですね。メンテナンスが大変だと思うのですが、この先ちゃんと管理されていくのかしらん。

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これが3月に開通した北陸新幹線のホームと車両です。金沢からは35分、あっという間でしたね。半世紀前に金沢を訪れたときは帰りが夜行となり、福井までは一時間くらいだったかな。その間、車窓の景色が真っ暗になり、何も見えなかったのを覚えています。本当に灯りの一つも無く、全くの闇の中でした。こんな事は初めてで、車内は明るかったにも係わらず、とても怖くて不安でした。今となっては笑い話ですが、貴重な経験でしたね。

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福井で途中下車したのは百名城の一つ、丸岡城を訪れるためでした。丸岡城へのアクセスを色々調べたのですが、福井駅からバスに乗るのが一番簡単と判り、新幹線とバスの時刻表を調べてどの列車に乗るのかを決めてやって来ました。全ては予定通りだったのですが、思わぬアクシデントが待ち受けていました。丸岡城行きのはずが、終点までは行かないと言うのですね。よく聞いてみると丸岡城で桜祭りが開かれており、バスは入っていけないとの事でした。後で判ったのですが、丸岡城のバス停は城前のロータリーの中にあり、そのロータリーを含めて祭りの会場となっていたのですね。

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乗ってしまったものはどうしようもなく、手前の丸岡バスターミナルで下ろされてしまいました。そこから城までは1.5kほど、歩くかタクシーですが、タクシー乗り場はあるけれど車の姿はありません。どうしたものかと途方に暮れていると、タクシーを呼ぶなら案内所に専用電話があるよと教えてくれる人が居ました。いや、親切な人は居るものです。窮すれば通ずとはこのことですね。お陰様で無事にタクシーに乗れて、城までたどり着く事が出来ました。

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丸岡城を築いたのは柴田勝豊、柴田勝家の甥ですね。1576年の事で、福井平野の中に独立する小高い丘の上に築かれた平山城です。近世に山麓部分が増築され、五角形の堀に囲まれた姿となりました。天守は現存十二天守の一つで、現地に残る唯一の遺構です。望楼式という古い形式や、通し柱が無く一階の多数の柱が上部を支えるという構造などから、以前は築城当時のものと考えられていて、日本最古の天守とされていました。しかし、平成31年に至り、柱材の調査などから1624年以降の寛永年間の建造と判明し、日本最古の座は犬山城に明け渡す事になりました。

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日本の城としては新しい部類に入るのに、古い形式になっているのは不思議ですよね。今の天守を築いたのは本多成重の時代と考えられるのですが、成重はこの地を平定した柴田勝家の由緒を尊重し、その功績を顕彰するために勝家の居城であった福井城を模して、あえて望楼式としたのではないかというのが一つの説です。あくまで推測で、これが真実かどうかは判りませんけどね。

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丸岡城は明治以後廃城となり、ほとんどの施設は用材として売り払われ、天守も売却される運命にありました。しかし、地元から地域の象徴である天守の保存運動が起こり、破却を免れます。その後は寺として使用され、さらには町の公会堂になったりしましたが、昭和9年に国宝に指定され、その条件として補修が求められました。補修には莫大な資金が必要とされましたが、地元出身の実業家などから寄付が寄せられて昭和17年に作業が完了し、創建当初の姿を取り戻します。ところが昭和23年に福井地方を襲った福井大地震により倒壊してしまい、修復からわずか6年で瓦礫と化してしまいました。あまりの惨状に再建は無理と思われましたが、地元の熱心な運動により町が再建に着手、全国から寄付を募るなど資金集めに奔走し、昭和30年に再建に成功しました。この再建にあたっては70%が元の用材を使用し、先の修復時の資料を生かして元通りの姿とする事が出来ています。

現在の丸岡城は住宅や水田に囲まれた丘の上に天守があるだけですが、坂井市では城の復元計画を策定しており、今後内堀の再生や城門、櫓の再建、さらには城下町らしい町並みの整備などを目指すとしています。完了は2070年の予定という先の長い計画ですが、是非実現させて欲しい事業ですね。

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丸岡城から福井駅に帰ってきました。予定では帰りの新幹線の時間まで二時間以上あり、余裕で福井城に行くことが出来るはずでしたが、バスターミナルまでの移動などに手間取り、二本後のバスになった事から一時間程しか時間が無くなりました。食事の時間を考えると20分程しか時間が取れません。

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福井駅から福井城まではごく近く、歩いて5~6分程度なのですが、ゆっくり見ている暇はありません。福井城は現在県庁となっており、堀や石垣が残っているほか一部が再現されているのですが、続百名城のスタンプをもらうのが精一杯で、見て回る事が出来なかったのは残念です。

帰りは北陸新幹線とサンダーバードを乗り継いで来たのですが、危惧していた敦賀駅での乗り換えもスムーズに行き、無事に旅行を終える事が出来ました。ホテルの予約の手違いなどちょっとしたハプニングはありましたが、様々な人に助けられて楽しい旅となりました。いつか能登地方が復興したら、次は和倉温泉などに行きたいですね。北陸は歴史と文化に富み、食事も美味しい良い所です。

2024年5月25日 (土)

北陸旅行2024 ~金沢 金沢城・金箔体験 3.31~

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近江町市場から金沢城までは歩いて五分程。ただ入り口までは近かったのですが、思っていた以上に中は広く、結構歩く事になりました。

金沢城の前身は浄土真宗の寺、尾山御坊であり、一国を支配した加賀一向一揆の拠点でした。寺とは言っても石垣を廻らせた要塞で、織田信長に十一年間抵抗した大阪の石山本願寺に似た堅固な造りだった様ですね。尾山御坊は1580年に信長によって攻略され、一揆の鎮圧に功のあった佐久間盛政が跡地に入り、金沢城を築きました。しかし盛政は3年後の賊ヶ岳の戦いで豊臣秀吉に敗れ、金沢城は前田利家に与えられます。利家は1592年から本格的な城の改修を始め、五層六階の天守を持つ近代的な城に作り替えました。その後は加賀百万石の城として代々受け継がれていきますが、江戸期を通じて幾度となく大火に見舞われており、その都度再建されています。ただ、天守は1602年に焼失して以来、再建される事はありませんでした。

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城に入ったのは黒門口からで、すぐに広大な新丸広場に出ました。ここは築城当時は重臣の屋敷や藩の役所が立ち並ぶところであり、その屋敷群は城の防御施設も兼ねていたそうですね。しかし、時代が進むと共に重臣が増えて手狭になり、屋敷と役所は全て城外に移され、跡地には武具の修理、製造を行う細工所が建てられました。その細工所も1759年の大火で焼け落ち、その後は再建される事は無かったとの事です。現在は芝生の広場として整備されており、西側の一角では早咲きの桜(コシノヒガンザクラ)が咲いていました。

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金沢城は明治以後は陸軍省の管轄する所となり城の破却は免れたのですが、明治14年に火災に遭い石川門など一部の施設を残して全焼してしまいます。戦後は金沢大学が置かれ、長くキャンパスとして使用されました。城の中にある大学というのは世界的に見ても珍しかったそうですね。昭和53年になると金沢大学の移転が決定され、平成7年に全ての施設が城外へと移されました。そして城は国から石川県へと移譲され、翌年から金沢城公園としての整備が開始されます。

