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2024年1月

2024年1月31日 (水)

京都・洛東 冬はつとめて2024 ~建仁寺 1.17~

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八坂通を下り建仁寺まで来ました。まだ拝観時間前だからでしょうか、観光客の姿は一人も居ません。

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広くて静かな境内を独り占め出来るのは良いですね。紅葉時分ならこうは行きませんが、今の時期は誰に気兼ねすること無く写真を撮って歩く事が出来ます。

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観光客は居ないと言いましたが、法堂から数人の人が出てきました。今は早朝拝観はやっていないはずなんですが、お寺の関係者か何なのかな。

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拝観の入り口、本坊です。大きな煙抜きがあるところを見ると元々は庫裏だったのかな。ところで、建仁寺ではどこを撮っても良いと拝観時に言われますが、ホームページを見ると色々と禁止事項が書いてありますね。商業目的は無論の事、記念撮影、人物撮影も禁止とありました。庭を背景にした同行者の写真も駄目という事かしらん。さらに動画も禁止とありました。いつの間にこんな規制が出来ていたのかな。何だか判らないけれど、ここも色々とあった様です。

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本坊を裏側から見るとこんな感じ。かなり大きな建物である事が判りますね。これだけ大きいと維持管理も大変な事でしょう。屋根の葺き替えだけでもどれだけの費用と期間が要るのでしょうね。お寺の経営も楽ではなさそうです。

2024年1月30日 (火)

京都・洛東 冬はつとめて2024 ~八坂の塔 1.17~

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清水寺からの帰りは三年坂を通らずにそのまま下へ、ホテル青龍に来ました。ここでの目的は八坂の塔を撮る事。定番ポイントが人でいっぱいなので、違う場所から撮る事にしました。

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こちらはホテルの裏道から見た八坂の塔。京都らしい風情はないけれど、無電柱化される前の懐かしい景色を思い出します。

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そして民家越しに見上げた八坂の塔。以前は民家が古い上、洗濯物が干してあったりして絵になりませんでしたが、今はここも随分と変わりました。

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そして下から見上げた八坂の塔。こうして見るとやはり高いですね。重機も無い時代によくぞ建てたものです。

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東大路通から八坂の塔までを夢見坂と言うそうです。て、あれ、いつの間にそんな定義が出来ていたのかしらん。私はずっと庚申堂から二年坂のあたりまでと思っていました。そもそも夢見坂って愛称を付けたのは誰だっけ。知っている様で知らない事ってまだまだありますね。

2024年1月29日 (月)

京都・洛東 冬はつとめて2024 ~清水寺 1.17~

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この早朝散策でインバウンドの方たちが二年坂から増えだしたのは清水寺を目指していたからでしょう。ここは朝6時から開いているので、かく言う私も目的地として選んでいます。

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清水坂の土産物屋さんにはまだ餅花が飾られていました。なのでちょっと借りて正月気分を出してパチリ。

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仁王門には鹿をモチーフにした幕が飾られていました。清水寺の始まりは鹿狩りをしていた坂上田村麻呂が殺生の罪を諭された事に由来しており、その事を表しているのでしょうね。その時の鹿を葬った鹿間塚は鐘楼の北側にありますが、何の説明も無いので気に止める人は居ません。寺の起原に係わる大事な塚なのですから、案内板くらいあっても良さそうなものと思うのだけどな。

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いつもは階段に気を取られて下ばかり向いているので気が付きませんでしたが、西門と三重塔のコラボというのも格好良いですね。ブルーアワーの空の色に良く映えています。

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西門から覗くと、京都市内の半分は夜が明けていました。まだ暗い部分は東山の影と言うわけですね。

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今年の干支である龍を撮ってみました。龍は観音様の化身と言われ、清水寺とは深い縁があります。音羽の滝には毎夜龍が水を飲みに来ていたとも。そして毎年春と秋には青龍会が行われるなど、龍とは切っても切れない縁がある寺です。

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舞台では欄干の中央部に近づけないように柵がしてありました。うーん、何なのでしょうね。まさか飛び降り防止という訳でもあるまいし、前日の雨で滑らないようにという配慮なのかしらん。

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樹間から見た三重塔です。冬の清水寺ならではの景色ですが、これを撮っていると他の参拝者にいつも不思議そうに見て行かれますね。

花も紅葉も無い冬の清水寺ですが、やっぱり見応えはあります。人気が集中するのも無理は無いかなと来る度に実感します。

2024年1月28日 (日)

京都・洛東 冬はつとめて2024 ~三年坂 1.17~

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三年坂にまでやって来ました。ここでもインバウンドの方たちの数は多く、誰も居ない写真を撮るのは無理でしたね。

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この道の正式名称は八坂通。でも三年坂美術館があるからか、旅番組では三年坂として紹介される事もあります。地元の人は何と呼んでいるのでしょうね。

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左側の植え込みのある石垣は、混んでいる時は沢山の人が座って休んでいましたが、この日見たら英語で座るなと書かれていました。なぜ駄目なのか良く判りませんが、植え込みか枯れ込んで来たという様な事があったのかな。それとも単に通行の邪魔という事なのかしらん。なんだかあちこちでどんどん謎ルールが増えて行ってしまいますね。

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枝垂れ桜はますます枝が短くなっていました。去年の秋に枝の手入れをしているのを見たのですが、枯れ込んだ枝を処理したらこうなった様です。かつての姿は見る影もなくなっちゃいましたね。今年の桜は寂しい事になりそうです。

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七味家さんの開店前なら人だかりも無く、三年坂への入り口も風情がありますね。こういう風景が見られるのも早朝散歩ならではです。

2024年1月27日 (土)

京都・洛東 冬はつとめて2024 ~二年坂 1.17~

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ねねの道から一念坂に来ました。一念坂という名前が付いたのは平成の初め頃だったかな、それまではただの小道でした。それに民家がほとんどだったのですが、今ではお店だらけになっています。東山区の人口は激減しているそうですが、なるほどそうなるよなと思う光景です。

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このあたりに来ると急にインバウンドの方々が増えました。以前はこの時間帯なら誰も居なかったのですけどね、早朝観光が推奨され、朝早くから動き出す人たちが増えた様です。

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二年坂のあたりはそれ程でもなかったのですが、八坂の塔の方に下ると人だかりがしていました。八坂の塔の定番の写真を撮ろうと沢山集まってくるのですね。この時間でこの調子では、もうあの場所からの撮影は無理ですね。

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八坂の塔は諦めて戻ってくると、古い街灯に灯りが点っているのに気が付きました。ガラスも新しくなり、修理をして点くようにしたのですね。これは嬉しい変化です。朽ちかけていた大正ロマンが蘇ってくれました。

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もう一つ、坂の上の椿も撮ろうと思っていましたが、木の上の方にしか咲いておらず諦めました。上手くすると石段の上に点景の様に落花があって風情があるのですけどね。少し残念でしたが、二年坂を後にして三年坂に向かう事にします。

2024年1月26日 (金)

京都・洛東 冬はつとめて2024 ~ねねの道 1.17~

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八坂神社から円山公園を経てねねの道に来ました。本来は高台寺道と言いますが、平成10年頃だったかな、電線地中化の実施と共に愛称としてそう呼ばれる様になりました。ねねとはこの地で晩年を過ごした北政所の事。京情緒溢れる道らしい名前ではありますね。

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沿道には西行庵や芭蕉堂、池大雅住居跡など文化人の足跡が残されています。かつてこのあたりが真葛が原と呼ばれていた頃は、都の喧噪とは無縁の場所だったのでしょうね。

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その真葛が原に別荘を建てたのが明治に財閥を率いた大倉喜八郎。その名も真葛荘と言いました。洋館と数寄屋造りからなる別荘でしたが、今は持ち主が代わり、大雲院となっています。真葛荘の名残は祗園閣のみとなっており、その祗園閣も内部には仏画が装飾され、往時とは随分と雰囲気が変わっています。

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大運院前から見たねねの道です。すでに夜明け時間は過ぎていますが、ここは東山の山陰になるのでまだ朝日は当たりません。車も人も居ないこんな風景はなかなか見られませんよ。

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ブルーアワーのねねの道です。西山には既に日か当たっていましたが、このあたりはまだ夜明け直前という雰囲気でした。また桜の花が咲いた時分に来てみようかな。

ところで石塀小路の入り口には撮影禁止という大きな看板が出ていました。これまでは控えめに禁止と書いてあったのですけどね、効果が無かったのでしょうか。禁止になった原因は前撮りによる長時間の占拠とインバウンドの大騒ぎだったそうですが、とても良い雰囲気の場所だっただけに残念です。祗園も同様で、今後さらに増えなければ良いのですけどね、さてどうなりますことか。