写真は右側が菱櫓、左側が橋爪門続櫓、間を繋ぐのが五十間長屋で、平成13年に木を使った伝統工法で史実どおりに再建されたものです。そう聞くと身体の不自由な方は近寄りがたい感じがしますが、ここはちゃんとバリアフリーが完備されており、足の悪い方でも内部に入って櫓の上部に上がれる様エレベーターが設置されていました。本来吹き抜けの場所を活用したのですね。史実には無い設備ですが、この事でこの城の値打ちが落ちるわけでは無く、むしろ史実に沿った再建をしながら福祉を両立させたという意味で高く評価されるべきでしょう。金沢の象徴として長く輝き続けるでしょうね。

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これは同じく平成13年に復原された橋爪門一の門です。平成27年にはこの奥にある二の門が復原され、枡形が蘇りました。この門を潜っていくと二の丸に出る事が出来、そこでは二の丸御殿の復原に向けた作業が行われています。本丸はそのさらに奥にあり、大学があった頃は植物園が設置されていたため、今でも鬱蒼とした森となっています。

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金沢城で焼失を免れた数少ない遺構の一つがこの石川門。一の門と二の門、続櫓、石川櫓からなる枡形です。かつては観光客が見る事が出来る唯一の建物で、金沢城の象徴的な存在でした。そのせいでここが表門と思われがちですが実は裏門で、大手門はこの反対側にありました。

金沢城内には玉泉院丸庭園という池泉回遊式の庭園があり、石を縦に積んだ色紙短冊積石垣などの見所があるのですが、1月の地震によって石垣の一部が壊れたため、立ち入る事が出来ませんでした。楽しみにしていたところだけに残念です。いつかまた見に来られると良いのですけどね。

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金沢城の後は兼六園に寄るのが順序ですが、混んでいたのと過去に二度来ているので今回はスルーする事にしました。その兼六園の入り口で売っていたのがこの金箔ソフトクリームです。巻いてあるのは本物の金箔で、このまま食べる事が出来ます。もっとも金箔に味は無く、見た目を楽しむものですね。

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兼六園の前の坂を下っていったところに石川県観光物産館があります。ここに来たのは金箔体験をするためで、せっかく金沢に来たのだからここならではの事をしたいと思い、試してみる事にしました。

まずは絵柄を決め、お皿の上に型紙を置き、型抜きの要領で絵の部分を剥がします。そして専用の接着剤を塗り、型紙の上から金箔を貼って、丁寧にこすりつけます。

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暫く置いて、接着剤が乾いたら型紙を外して出来上がり。これが最終形ですが、途中の難しいところは担当の方がやってくれるので、大過なく仕上げる事が出来ました。子供の工作の様でしたが、なかなか楽しめましたし、良い記念品になりました。

この後ホテルに向かったのですが、そこでは給水車が駐まっていました。ナンバーを見ると奈良とあります。おそらく奈良市から応援に来ているのでしょうね。こんな具合に各自治体、国の機関から石川県に応援が来ています。目立つことの無い地道な作業ですが、慣れない土地で頑張っている人たちが居ます。ほとんど報道される事はありませんが、そんな人たちの事も知らせてあげてほしいなと思った次第です。

2024年5月24日 (金)

北陸の旅2024 ~金沢 卯辰山山麓寺院群・尾山神社・長町武家屋敷跡界隈・卯辰山・近江町市場 3.31~

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西茶屋町の東側に寺院街があります。多くの城下町に見られる様に城の防御拠点として寺が集められた場所で、いざと言うときには砦として機能することが期待されていました。その中に隠し階段や落とし穴、金沢城への抜け道があったという井戸など様々な仕掛けを持った妙立寺があります。通称忍者寺。時間の関係で拝観はしませんでしたが、次に機会があれば見に行きたいですね。今回は綺麗な枝垂れ桜が咲いていたので、本堂前で写真だけ撮らせてもらいました。

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妙立寺から中心部に戻って尾山神社に来ました。ここで見たかったのがこの神門。明治8年の建築で、一見石造りの様に見えますが、主な躯体は木造なのだとか。伝統的な楼門にしなかったのは明治という時代を反映しているのでしょうか。三層目には色ガラスがはめられており、かつてはここに灯りが灯され、灯台の役目を果たしていたとの事。屋根の上にある避雷針は現存する中では日本最古のものです。

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尾山神社は藩祖の前田利家公を御祭神としています。ただ創建当初は徳川幕府をはばかり、物部八幡宮と榊葉神明宮を遷座するという名目で卯辰山山麓に卯辰八幡宮を建て、利家公を合祀しました。この神社は幕末まで続き、今もひがし茶屋街の奥に宇多須神社として残っています。

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明治に入り金沢藩は無くなりますが、元藩士たちは利家公を慕い、新たに現在地に尾山神社を建てました。もはや幕府の目をはばかる必要も無く、堂々と利家公を御祭神とする事が出来たのですね。境内には若き頃、織田信長の母衣衆として活躍していた頃の利家の銅像が建っています。

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平成10年には妻のお松の方も合祀されました。これはお松の方の石のレリーフ。利家公に比べると扱いが小さいですね。これって当初は御祭神でなかったからなのかな。

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尾山神社から少し西にある長町武家屋敷跡界隈に来ました。ここは金沢藩の上・中級藩士たちが暮らした町です。

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ここには土塀や長屋門、昔ながらの武家屋敷が残っており、石畳の道もあいまって江戸時代にタイムスリップした様な風情を感じる事が出来ます。

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見学可能な武家屋敷もあったのですが、外国人観光客で一杯だったので入るのは見送り、散策だけする事にしました。屋敷街の中程で桜が咲いているのを見つけたのは嬉しかったですね。

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予定では武家屋敷街までで終わるはずだったのですが、少し時間が余ったという事で卯辰山展望台までサービスで連れていってくれました。素晴らしい眺望で、晴れていれば日本海まで見えるそうです。

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この日お世話になった運転手さんは能登出身の方で、今回の地震で実家が被災したとの事でした。家は無事だったそうですが、停電に断水で、ご家族は暫く避難所で暮らしていたそうです。電気は間もなく回復したのですが、上下水道が寸断されており、この時はまだ復旧の目処は立っていないとの事でした。水はまだ給水車から貰えるのですが、下水が流れないのはどうしようもなく、とても困っているのだそうです。この話を聞いてから二ヶ月近くが経ち、水道の幹線はかなり復旧している様ですが、家に引き入れる管がなかなか繋がらない様です。下水道の復旧はまだこれからの様ですね。倒壊した家屋の撤去もあまり進んでいない様で、復興と言うにはまだまだ時間が掛かりそうです。私の住む京阪神でも東南海地震の発生が警告されており、能登の災難は他人事ではなく、明日は我が身です。一日でも早く被災した人たちが日常を取り戻せるよう願っています。

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卯辰山を下りて近江町市場まで送ってもらい、タクシーを降りました。ここは170もの店が集まる、金沢の台所と言われる大規模な市場です。市民が買物に来るだけでなく、観光客も多く集まる金沢名所の一つです。

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金沢に来る前に昼食はどうしようかと色々調べていたのですが、金沢名物と検索すると金沢カレーと出てくるサイトが多かったです。なので、当初はこの近くにあるカレー店に行くつもりだったのですが、ここに入ってしまうと歩いて行くのが面倒になり、市場の中で食事を済ますことにしました。市場の中には飲食店も多くあり、下調べもしていなかったのでどこが良いか判らなかったですが、とりあえず目に付いたひかりやと言う海鮮丼の店に入りました。表の看板に海鮮丼だし茶漬けとあったのでそれを選んだのですが、これが絶品でした。山盛りの海鮮丼はネタが新鮮で、シメに出しを掛けて残ったご飯を頂くのですが、実に美味しかったですね。なぜこんな店が空いているのか不思議だったのですが、後から調べてみると結構な人気店だったらしく、予約で満席になる事も珍しくはない様です。たまたまた空いている時に当たったらしく、とてもラッキーだったのでした。