2024年1月25日 (木)

京都・洛東 冬はつとめて2024 ~八坂神社 1.17~

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祗園白川から八坂神社に来ました。八坂神社の西楼門は少し高台に建っていますが、これは断層崖の上にあるからだそうですね。以前ブラタモリで紹介されてましたが、ここには今も活断層があるそうです。実際近世以降においても何度か地震の被害を受けたという記録があり、一見いかにも京都らしい平和な景観に見えますが、実は結構危ない場所の様です。それでも神社としてあり続けてきたというところに意味があるのかな。

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八坂神社のえびす社です。正確には北向蛭子社と言いますが、ここでも十日えびすは行われます。福笹の授与はもちろんの事、九日には七福神を乗せた蛭子船が四条通を巡行します。京都ゑびす神社ほどではないにしろ、ここも結構賑わいますよ。

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令和2年に国宝に指定された本殿です。拝殿と本殿が一つの大きな屋根で覆われており、この形式はここだけだそうですね。この社の下には竜穴があり、青龍が棲んでいるとされています。ただその竜穴には漆喰で蓋がされており、何人たりとも見る事は出来ないそうです。

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南楼門は八坂神社の正門です。大正2年に建てられた比較的新しい建物ですが、本殿が国宝に指定されたときに他の摂社、末社と共に重要文化財に指定されました。まだそんなに年数が経っていないので指定から外されるのかなと思っていたのですが、価値のあるものとして認められたのですね。

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まだ提灯に灯りの灯ったままの舞殿です。これもまた重要文化財。小正月は過ぎたけれど、絵馬はまだ飾られてありました。いつも参拝客で賑わう八坂神社ですが、こういう静謐な時間があるというのも良いものですね。

2024年1月24日 (水)

京都・洛東 冬はつとめて2024 ~祗園白川 1.17~

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毎年恒例にしている冬はつとめてシリーズです。冬はつとめては清少納言の枕草子の一節にある言葉。冬は早朝が一番という清少納言の意見に習って早朝に京都を歩くという企画で、もう何年目になるかしらん。

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冬の空気は冷たいですが、凜とした空気の中を歩くのは気持ちが良いですよ。少なくとも夏の酷暑の中を歩くよりはずっと良いですね。

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それに早朝なら観光客が少ないというメリットもあります。京都の風情を感じるにはもってこいの時間帯と言えるでしょう。

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こんな写真を撮れるのはこの時間帯くらい。以前は夜の賑わいが始まる前の夕方に来るとやはりまだ静かなものだったのですけどね、今は観光客、特にインバウンドの方々で一杯、とても写真どころではありません。誰も居ない切り通しを堪能した後は東山界隈を歩く事とします。

2024年1月23日 (火)

京都・洛中 京の冬の旅2024 ~相国寺塔頭 滋雲院~

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京の冬の旅、二カ所目は同じく相国寺塔頭の滋雲院に来ました。ちっょと注意が必要なのは場所が境内の外にある事で、一度北に出て烏丸通に向かって歩かなければなりません。ちなみに隣は滋照院。宗旦狐が窓を破ったという茶室を持つ寺で、数年前に公開されていました。

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滋雲院は室町時代の長禄年間(1457~1459)に建てられた寺で、開山は相国寺第四十二世の明教禅師です。当初は現在地の南東に位置していました。

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江戸時代の住持大典禅師は伊藤若冲が師と仰いだ人物で、後援者でもありました。相国寺と若冲の縁はここから出来たのですね。残念ながらこの寺には若冲の絵は伝わっていませんが、なぜ若冲が相国寺に数多くの絵を残したのか合点が行きました。

今回の特別公開では明兆の涅槃図を見る事が出来ます。明兆の涅槃図と言えば東福寺に伝わる巨大な絵が有名ですが、ここにあるのはミニチュア版で、A三くらいの大きさの紙に事細かに描かれています。また岸派とも縁があり、今回は岸駒が板戸に描いた虎図が展示されています。風雨に去れされてきたため薄れてしまっていますが、リアルな虎の姿は見て取れます。岸駒と言えば虎の絵が有名で、清水寺にも石に刻んだ虎の絵がありますが、あまりにも風化が進んでおり、一見して虎と判る人は居ないでしょう。小さいながら虎の絵を見られたのは収穫でした。

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滋雲院は明治29年に破却され、寺号を富春軒に移しています。それが今の滋雲院ですね。写真は本堂南側の枯山水庭園。作者や作庭時期は判りませんが、割と新しい感じがしますね。手入れの行き届いた気持ちの良い庭でした。

電車で行かれる場合は京都市地下鉄の鞍馬口が最寄り駅となります。歩いて五分程かな。行くまでは不便そうな気がしていましたが、実際には交通至便な寺でした。ここも小さな寺ですが、様々な作者の絵を見る事が出来、行って損はしないと思います。

2024年1月22日 (月)

京都・洛中 京の冬の旅2024 ~相国寺塔頭 光源院~

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今年も京の冬の旅が行われています。観光客の減る冬を盛り上げようと始まったイベントで、今年で58回目を数えます。冬の旅では様々なキャンペーンが行われますが、個人で気楽に参加出来るのが非公開文化財の特別公開。普段は入れない社寺を拝観出来る絶好の機会です。一カ所800円と少々高いのが難点ですけどね。

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一カ所目に選んだのは相国寺の塔頭である光源院。境内を貫く上立売通を総門に向かって下がったところにあります。創建は1421年、相国寺28世元容周頒の塔所として建てられました。当初は現在の地より東寄りにあり、名も広徳軒と称していました。下って1565年に時の幕府将軍の足利義輝が暗殺されるとその菩提寺となりました。義輝の院号は光源院融山道圓と言い、その院号にちなんで寺名を光源院と改めました。その義輝の位牌は本堂に祀られており、今回の特別拝観でも見る事が出来ます。興味深いのは位牌に刃という字が入っている事で、暗殺という異常事態で亡くなった事を表しています。明治に入ると一度廃されますが、1896年に禅応院と合併し、現在の地に光源院として再建されました。Kougenin2401223

見所の一つは水田慶泉が描いた十二支の襖絵。十二頭の動物が生き生きと描かれています。もう一つは加藤晋の手に依る襖絵で、まだ若く神になる前の風神雷神図、木の中に小さく七福神を配した花木図、日本昔話の主人公や西遊記の登場人物達をさりげなく取り入れた風景図も面白いです。中でも雪女のさりげなさには思わずこれかと声が出ました。

またこの行者道では怪異な役行者像、弘法大師像、不動明王像が公開されています。役行者像はいくつか見た事がありますが、ここのは特に変わった姿をしていますね。

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そして比較的新しく整備されたのが十二支の庭。十二支に見立てた石や島が庭の中に隠れています。解説図が廊下に置かれているので、興味のある方は見比べてみると良いですよ。

狭い境内ですが、見所は沢山あります。見ておいて損は無い特別公開だと思います。

2024年1月21日 (日)

2023秋の旅 ~福山城 11.17~

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今回の旅行では今治が最初の目的地であったので、福山からしまなみ街道を経由するルートを選びました。帰りも同じルートを使ったのですが、少し時間に余裕があったので福山城に寄って行く事にしました。

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福山城は水野氏10万石の城として1622年に完成しました。10万石の城にしては大きすぎる巨城で、徳川氏の援助により西国大名に対する押さえの城として特に築かれたとされます。明治の廃城後城は徐々に壊され、さらに残っていた天守なども戦災により焼失しています。現存するのはこの伏見櫓と筋鉄御門で、共に京都の伏見城から移築されたものとされます。ちなみに伏見櫓と呼ばれる櫓は他の城にもあり、徳川家から特に拝領した信頼の証として大切にされたとの事です。

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こちらが筋金御門。門に筋状に鉄板が張られていることからこう呼ばれます。壁が薄い、格子窓が塗り籠めで無いなど、古い形式を留めているという意味でも貴重な存在との事です。

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福山城で面白いのは天守の北側が鉄板で覆われている事です。城の北側は丘陵が迫っており、防衛上の弱点だったのでそれを補うために砲撃に耐えるよう鉄板が貼られたと言われます。昭和41年の再建の時には白壁だったのですが、令和3年の改修の時に鉄板が再現されました。

福山城に来たのは二度目で、前回は天守の改修前でコンクリリート製なのにエレベーターも無いのかと驚いたものですが、今回の改修でちゃんと設置された様ですね。それに展示も一新され、体験型の施設も出来たそうですが、時間が遅かったため中を見ることが出来なかったのが残念です。その代わりライトアップの美しい姿を見る事が出来たのですけどね。