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近江市場には鮮魚、野菜、果物など様々な店がありますが、やっぱり日本海の幸に目が行きますね。買物目的ではなかったですが、北陸ならではの食材を見て歩くのは楽しかったです。ここからは歩いて金沢城へと向かうことにします。

2024年5月23日 (木)

北陸の旅2024 ~金沢 三茶屋街 3.31~

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随分と間が空いてしまいましたが、3月の末に行った北陸旅行の様子をお届けします。きっかけは北陸応援割、能登地震で打撃を受けた北陸の復興の手助けに観光に訪れようという企画です。この企画、想像以上に大人気で、受付開始と共に大手旅行会社の枠はあっという間に一杯になり、旅館やホテルに個別に電話する羽目に。半ば意地になり掛け続けること十数件、やっと空きを見つけて予約を取ることが出来ました。

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行き先は金沢、三度目の訪問となりますが、兼六園以外の名所はほとんど回った事が無く、本格的な観光は今回が初めてとなります。金沢の観光は周遊バスで巡るのが基本ですが、今回は北陸応援割で浮いた予算で観光タクシーをお願いしました。少し駆け足になりますが、主な観光地を半日で回ろうという作戦です。

まず案内してもらったのは三つある茶屋街の一つ、主計町茶屋街です。浅野川のほとりにあり、江戸時代に富田主計の屋敷があった事から主計町と呼ばれる様になりました。茶屋街が形成されたのは明治時代の事で、今でも現役の茶屋があります。ここに来た一番の目的は川沿いの桜並木を見る事で、町家とのコラボはさぞかし風情があるだろうなと思ったのです。しかし、予約した時点ではこの日あたりにまずまずの見頃となる予報だったのですが、例によって金沢でも桜の開花は遅れてしまい、残念な結果になったのでした。

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主計町は川沿いも風情がありますが、路地裏にも趣きがあります。旦那衆がこっそり通ったというくらがり坂、五木寛之氏が命名したあかり坂などもみどころですね。写真は検番所で、前で写真を撮っていると中から三味線の音が聞こえてきました。まだ午前中でしたが、茶屋街らしい風情を感じた一時でした。

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主計町から橋を渡ってすぐのところにあるのがひがし茶屋街。ここは藩政時代に出来た茶屋街で、城下に点在していた茶屋を浅野川の東と犀川の西に集めて新たに町割りをしたのが始まりです。当時は90軒もの茶屋が建ち並んでいたと言いますから、一大歓楽街だったのですね。三茶屋街の中では最も広く、兼六園と並ぶ金沢観光の名所です。初めて金沢を訪れたのは40数年前の事ですが、正直言ってどこをどう回ったのか記憶は曖昧です。このひがし茶屋街にも来たとは思うのですが、こんなに綺麗に整備されていたっけと言うのが感想です。

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ここには昔ながらのお茶屋も残っていますが多くは観光客向けの店で、割烹、カフェ、伝統工芸品の売店、金箔貼りの体験が出来る店など様々なジャンルが揃っています。その気になれば半日はここで過ごせるほど店が多彩でかつ広く、金沢観光の中心として人気を集めるのもうなずけます。

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金沢に来る前に1月頃の動画を見て予習をしたのですが、地震の影響で本当に閑散としたものでした。しかし、この日は大勢の観光客で賑わっており、元の賑わいを取り戻したかのように見えました。北陸応援割の効果があったのでしょうかね。

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三つ目の茶屋街はにし茶屋街、ひがし茶屋街と同時期に出来た茶屋街で、犀川大橋を渡って少しの所にあります。三茶屋街の中では一番小さく、直線距離にして100m程の道の両側に昔ながらの町家が並んでいます。ここには4軒の現役のお茶屋があり、十五人の芸妓さんが所属しているとの事です。

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これは通りの中程にあった検番所。ここで芸妓さん達がお稽古をしているのですね。金沢のお茶屋は京都の祇園と同じように一見さんお断りだそうで、観光客がお茶屋遊びをするのは無理みたいです。お茶屋体験という企画もありますが、開催日が限られているのが難点です。

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ここでは夕方になると通りを歩く芸妓さんに出会えるそうで、風情を求めるなら日暮れ時が良いかも知れません。祇園の様にインバウンドで溢れるという事はなく、ゆったりとした時間が流れているのがにし茶屋街です。

2024年5月22日 (水)

京都・洛東 青紅葉2024 ~永観堂 5.17~

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南禅寺から永観堂に来ました。ここに来るのは去年の秋以来半年ぶり。南禅寺と同じく、今の時期は混み合うという事は無く、静かに青紅葉を楽しむ事が出来ます。

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境内にある土蔵です。日に照らされた紅葉の反射を受けて若葉色に染まった白壁が綺麗だったので撮ってみました。

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永観堂の裏手は小高い山。切り取り方次第で深山幽谷の様にも見えます。山裾にあるだけに少し高低差がありますが、足の弱った人のためにエレベーターを設置してあるのが良いですね。さすがは貧者のために非田梅を植えたという永観律師の系譜を引く寺だけの事はあります。

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放生池に架かる極楽橋からの風景です。赤く染まった秋の景色も良いですが、真新しい緑に囲まれた今の光景も素敵です。

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この庭は赤の紅葉が程良く混植されているのが美しさを際立たせています。もう少しすると赤い色がくすんでくるので、今が一番の見頃ですね。

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弁天様にお参りして背後を振り向くと、この景色が見えました。何度も見ているはずですが、こんなに綺麗だったかなと思いながらシヤッターを切りました。これまで気が付かなかっただけですなんですけどね、新しい発見をしたような気分がしました。

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帰り道に見た白壁と青紅葉のコラボです。ここも秋には沢山の人が歩くので撮るのは難しいのですけどね、この日は空いていたのでカメラに収める事が出来ました。暑くも無く寒くも無く、とても気分の良い拝観が出来た一時でした。

2024年5月21日 (火)

京都・洛東 青紅葉2024 ~南禅寺 5.17~

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令和6年5月17日の南禅寺です。この日は好天に恵まれ、未だ新鮮さを保った青紅葉が輝く様に綺麗でした。

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こちらは紅葉の時に狙うポジションです。秋には人が多すぎて参道正面からは無理ですが、ここからなら人を入れずに撮れますからね。でも青紅葉も三門を背景にして良く映えます。

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この日は修学旅行生の団体が来ていたほかは、ぽつぽつと散策する人が居た程度でした。外人さんは二人だけだったかな。めちゃ混みする桜時分の清水寺なんかには行かずに、今の時期こういう所に来れば本当の京都らしさを感じる事が出来るのにね。

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もう少しすればこの向かい側にある沙羅の花が咲き、根元に散った様を見ることが出来るはず。その頃にもう一度来ようと思っています。

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時間とともに参拝者も増えてきましたが、なにしろ広いので少々の事では気になりません。それにほとんどの人は水路閣に行ってしまいますしね。のんびりと南禅寺の青紅葉を楽しんだ後は永観堂へと向かいます。

2024年5月20日 (月)

京都・洛北 バラ2024 ~京都府立植物園 5.14~

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令和6年5月14日の京都府立植物園です。この日はバラ園が満開・見頃となっていました。

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京都府立植物園のバラは約320種、1400株あります。これだけ多品種のバラが見られるのは植物園ならではです。

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植物園に来てうらやましいと思うのはつるバラですね。つるバラは半端なく巨大に育つので、生半可な家では育てる事は出来ません。

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植物園会館にある展望室から見た景色です。ここは比叡山を背景にした園内を見る事が出来るのですが、一番綺麗なのは一面にバラが咲いた今の季節かな。