今回の旅行は愛媛のまだ見ていない所を訪れようとしたのですが、1泊旅行としては欲張り過ぎた様ですね。主なポイントは押さえる事は出来ましたが、各地の魅力の神髄にまでは触れる事が出来ませんでした。また機会があったら、今度はゆとりを持ってじっくりと町巡りをしたいと思っています。

2024年1月20日 (土)

2023秋の旅 ~大洲市 11.17~

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愛媛の旅の最後の目的地が大洲市。ここは初めて愛媛に来たときから候補地には上がるのですが、どうしても決め手に欠けてスルーしてしまっていた町でした。それが今回訪れたのはすずめの戸締まりを見た事がきっかけですね。映画で大洲城がちらっと見えた時、行ってみたいと思ったのでした。

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ここはおはなはん通り。昭和41年の連続テレビ小説、おはなはんのロケ地となったところです。無論、このドラマ自体は見た事が無いのですが、初めて愛媛に来た時に見たガイドブックに紹介されていたのがここでした。以来、大洲と言えばこの通りと擦りこまれていて、今回来てみたのです。思っていたより短い道でしたが、よく手入れされている素敵な町並みでした。

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大洲市も周辺部は都会化が進んでいますが、中心部にはまだ古い町並みが残っていますね。歩いていてもどこか懐かしい思いのする良いところでした。

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これはドラマの東京ラブストーリーで出てきたポストです。実はこのドラマも見てないのですが、大洲の名所という事なので来てみました。もう30年以上前のドラマですが、今でもこのポスト見たさに訪れる人も多いとの事です。

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この旅行のきっかけとなった大洲城に来ました。ここに最初に城を築いたのは宇都宮氏で、鎌倉時代の末期の事と言われます。戦国期に入ると毛利氏の軍門に降り、さらに長宗我部氏の支配する所となります。その長宗我部氏も豊臣秀吉によって追われ、大洲は小早川氏に与えられました。さらに城主は戸田氏から藤堂氏に代わり、高虎によって近世城郭に改築されます。それにしても高虎の築いた城は多いですね。そして江戸期には加藤氏が藩主となり明治維新まで続きます。

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明治に入ると城は主郭部を残して破却され、さらに天守も老朽化と構造上の欠陥により解体されました。後には四つの櫓だけが残されていましたが、平成16年に市政50周年の記念事業として天守が再建されました。再建にあたっては地元に保存されていたこのひな形や古写真が参考とされ、原型に忠実な形で木造で復原されています。さすがに現存天守には及びませんが、とても意義のある事業だったと思いますね。

面白い事にこの城は泊まれるんですね。宿泊料は55万円と高価ですが、江戸時代さながらの入城体験や臥龍山荘を借り切っての朝食、さらには大洲の名所めぐりなどのイベントなどがセットになっています。興味のある方は如何ですか。私は宝くじに当たった時の夢として取っておくことにします。

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1年前ならすずめの戸締まりとのコラボイベントが行われていたそうです。探せばまだ名残はあったのかな。映画と言えば男はつらいよの舞台にもなっていますね。時間が無かったので細かくは回れませでしたが、色々な切り口のある町だと言えそうです。またいつか訪れたいですね。

2024年1月19日 (金)

2023秋の旅 ~内子町 11.17~

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松山から内子町に来ました。四度目になる愛媛県ですが、内子町に来るのは初めてです。松山の南に位置しますが、ここまで来ると南予になるそうですね。大洲街道の要衝にあり、木蝋と和紙の生産で栄えた町でした。

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その内子町の繁栄を象徴するのが内子座。大正5年に出来た芝居小屋で、その後映画館に改装され遂には老朽化のため取り壊されるところでしたが、町並みと共に保存運動が起こり、昭和60年頃に元の姿に復原されて現役の劇場としてよみがえりました。まるで時代劇の中に入り込んだようなレトロな雰囲気が素敵でしたよ。

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ここは内子座の奈落です。人力で回す回り舞台や、やはり人力で上げるせり上がりの仕掛けを見る事が出来ます。今でもちゃんと動くというのが素晴らしいですね。

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内子町は人口14000人を超える町。都市化も進んでいますが、そこかしこに古い町並みを見る事が出来ます。

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その最たるものが八日町護国地区。和蝋燭で財をなした商人達の建てた町並みがきれいに保存されています。まるで江戸時代にタイムスリップした様でした。

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今回は1泊の旅行だったのでどう工夫しても時間が足りず、内子の町並みはざっと見ただけで終わってしまいました。ここはもっと時間をかけてゆっくりと歩いて見て回るべきところですね。見るべきスポットも多いし、季節はちがうけれど、灯籠祭りとか来てみたいです。機会があればもう一度訪れたいと思っています。

 

2024年1月18日 (木)

2023秋の旅 ~松山城 11.17~

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松山城に来るのは四度目になるのかな。だけどどういう訳か毎回天守の写真は撮れなかったのです。今回の旅行でまた来たのは百名城のスタンプ集めとこの写真を撮るためでした。

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松山城を築いたのは加藤嘉明。関ヶ原での戦功を認められ伊予で二〇万石を与えられました。彼は家康の許可を得て松山に城を築き始めます。しかし築城には延々と時間が掛かり、完成を見る前に嘉明は会津に移封されてしまいました。40万石への加増でしたが、嘉明は心血を注いだ城と城下を離れるのを惜しんだそうですね。

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松山城を完成させたのは嘉明の後に入った蒲生忠知で、築城開始から四半世紀以上が経過していました。松山城には様々な仕掛けがあり、一見本丸に通じそうな道が行き止まりになっていたりします。この戸無し門もその一つで、あえて扉を作らず敵を誘い込むための仕掛けと言われています。

もっともこの門には都市伝説が伝えられており、ある腰元が毎夜城から抜け出し城下の恋人に会いに行っていたのですが、ある日帰りが遅くなり門が閉じられていたのでした。腰元は必死になって開門を叫びますが、門番は聞き入れません。城を抜け出していた事を知られ、折檻を受けた上に恋人にも会えなくなる事を恐れた腰元は門の外で首を吊って死んでしまったのでした。以来、この門の側では門を開けてくれと言う腰元の声が毎夜聞こえる様になったと言います。それを知った時の城主は腰元を哀れに思い、扉を外してしまったのでした。今でもこの門を背景に写真を撮ると、腰元の霊が写ると言われています。

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戸無し門の本当の目的は敵をこの筒井門に誘い込むためなのでしょう。難なく戸無し門を突破した敵兵はこの堅固な筒井門に釘付けになるはずです。

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ところが筒井門の隣には小さな隠し門が設けられており、敵兵が筒井門に釘次げになっている間にこの門から城兵が抜け出し、背後から襲いかかるという仕掛けになっています。なんとも巧妙な罠を仕掛けるものですね。

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松山城で絶景と言われるのがこの屏風折れの石垣です。高さだけでなく、複雑に折れまかっている事から横矢掛かり、つまり十字砲火を敵に浴びせる事が出来、難攻不落の城の象徴とされます。

松山城の天守は現存12天守の一つで、姫路城と同じく連立式となっています。元は五階建てでしたが、松平氏の治世になり、徳川家に遠慮して三層に改築したと言われます。その天守も落雷で焼失し、1854年に70年ぶりに再建されたのが現在の天守です。

松山城には数多くの建造物がありますが、江戸時代から残っている数としては二条城に次ぐ多さらしいですね。そして木造による再建も進められており、城郭らしさを味わうにはもってこいの城です。

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普通城を建てた功労者の像は城内に建てられると思うのですが、嘉明公は城の下にひっそりと建てられていました。ちょっと扱いが冷たいんじゃないですかね。松山は藩主が蒲生氏から松平氏、後に改名して久松氏に替わり明治維新を迎えています。石高は15万石、正岡子規の春や昔15万石の城下かなという句で有名ですね。今では四国第一の都市、初めて来た時はその都会ぶりに驚いたものです。松山は前回の旅行で主な名所は回ったのでここだけにして、次の目的地へと向かう事にします。

2024年1月17日 (水)

ねこづらどき20周年

20nen

本日ねこづらどきが20周年を迎えました。20年前はブログの草創期、簡単に作れるホームページという触れ込みだったかな、当時参加していたニフティサーブからの流れで始めたのがきっかけでした。始めた頃は次々と新しいブログが立ち上がり、仲間もたくさん出来ましたね。今は無くなってしまいましたがトラックバックという機能でつながり合うというのも楽しかったな。でも次第にSNSに押され始め、ブログも時代遅れとなって、リンクしていたサイトもほぼ無くなったか更新が停止されています。今はネット社会の片隅でかろうじて存在を許されているという感じかな。