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見るぶんにはとても綺麗で嬉しいのですが、これだけの数を手入れするのは大変でしょうね。この日も職員の方が痛んだ花を切っておられましたが、当然ながら手作業で、相当な時間が掛かった事でしょう。そうした地道な作業のおかげで、いつも美しい状態を保っていられるのでしょうね。

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この日から6日が経ちましたが、まだまだ見頃は続いているでしょう。22日、23日はバラフェアが行われるとのことです。ミニコンサート、スタンプラリー、ワークショップなどが行われるそうですよ。時間が合う方は綺麗なバラを見がてら、出かけてみては如何ですか。

2024年5月19日 (日)

近江八幡の旅 ~八幡山城跡 3.14~

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この日近江八幡を訪れたきっかけは、続100名城の八幡山城を訪れるためでした。城に行くためにいろいろと調べている内にこの町がとても面白いという事を知り、城下町散策をしてみる事にしたのです。

八幡山城を築いたのは豊臣秀次、秀吉の甥にあたる人物ですね。子の無かった秀吉は秀次を跡継ぎと決め、関白職を譲って伏見城に隠居しました。しかし、実子の秀頼が生まれると秀次との関係が微妙になり、ついには謀叛の疑いをかけて高野山に追いやって、切腹へと追い込んだのでした。秀次にはその死後、殺生関白の汚名が着せられ、様々な悪評が流布されました。このため世間では秀次を無能で残虐な人物とみなす様になったのですが、実際の秀次は悪逆な愚か者ではなく、とても有能な人だった様です。

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その最たる証拠はこの近江八幡の礎を築いた事で、城を築くと共に山の下に町割りを行って安土から商人を呼び寄せ、八幡堀を掘って水運を整え、楽市楽座によって町の繁栄の基礎を整えました。決して悪逆無能な人物に出来る事では無く、善政を敷いた名君として今でも地元の人に慕われています。

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八幡山城は1585年に築かれた山城です。すぐ近くには安土城があったのですが、なぜか安土城を修復して使う事をせず、新たに八幡山の上に城を築いたのでした。理由ははっきり判りませんが、一説には信長の天下を奪った秀吉が、信長の威光の象徴であった安土城を消し去ろうとしたのではないかと言われています。

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八幡山は安土山と違って険しい山で、山上には広いスペースがありません。このため、山上には純粋に軍事的な施設だけが築かれ、御殿など主要な建物は山麓に作られました。屋敷跡からは金箔瓦が出土しており、大坂城などと同じく豊臣政権の城らしい豪華なものであったと考えられています。

八幡山城は1595年に秀次が切腹して亡くなると廃城となり、秀吉によって徹底的に破却されました。聚楽第もそうでしたが、秀吉は秀次が生きていた痕跡を残したくなかった様ですね。現在山上には石垣だけが残り、城に代わって瑞龍寺が建っています。この瑞龍寺は秀吉の姉にして秀次の母である日秀尼が秀次の菩提寺として建てたもので、当初は嵯峨野、後に堀川今出川に移り、昭和36年に現在地に移されました。

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八幡山城跡には麓からロープウェイが通じています。このためアクセスは極めて容易で、城跡の中は若干の上り下りがありますが、山城としては最も楽に登城出来る城の一つではないでしょうか。このロープウェイは近江鉄道が運営していますが、元はと言えば安土城跡に設置される予定のものでした。昭和33年に西武グループの堤康次郎氏が安土城の再建と周囲のリゾート地化を計画したのですが、安土城跡が史跡として指定されていたために国からの許可が下りずに頓挫、余ったロープウェイを八幡山に持ってきて設置し、現在に至っているのです。

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まあ、城跡の保全という意味ではどうかとは思いますが、おかげでこの景色を手軽に楽しむ事が出来ます。現在では恋人の聖地とも言われ、結構賑わっている様ですね。実際、この日も平日でしたが上りのロープウェイは満員、下りたときも結構な人が乗り場で待っていました。そのうち半分以上がインバウンドの方だったのには少し驚きましたけどね。

八幡山城跡には石垣が良好に残っており、城好きの人も楽しめると思います。何より近江平野や比良山系を望む展望が素晴らしい。是非晴れた日を狙って登ってみて下さい。町巡りと絡めたら一日十分に楽しむ事が出来ますよ。

2024年5月18日 (土)

近江八幡の旅 ~八幡堀 3.14~

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近江八幡で一番有名なのは八幡堀のこの景色でしょうか。八幡堀は八幡山城を守る堀であると共に琵琶湖と繋ぐ事で運河としての機能を持ち、この町が水運の拠点となる事に大いに寄与しました。その後ここが近江商人発祥の地となった原動力と言っても良いのでしょう。

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この美しい八幡堀ですが、水運が廃れた高度成長期には見捨てられた存在になり、汚水が流れ込み、不法投棄が相次ぐドブ川になっていたそうです。昭和40年代には工場誘致を含めた区画整理事業が立案され、この堀も無用の長物として埋め立てられる事になりました。しかし、昭和47年に地元の青年会議所が故郷の原点を守ろうと立ち上がり、保存運動が始まったのだそうです。

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最初は顧みる人も無く青年会議所だけが地道な活動をしていたのですが、次第に市民の間に地元を守ろうという空気が生まれて運動が広まり、昭和50年9月に至って遂に市を動かす事に成功し、埋め立て計画は中止になったのでした。そして更に県を巻き込んだ事業に発展し、ヘドロの浚渫、石垣の補修が行われ、往時の姿を取り戻す事が出来たとの事です。

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今やこの素晴らしい景観は地元の方のみならず、ここを訪れる人にとって掛け替えのないものとなっています。よくぞ保存をして頂いたと感謝の言葉しかないですね。

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これはかわらミュージアム。その名の通り瓦の博物館です。時間の関係で中には入らなかったのですが、とても風情のある博物館ですね。丁度芽吹きだしたしだれ柳の新緑が白壁に映えて綺麗でした。

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堀のほとりには桜が沢山植わっていました。花の時期に来たらさぞかし綺麗だった事でしょうね。混雑を避けるため、あえて桜の季節を外したのですが、花の無い枝を眺めながらちょっぴり後悔しました。でも狙い通りゆっくりと散策出来たので良しとします。

2024年5月17日 (金)

近江八幡の旅 ~日牟禮八幡宮 3.14~

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近江八幡の中心になっているのが日牟禮八幡宮です。伝記に依れば131年に成務天皇の命によって創建されたという大変古い由緒を持ちます。さらに275年にこの地に行幸された神武天皇が二つの日輪を見るという奇瑞があったため、社を建てて日群之八幡宮と名付けられました。

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元はこの地はこの神社にちなんで単に八幡と呼ばれていましたが、昭和29年の市政施行の時に福岡の八幡市との混同を避けるために近江の字を付け、現在の近江八幡市となったという経緯があります。もっとも、市政施行以前から近江八幡という呼称はあり、駅名などに既に使用されていたことから市の名前としたという説もありますね。

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991年には一条天皇の勅願により八幡山の上に宇佐八幡宮を勧請して上の社とし、山麓に遙拝所を作り下の社としました。その後、八幡山城の築城に伴い上の社は日杉山に移転される事となったのですが、城主であった豊臣秀次の自害によって計画は頓挫し、下の社だけが残り現在に至っています。

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本殿の横にあるのが鏡池。虚偽の心で水面に顔を映すと池に没するという言い伝えがあります。もっとも、水が濁っているので、のぞき込んでも顔が写るという事は無いのですけどね。昔は鏡のように澄んでいたのかな。