すっかり影が薄くなったねこづらどきですが、まだまだ止める気はありません。せっかく自由になる時間が増えたのですからね、中心は京都に置きながら行動半径を広げていきたいと思っています。気がかりは体力と資金力がどこまで持つかですが、元気に動ける内に見聞を広めたいと思っています。21年目に入っても日々更新を目指してやっていきますので、これからもお付き合いの程よろしくお願いします。

2024年1月16日 (火)

2023秋の旅 ~湯築城 11.17~

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松山で泊まったのは道後温泉。シンボルの本館は保存修理工事中で、この日は周囲を囲っていた仮覆いが取り払われたところでした。工事中ではありますが、一階の浴場には入る事が出来ます。工事完了予定は今年の7月で、また完全に蘇った姿を見に来る事が出来れば良いですね。

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道後温泉に隣接してあるのが湯築城跡です。堀や土塁などの遺構がよく残っており、全体としては道後公園として整備されていて、市民の憩いの場となっています。

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湯築城は伊予の守護であった河野氏が築いた城。200年以上に渡って伊予支配の根拠地でありつづけましたが、豊臣氏の四国征伐の際に落城し廃城となっています。

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湯築城は二重の堀を持ち、城内には家臣の屋敷などが建てられていました。今は発掘調査の結果に基づき、復元された屋敷を見学する事が出来ます。

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湯築城は平山城。天守は無く、頂上には本丸が置かれていました。今はこの展望台が築かれています。

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その展望台から見た松山市の町並み。50万人が住む四国第一の町らしく大きな都会ですね。

 

2024年1月15日 (月)

京都・洛北 御粥神事2024 ~下鴨神社 1.15~

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今日1月15日は小正月、京都では小豆がゆを食べて無病息災を願う風習があります。元は中国から伝わり、宮中の行事として行われてきました。それがいつしか庶民の間に広がり、さらには全国にも伝わって行ったようですね。

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ここ下鴨神社では神前に野菜や小豆がゆ、大豆がゆを供えて、五穀豊穣、国家安寧を祈願されます。こうした神事は上賀茂神社や貴船神社などでも行われますが、下鴨神社では参拝者にも小豆がゆが振る舞われます。

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これがその小豆がゆ。小豆を入れて炊いたかゆに餅が入っています。ほんのりと甘く、程よい暖かさで美味しかったですよ。お餅は神前に供えられていたもので、それだけでも有り難い感じがしますね。添えられている御供米の中にはお米と雑穀が入っていました。これは以前には無かった様な気がしますね。

志納料は500円。以前は300円だったのだけど、ここにもインフレの波は来ていますね。でも縁起ものですから、値段の事を言うのは止めにしますか。これで無病息災になれるなら安いものです。

ちなみに冒頭の写真は橋殿に置かれていた今年の絵馬です。元旦に紹介した墨絵の絵馬は昨年末に撮ったものでしたが、どうやら仮の絵馬だったようですね。見事な白龍が持つ宝珠に書かれているのは去年と同じ平和の文字。残念ながら去年1年の間に世界はさらにきな臭くなてしまいましたからね、今年こそは平和な世になって欲しいです。そして正月早々に災害に遭ってしまった能登の人たちに、一日も早く平穏な日常が訪れますように。

2024年1月14日 (日)

第42回全国都道府県対抗女子駅伝

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令和6年1月14日、第42回全国都道府県対抗女子駅伝が行われました。毎年1月に行われる京都の風物詩の一つです。

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観戦したのはいつもの丸太町通、4区と7区です。トップで飛び込んできたのはどちらも兵庫県、2位とはかなりの差があったのでこのまま行くのかと思っていました。

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地元の京都は6位、7位争いで、今年は上位入賞は無理なのかなという感じでしたね。ところが帰りの電車の中で結果を見てびっくり、5位から3位くらいを争っていた宮城県が1位、京都が2位となったのでした。最終区でとんでもないドラマが待っていたのですね。途中まではスマホのNHK+で見ていたのですが、これがどうにも調子が悪くてすぐに番組が変わるという不具合で、見るのを止めてしまったのです。こんなことなら最後までだましだしまでも見ておけば良かったな。