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鏡池の後ろには鏡岩という大岩が聳えています。神座を守る岩とされる、迫力満点の岩です。ここで参拝を済ませた後は八幡堀周辺を散策する事とします。

2024年5月16日 (木)

近江八幡の旅2024 ~近江商人の家並みとヴォーリーズの足跡 3.14~

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令和6年3月14日、近江八幡市に日帰りで旅行してきました。桜の記事を優先していたので今になってしまいましたが、素敵な街だったのでお届けする事とします。

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近江八幡は滋賀県の東部、草津市の北、彦根市の南に位置する町です。近江商人発祥の地として知られ、今でも商人達が形作った町並みがそのま残っています。美しい塀と見越しの松に低い町並み、まるで江戸時代にタイムスリップした様な素敵な景色です。

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近江八幡市はこの旧市街とJRの駅が離れており、近代的な街が駅周辺で発達した一方、旧市街地は無秩序な開発からは免れたのですね。高度経済成長期には取り残された感があったでしょうけど、今となっては貴重な財産となっています。

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現在は国の重要伝統的建物保続地域に指定されており、町並みを損なう店も見当たりません。早朝という事もあってか人通りはほぼ無く、散策路としては言うこと無しです。このまま観光公害に犯されること無く、いつまでも保存しておいて欲しい町並みです。

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近江八幡には古い町並みが残っていると共に、建築家として知らせるウイリアム・メレル・ヴォーリズの足跡がそこかしこに残っています。たとえばここはその一つヴォーリズの家であった洋館で、今は記念館として公開されています。残念ながら予約制であったため入る事は出来ませんでしたが、有名な人の住居にしてはこぢんまりしているなという印象でした。元は幼稚園職員のための寄宿舎で、後にヴォーリズ夫妻が移り住み、夫人のための和室を増築した和洋折衷の建物だそうです。

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ヴォーリズは建築家のほか実業家、教育家としての顔を持つという多彩な才能の持ち主でした。彼の銅像は八幡堀の南端の広場に建てられており、その優しげな姿はヴォーリズの人柄を現している様でした。

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その銅像の背後にはヴォーリズが手がけた近江兄弟社の社屋があります。近江兄弟社と言えばメンソレータムが有名でしたが、1974年に経営が破綻し、メンソレータムの販売権をロート製薬に譲ります。その後自主再建に着手しメンソレータムの販売権を取り戻そうとしますが、アメリカのメンソレータム社が拒否、諦めきれなかった近江兄弟社は成分がほぼ同じ商品をメンタームと名前を変えて販売し、現在に至ります。

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社屋の一階は資料館となっており、誰でも無料で自由に入れます。ここではヴォーリズの足跡や近江兄弟社の歩みを知る事が出来ます。数々のヴォーリズ建築の写真やメンタームからの派生品の数々を見る事が出来、なかなか興味深かったですよ。

入り口には滋賀県が発祥とされる飛び出し坊やがあり、メターム版になっていたのが面白かったです。

2024年5月15日 (水)

京都・洛東 青紅葉2024 ~真如堂 5.9~

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黒谷から真如堂に来ました。ここも桜時分以来、境内はすっかり様変わりして真新しい緑で包まれていました。

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このもみじは姿が良くて絵になりますね。紅葉の時は微妙で縮れてしまう事が多い木ですが、青紅葉の今はご覧のようにとても綺麗です。

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真如堂の定番構図の一つです。紅葉の時は花の木、もみじ、銀杏と色とりどりですが、今の季節は緑色、それでも木によって微妙に色合いが違うのが面白いです。

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ここ真如堂も空いていましたね。カメラを持った人が二,三人居た程度だったかな。菩提樹は花芽が出来ていましたが、この花が咲くのは半月程先、その頃には結構賑わう事でしょうね。

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吉祥院前の大ツツジです。5月4日で五分咲きとの事だったので期待していたのですが、残念ながら盛りは過ぎていました。ちょっと進行が早すぎる気がしますが、仕方が無いですね。今年は桜の後半からこんな感じが多いので、訪れるタイミングが難しいです。次にここに来るのは菩提樹が咲く頃、その時分には紫陽花も綺麗になっていると思うのですが、上手く行くかな。

2024年5月14日 (火)

京都・洛東 青紅葉2024 ~黒谷 5.9~

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平安神宮から黒谷に来ました。桜を見に来て以来ですが、境内はすっかり様変わりし、赤や緑のもみじが美しく彩っていました。

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桜の頃はここも沢山のカメラマンが来ていましたが、青紅葉を撮りに来る人はほとんど居ないですね。桜は時期が限られるけど、青紅葉はいつでも撮れるという事でしょうか。

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でも青紅葉も本当に美しい時期というのは限られています。時間が経つと色が濃くなり、新鮮味がなくなってしまいまいからね。

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この日はまだとても綺麗な状態でした。日が当たり、青空を背景にして見た緑は、はっとするほど美しかったです。

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そして黒谷で外せないのが、塔頭の栄摂院です。紅葉が素晴らしいもみじは、青紅葉もまた見応えがありますね。ここには平安神宮と同じくさつきの盛りの時に来るつもりです。上手くタイミングが合えば良いのですけどね。

2024年5月13日 (月)

京都・洛東 カキツバタ2024 ~平安神宮 5.9~

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令和6年5月9日の平安神宮です。この日はカキツバタが終盤を迎えていました。

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もう少し咲いているかなと思っていたのですが、既に三番花になっている株が多かったです。平安神宮のはんなり便りでは4月26日に咲き始めたとあったので、連休の前半あたりが見頃だったのかな。少しのんびりし過ぎた様です。

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ただ、花穂が見えなかった株も多かったので、今年は花そのものが少なかったのかも知れません。この日一度見ただけなので、何とも言えませんけどね。

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折鶴は咲き出すのが遅かったらしく、まだ二番花が咲いていました。綺麗な花なのですが、花殻が付いたままなのは気になりますね。

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この日はなぜか神苑はガラガラでした。仁王門前には沢山人が居たのですけどね、神苑に入る人はごくわずかだった様です。泰平閣に全く人が居ないなんて、雪の日に来て以来じゃないかしらん。桜時分とは大違いですね。次はさつきが満開になる頃に来るつもりです。今年の花暦はいつにも増して良く判らないので、情報はちゃんとキャッチする様にしなければね。

2024年5月12日 (日)

京都・洛北 日本仏教の母山2024 ~比叡山延暦寺 5.5~

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ガーデンミュージアム比叡の次は延暦寺に来ました。ここは仏教の聖地、いつ来ても厳粛な空気が漂い、背筋が伸びる場所です。

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ここで必ず行うのが平和の鐘を撞く事。最近はもっぱら息子の役目になっていますが、ずっと50円だったのが100円になっており、ちょっと慌てる事になってしまいました。手持ちの小銭に50円玉しかなく、100円玉が無かったのですよね。

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延暦寺に来て最初にお参りするのが大講堂。僧侶が修行、学問を行う場です。その象徴がここで5年に一度行われる法華大会広学堅義という問答です。普段の修学の成果を幹部の僧侶が修行僧に問いかけるのですが、これがとても現代で行われているとは思えない、平安時代さながらの進行で展開されるのだそうですね。司馬遼太郎さんが書かれた「街道を行く」でその様子が活写されているのですが、千年前にタイムスリップした様でなんとも興味深いものです。一度その様子を見てみたいと思うのですが、天台宗の秘儀であり、一般人が興味本位で立ち会いが許されるはずも無く、大講堂を眺めながら司馬さんの作品を読み、想像をたくましくするしか方法は無いでしょう。

もう一つ、このお堂に入って圧倒されるのは、日本仏教界を代表する巨人たち、法然、親鸞、栄西、道元、日蓮、一遍など錚々たる人物の木像が並んでいる事です。このうちどの一人を取っても分厚い思想史が書けるくらい歴史の中に大きな足跡を残していますが、これら全ての人たちが延暦寺で修行を行っているのですね。今も日本に残る主な宗教が、ことごとくここから派生しているという事実から、比叡山は日本仏教の母山と呼ばれています。

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延暦寺の総本堂にあたるのが根本中堂、現在全面的な改修作業中です。予定では10年、今年で8年目ですから、完成までには後2年ですね。改修は相当程度進んでおり、いま入り口から入るといきなり外陣の中央、ご本尊の正面に出ます。それ以外の部分は作業中と言う訳で、8割程度は手が付けられているのでしょう。作業の進捗が見学出来るステージからは本堂と回廊の屋根の現状が見られるのですが、共に葺き替えは終わっている様に見えました。特に本堂の屋根の銅板葺きはまさに銅色で、緑青色だった改修前と全く違っており、これが本来の色だったのかと興味深かったです。これから本堂の中心部に取りかかるのでしょうけど、拝観はどうするのでしょうね。さすがに中止にしないと無理ではないかと思うのですが、さてどんな方法を採るのでしょう。二年後に完成した姿を見に来るのが楽しみです。

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根本中堂の拝観が終わったら、以前なら息子と連れだって西塔まで歩いたのですが、足腰の弱った今は途中の石段がきつく、息子のペースについて行けなくなったので止めておきました。昔は幼かった息子の手を引いて行ったのですけどね、今は立場が逆転してしまっています。頼もしくなったと思う反面、自分が情けないという気持ちもあり、複雑な気分ですね。

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西塔の代わりに訪れたのが阿弥陀堂と法華総寺院東堂です。右の阿弥陀堂は阿弥陀如来をお祀りするお堂で、壇信徒の先祖の回向・供養を行う道場です。一般の人でも回向・供養はしてくれるのだとか。ここの阿弥陀様は丈六の大きなもので、迫力がありますね。

一方、法華総寺院東堂は伝教大師が日本に六つの宝塔を建設し、日本を護るという計画を立てられたのですが、その中心となるのがこの塔です。信長の焼き討ちの時に焼失し、長く放置されていましたが、昭和55年に再建されました。二重の塔ですが、多宝塔とはまた違う形をしており、他ではあまり見ない形式の塔ですね。

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東堂に行く途中に聳えているのが戒壇院。正式な僧侶の資格を与える大事な儀式の場で、僧侶でも授戒の時に一度だけ入れるという特別な場所なのだそうです。延暦寺の創建当初はこの戒壇院が無く、せっかく修行を終えても僧侶の資格を得るには南都に行くしかなかったため、戒壇院を持つのは伝教大師の悲願でした。そして何度も朝廷に掛け合い、ようやく許しを得たのですが、戒壇院が出来る前に伝教大師はお亡くなりになりました。さぞ無念だったのか、それとも許しを得た事で安心されたのか、どちらだったのでしょうね。

道沿いの高台にぽつんと建っているからか訪れる人は少なく、外人さんだけが来ていましたが、どういう意味を持つ施設か判っていたのかな。外国のガイドブックにどう書かれているのか聞いてみたいですね。

2024年5月11日 (土)

京都・洛北 天空の花園2024 ~ガーデンミュージアム比叡 5.5~

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令和6年5月5日、初夏を迎えた比叡山に登ってきました。まず訪れたのがガーデンミュージアム比叡。848mの天空に整備された花園です。

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ガーデンミュージアム比叡が開園したのは2001年の事。それ以前ここには比叡山頂遊園地がありました。比叡山は霊峰とされますが、昭和の時代には山頂までドライブウェイやケーブルカーが整備され、遊園地に隣接してスキー場まであるという一大レジャーセンターでした。夏場には遊園地でお化け屋敷が設置され、スキー場ではコンサートが開かれるなど、今では考えられないほど若者や家族連れで賑わう場所でした。

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比叡山が一番賑わっていたのは昭和40年代から50年代にかけてでした。私も子供の頃良く連れていって貰いましたね。特にお化け屋敷は一種の風物詩で、大抵の京都の子供は訪れていたかな。陰りが見え始めたのは昭和の終わり頃からで、平成に入ると遊園地はすっかり寂れてしまいました。アトラクションも更新されなくなり、入園者も激減していましたが、小さな子供を遊ばせるにはぴったりで、息子を連れて良く行きましたね。

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これだけ寂れていつまで保つかなと思っていたのですが、2000年に入るととうとう閉園されてしまいました。その後、多数の重機が入って大々的に工事が行われ、何が出来るのだろうと思っていたのですが、翌年に完成したのがガーデンミュージアム比叡です。モネの庭をコンセプトにした庭園で、印象派の画家の45点の陶板画を設置した美術館でもあります。

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開園した当初は結構な人気で、カフェやショップはいつも混んでいました。昼食はどうしようというのが悩みの種でしたからね。でもここ数年は入園者が減っている感じです。この日も連休中にも係わらず、とても空いていました。ロープウェイは満員だったのですが、ここに入ったのは我が家だけでしたからね。1200円と入園料が高い事も影響しているのかも知れません。でも澄んだ空気の中に緑と花が溢れていて、私的にはお気に入りの場所です。年に一回ですが、独立した息子達も一緒に来てくれますしね。5月の空の下、のんびりとした時間を楽しんだ一時でした。

2024年5月10日 (金)

京都・洛東 青紅葉2024 ~粟田神社 5.2~

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尊勝院から坂を下り、粟田神社へと来ました。この神社は876年に創建されたという由緒を持ち、素戔嗚尊、大己貴命を主祭神として祀り、旅立ちの守護、厄除け、病除けのご利益があるとされます。

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その後、隣接する青蓮院の鎮守社となりました。青蓮院とは入り口は少し離れていますが、平面的に見ると敷地は隣りあっている事が判ります。

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それにしても緑の多い気持ちの良い神社ですね。紅葉時分には来た事が無いのですが、今年は訪れてみようかな。

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秋に行われる粟田祭は屋台も出る賑やかな祭りだったのですが、今でも雰囲気は変わらないのかな。由緒はあるけど観光行事ではない、地域のためのお祭りでしたね。

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今の粟田神社を有名にしているのは、この鍛冶神社の存在が大きいですね。粟田口に居た刀鍛冶の名工、三条小鍛治宗近と粟田口藤四郎吉光、それに天目一箇神を祀る神社で、平成30年に創建されました。今から9年ほど前に刀剣乱舞というゲームがブームになり、今も続く刀剣女子の存在に触発されて創られた神社で、瞬く間に存在を知られる様になって、聖地の一つになりました。この日も平日でしたが、訪れている女性達が居ましたね。こうして神社が知られる様になるのは良いことです。オーバーツーリズムになっては困りますが、いまのところそんな気配は無いですからね。場所は二の鳥居を潜ってすぐ左側の広場にあります。せっかくですから、ここだけでなく本殿にもお参りされて行く事をお勧めします。とても静かな気持ちの良い神社ですよ。

2024年5月 9日 (木)

京都・洛東 青紅葉2024 ~尊勝院 5.2~

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青蓮院の前の坂を下り、粟田神社へと向かう途中に元三大師と書いた石碑があります。この石碑に気付いたのは40数年前の事、以来この先には何があるのかなと気になっていました。その答えが出たのは20数年前の事、京都の散歩道というボムページを作るためにこの奥へと向かったのでした。

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石碑が設置されている以上そう遠くないとこにありそうなものなのですが、意外な程奥があります。ここに来るのは四回目、今回は17年ぶりに訪れたのですが、こんなに階段があったっけと、すっかり忘れていました。当時の記事を読み返すときつい坂と書いているのですが、すっかり体力の落ちてしまった今の私にはさらに厳しく、途中で息が切れてしまいました。時の流れとは残酷ですね。あえぎながら登った先に見えたのがこの景色です。

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この寺の名は尊勝院、詳しくは17年前の記事を参照して頂くとありがたいのですが軽く触れると、元は尊勝坊という延暦寺の一坊でしたが、後に山から下りて青蓮寺の裏に移り、尊勝院となりました。応仁の乱で戦火に巻き込まれて焼失してしまいますが、豊臣秀吉によって再建されたのがこのお堂です。大正4年に現在の地に移されていますが、お堂の主要な部分は秀吉が再建した当時のままで、中に入ると安土桃山期の寺らしく極彩色に彩られていた名残を見ることが出来ます。

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この寺は第十八代天台座主の良源上人を祀っているのですが、良源上人の別名を元三大師(正月三日に亡くなったという由来)と言い、この名の方が有名な事からこの寺は元三大師堂とも呼ばれる様になりました。坂の下の石碑はこの事を指していたのですね。延暦寺の千日回峰を終えた行者が元三大師に報告に訪れるのがこのお寺で、その際に渡るのが一本橋(行者橋)です。

ホームページを作った当時には何も説明書きが無く、あちこちを調べて作った記憶があるのですが、一年後だったかな、ねこづらどきの為に再び訪れた時には立て札が出来ていました。新しく作ったのかなと思ったのですが、なんとこれが私の作ったホームページを印刷したものでした。いや、驚くと共に嬉しかったですね。ちゃんと見つけてもらい、中身も認めて頂いたという事ですから、作った甲斐があったというものです。今は京都市が作った立派な駒札になっていますが、懐かしい思い出です。

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ここは将軍塚への登り口にもなっているのですが、結構人が通りますね。そんな中に外人さんも居たのには驚きました。こんな道は地元の人しか知らないと思っていたのですが、海の向こうでどうやって情報を得たのでしょうね。最近の外人さんの情報網は侮れないと思った次第です。

帰り道、落ち着いて周囲を見渡すと随分と変わっている事に気づきました。まず新しい旅館が出来ています。四棟からなる一棟貸しのホテルの様ですね。こんなところで商売になるのかなと思ったのですが、意外と人気がある様です。もう一つ変わっていたのが老舗の粟田山荘が閉店していた事です。元は別荘で、その後京都ホテルが所有し経営していた料理旅館だったのですが、三年前に売却していたとの事です。名園もある歴史のある建物なのに今後の利用計画は未定だとか。なんとも惜しい事だと思います。

2024年5月 8日 (水)

京都・洛東 青紅葉2024 ~青蓮院 5.2~

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得浄妙院から青蓮院に来ました。ここに入るのも久しぶりですね。

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長い間来なかった内に、受付での対応が少し変わっていました。以前は宸殿と青不動や仏様は撮らない様にと言われただけでしたが、華頂殿の蓮の絵は撮っても良いが何枚も撮らないでくれと注意されました。うーん、なんだか中途半端な制限ですね、部屋に居座って写真を撮り続け、迷惑をかけたカメラマンが居たのかな。

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まあ狙いは庭の新緑だったので襖絵はどうでも良かったのですが、そう言われるとかえって気になります。一枚だけなのか、五枚なら良いのかと思いながら、三枚だけ撮らせてもらいました。私が知らないだけで、有名な人の作品なのかな。

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庭は期待通り新鮮な緑で溢れていました。まだ新緑と言って良いもみじの下は、歩いていて気持ちが良かったですよ。もう少し前なら霧島ツツジが咲いていた様ですけどね、今年は連休を待たずに散ってしまいました。

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青蓮院は、宸殿と長屋門、車寄せは屋根の葺き替えなどの補修中ですが、拝観は通常どおり出来ます。ただ仮設足場が宸殿前の庭を埋めているので、夜間拝観はありません。ここに灯される梵字は綺麗なのですけどね。

拝観者は10人程だったかな。連休の中日だからもっと多いかと思っていたのですが、案外空いていましたね。これくらいなら適当に散るので、ゆっくりと拝観させていただくことが出来ました。

2024年5月 7日 (火)

京都・洛東 戒壇巡りと一初鑑賞会2024 ~得浄妙院 5.2~

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白川から得浄妙院に来ました。ここでは戒壇院巡りと一初鑑賞会に参加するのが目的です。

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得浄妙院は知恩院の境内に隣接していますが塔頭ではなく、信州善光寺の京都別院です。明治27年に伏見宮家出身の誓圓尼公の発願により、兄の久邇宮朝彦親王の働きかけで知恩院より境内の一角を譲り受けて創建されました。発願の趣旨は当時は関西から善光寺までは遠く、善光寺如来とのご縁を結ぶのが容易ではなかったため、信心ある人々のために別院を建てたとの事です。

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ここは本家の善光寺とは比較にらないほどこぢんまりとしていますが、本堂の造りは同じで、いわばミニチュア版ですね。なので、本家と同じように地下に戒壇があり、暗闇の通路を廻ってご本尊の真下にある錠前に触れ、南無阿弥陀仏と唱える事によってご本尊様とご縁を結ぶ事が出来ます。この戒壇巡りは何度か経験していますが、全くの闇の中なので、慣れるという事はありませんね。

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境内には一初が咲いています。以前はもっと数が多かったのですが、来る度に少なくなっている気がします。一時はプランター植えの花もあったのですが、この日は無かったですね。

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白の一初も随分と数を減らしました。以前は奥の石塔の周辺で咲いていたのですけどね、今は姿を消しました。そう言えばジャーマンアイリスの姿も見なかった気がするど、まだ伸びてないだけだったのかしらん。花に関して言えば、以前より寂しくなっていますね。

でも開門直後に行ったせいか拝観者は私の他に二人居ただけで、とても静かなものでした。連休中にこれだけのんびりと出来る所はそう無いですよ。久しぶりの戒壇巡りも無事にご縁を結ぶ事が出来ましたし、ここに来た甲斐は十分にありました。

2024年5月 6日 (月)

京都・洛東 柳並木2024 ~白川 5.2~

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令和6年5月2日の白川です。初夏を迎えて川辺のしだれ柳の緑が濃くなり、美しい景色になっていました。

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ここは以前は顧みられることの無いただの下町だったのですが、いつの間にか観光名所になりましたね。柳が生長して見応えがある様になったという事もあるのかな。

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外国の方もちらほらみかけましたね。特に一本橋には、入れ替わり立ち替わり来ていました。この橋、外国の方には何て紹介れているのかな。ずっと以前、古川町商店街が庶民の市場だった頃には、買い物駕籠を下げた主婦が渡る橋だったのですけとね。

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でも昔に比べれば随分と美しい景色になったのは確かです。はるか以前にはこの上流に染色工場があり、赤や青に染まった水が流れていたのを知る人はあまり残っていないだろうなあ。

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ここまで綺麗になったのは、京都市と地元の方が持続的に管理されてきた事が大きいのでしょうね。ゴミ一つ落ちていない環境は、日々掃除をされている地域の方々の存在があっての事なのでしょう。ちょっと不思議なのは、柳の寿命を調べてみると20年から30年なのだそうです。ここの柳はずっと以前からあるのだけどな、そんなに頻繁に植え替えているのかしらん。せっかく良い景色になったのに、間もなく枯れてしまって若木に更新されるとしたらちょっと残念ですね。

2024年5月 5日 (日)

京都・洛東 新緑2024 ~正伝永源院 4.25~

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建仁寺から境外塔頭の正伝永源院に来ました。織田有楽斎縁の寺ですが、ここは普段は非公開で、春と秋に特別公開が行われます。

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この数日前にツツジが見頃となっていると聞いてきたのですが、残念ながら既に盛りは過ぎていました。地面に沢山花が落ちていたところを見ると、たぶんこの前日に降った雨で散ってしまったのでしょうね。

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この寺に来たのは二度目で、前回は何年前か忘れてしまいましたが、当時は無かった大きな石塔が庭に建っていました。これは武野紹鴎の供養塔で、元々この寺の前身である正伝院にあつたのですが、廃仏毀釈によって正伝院は廃寺となり、供養塔は藤田家が所有するところとなりました。以来、大阪の太閤園に置かれていたのですが、2021年に太閤園が売却された事を機に、正伝院の後継であるこの寺に帰ってきたのでした。丁度織田有楽斎没後400年の年だったそうで、こういう奇縁もあるのですね。

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庭の片隅にあるのが国宝如庵の写し。如庵は有楽斎が建てた茶室で、オリジナルは正伝院が廃寺になった時に祗園の有志に払い下げられ、その後変遷を経て犬山市に移築されて、今は有楽苑で公開されています。ここにあるのは30年前に復原されたもので、細部まで正確に再現されているとの事です。前回来た時は団体さんに巻き込まれてしまい、この茶室をじっくり見る事が出来なかったのですが、今回はゆっくりと見る事ができたので良かったです。

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正伝永源院に入ってすぐにあるのが有楽斎の墓。隣に有楽斎の妻の墓、向かいに細川家代々の墓があるのですが、大きな石塔がいくつも並んでいるのはちょっと独特な雰囲気がありますね。これを見るのも二度目ですが、やっぱりなかなか馴染めないな。

来年はツツジが盛りの時に来たいです。上手くタイミングが掴めるかどうか、アンテナを高くしておかないといけないですね。

2024年5月 4日 (土)

京都・洛東 京都新緑事情2024 ~建仁寺 4.25~

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平等院から電車を乗り継ぎ建仁寺に移動しました。ここには牡丹を求めて来たのですが、今年は既に散った後でした。

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今年は桜の開花は遅かったのですが、4月に入って花のペースが速くなりましたね。3月の低温は何だったんだろうと思うくらい、4月に入ってからは高温続きです。4月の半ばでもう初夏が来た感じ、春はいったいどこへ行ったのやら。

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牡丹は残念でしたが、その代わり境内は新緑で溢れていました。晩春と言うか初夏と言うべきか判りませんが、生命力に溢れた景色が素敵です。

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建仁寺は観光客で賑わう花見小路から続いていますが、それほど多く流れてくる人は居ません。紅葉時分は賑わいますが、それも主として潮音庭の方で、境内は比較的静かです。

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正面に見えるのは開山堂。開祖栄西禅師が眠る場所です。また、開基である源頼家公の像も祀られています。普段は非公開ですが、何年か前の京の冬の旅で特別公開が行われた事もありました。頼家公は鎌倉幕府の中では影が薄い存在ですが、ここでは寺を開いた人物として大切にされています。頼家公って、他に木像はあるのかな。かなり貴重な存在だと思われますので、機会があれば是非拝観される事をお勧めします。

2024年5月 3日 (金)

京都・洛中 令和六年度葵祭前儀 騎射流鏑馬神事 ~下鴨神社 5.3~

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令和6年5月3日、下鴨神社で騎射流鏑馬神事が行われました。これは15日に行われる葵祭の前儀の一つで、毎年糺の森にて行われます。

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長く途絶えていたこの神事が復活したのは昭和48年の事。以来、小笠原流家の奉仕で続いて来ました。

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これは300mの馬場に三つ置かれた的を疾走する騎馬の上から射抜くという神事で、足だけで馬を操りながら弓に矢をつがえ、そして放つという動作を行うという高度なテクニックを必要とします。

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正しくは小笠原流家を応援する会の会員の方たちなのですが、女性のみならず外国の方も居ましたね。伝統行事も多様性が尊ばれる時代のようです。

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昨年もそうでしたが、今日も凄い混み方でしたね。9時30分に行ったのですが既に行列が出来ており、去年よりさらに条件の悪い席となってしまいました。なんだか年々人気が高くなるなあ。来年は9時に行かなきゃならないかな。でも美しい新緑の中、伝統ある神事が見られて良かったです。

2024年5月 2日 (木)

京都・洛南 藤2024 ~平等院 4.25~

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令和6年4月25日の平等院です。この日は藤の花が見頃を迎えていました。

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表門を入ってすぐのところに植えられているのがノダ藤。樹齢300年と言われ、花の長さはこの日で80㎝、地面に届きそうと言うことで砂ずりの藤とも呼ばれます。

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平等院の藤の人気は高く、平日だと言うのに開門前から長い行列が出来ていました。撮影ポイントには沢山のカメラマンが固まっていましたが、お互い邪魔にならないように譲り合うので、撮りにくいという事は無かったです。

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藤だけでなく新緑も綺麗でした。ここには紅葉時分には来た事が無いのですが、この様子だと紅葉も絵になりそうですね。今年の秋は訪れてみようかな。

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ツツジも満開になっていましたが、なぜか霧島ツツジの株が減っているのですよね。残っている株も小さくなっているし、環境が合わなくなってきているのかしらん。

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正門前にあるダルマ藤もまだ身頃でした。ホームページには見頃過ぎとなっていましたが、素人目には十分に綺麗に見えました。一番良い時を知っている人が見れば、これでも色あせているのでしょうかね。

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宇治市は源氏物語の宇治十帖の舞台となっている事から、以前から源氏物語を前面に押し出した観光振興を行っています。今年の大河ドラマ光るの君へはまさに渡りに船でしょうね。大河ドラマ館にも行ってきましたが、ドラマの小道具などが展示されていて興味深かったです。中でも吹き出しそうになったのが道兼役の玉置怜央さんの色紙で、「嫌いにならないで下さい」と書いてありました。ドラマきっての汚れ役なので、本人も気にしているんだなあと面白かったです。

今後ドラマで宇治が舞台になるのかどうかは判りませんが、宇治十帖にちなんだ名所や源氏物語ミュージアムなどもありますので、平等院と会わせれば一日楽しむ事が出来ますよ。

2024年5月 1日 (水)

京都・洛西 霧島ツツジ2024 ~長岡天満宮 4.20~

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令和6年4月20日の長岡天満宮です。この日は参道の霧島ツツジが満開になっていました。

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長岡天満宮のホームページに依ると、満開になったのはこの二日前との事。随分と早いなと思ったのですが、昨年はもっと早く14日に見頃となっていたのでした。ずっと以前は連休前に話題になっていた気がするのですけどね、これからは4月中旬頃というのが定着するのでしょうか。

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それにしても、相変わらず見事なものです。これだけの株があったらどこか枯れ込んでしまいそうなものですが、全く穴は見当たりません。素晴らしく丁寧に管理、養生をされているのですね。

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人出は例年並みだったでしょうか。空いているとは言えないけれど、混み合って歩けないという程の事はありませんでした。

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この日は太陽は出ているけど空は晴れないという天気でした。一部青空も見えていましたけどね、空が白くなってしまったのは残念です。まあこれだけの花が見られたので良しとしますか。

帰り道は朝採りの筍を買って帰りました。これもここに来る楽しみの一つです。さっそく春の味覚を堪能させていただきました。

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