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一際声援の大きかったのは石川県の選手。被災地からやって来て、1区でトップに立つという快走を見せたのですからね、応援の方も力が入るというものです。最終的には順位は落としてしまいましたが、ハンデを物ともしない力走は素晴らしかったです。

ところでこの大会も謎ルールが増えて来ました。まず望遠レンズが駄目だと言うのですね。どうやら猥褻画像を撮っていた輩のせいらしいですが、なんとも迷惑な話です。そしてうちわに名前を書いて応援していた人が居たのですが、それも駄目だと注意を受けていました。なぜだめなのか判らないけど、走っている選手には迷惑なのかしらん。なんだか駅伝の観戦も世知辛くなってきましたね。

私的には風物詩のつもりとアスリートの格好良さを表したくて写真を撮ってきましたが、そのうち一律禁止になるかも知れませんね。迷惑なカメラマンのせいで撮影禁止になった場所は多いですが、駅伝もそうなっちゃうのかな。だとしたら残念の一言です。

2024年1月13日 (土)

2023秋の旅 ~下灘駅 11.16~

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この旅行でどうしても来たかったのがここ下灘駅です。海に最も近い駅として知られ、旅番組などでも良く取り上げられていますね。

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もっとも今は線路沿いに道路が築かれ、海からは離れてしまいました。でもホームから見る瀬戸内海の絶景は健在で、素敵な景色を見ることが出来ます。

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下灘駅は無人駅。ですので入場券などは無く、自由に出入りできます。列車は一時間に一本くらいかな。ですので、車で来る人も多いですね。人気スポットらしく、平日にも係わらず大勢の人が集まっていました。ここには駅員は居ませんが、地元の人が手入れしているでしょう、ゴミ一つ落ちておらず、花壇なども整備されていて気持ちの良い場所でした。

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残念だったのがこの日は雨模様だった事で、晴天続きの11月にあってピンポイントで悪天候に遭ってしまいました。なので一番楽しみにしていた夕日を撮る事が出来ず、わずかに空が赤く染まっただけでした。この翌日には綺麗な夕日が見えていたので、一日違いでなんとも惜しい事をしたものです。でも、海に近い駅という旅情は感じる事が出来たので、その点は良かったです。

2024年1月12日 (金)

2023年秋の旅 ~今治 11.16~

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令和5年11月16日と17日、愛媛県を訪れて来ました。最初の目的地は今治、造船とタオルで知られる愛媛第2の都市です。

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昼食は駅前の双葉の鯛飯御膳。双葉は元々駅弁で有名で、駅前で食堂も開いているです。鯛飯は愛媛の名物ですが、北部と南部で違いがあります。南部は鯛の刺身に卵と出しを掛けて食べるのですが、北部はほぐした鯛の身をご飯と一緒に炊き込みます。南部の方は以前に宇和島で食べたことがあるので、今回はどんなものかと楽しみにしていました。結果はうーん、と言ったところ。暖かい駅弁でしたね。

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今治ではタオルの町らしくタオル美術館などもあるのですが、時間の関係で今治城だけを訪れました。今治城は今は街中の平城になっていますが、かつては海に面した海城でした。築城したのは藤堂高虎。高虎がこの城に居たのは30年ほどの間で、その後は久松氏が江戸時代を通じて居城としていたのですが、城内にある銅像は騎馬に乗った高虎です。この城を築いた功労者という事なのかな。

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今治城で残っているのは内堀と主郭部だけ。後は明治時代に全て破却されましたが、昭和55年以降順次復興され、今は天守のほか4つの櫓、鉄御門などが復元されています。面白いのは堀の水が海水という事で、今治港から水路が繋がっています。ですのでこの堀には海の魚が棲んでおり、かつては釣り人で賑わっていたそうですね。さらに堀には淡水が湧き出しているとこもあり、めだかなど淡水魚も泳いでいるという不思議な堀ですね。

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天守閣の下には吹揚神社があり、天照大神、菅原道真、藤堂高虎など数多くの神々が祀られています。天守が復元されるまではこの神社が今治城のシンボルだった事でしょうね。

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この神社にはお稲荷さんも祀られている事から、伏見稲荷大社の様な鳥居が建てられています。千本鳥居ほどではないにしろ、なかなか綺麗な光景でしたよ。

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今治で会いたかったのがバリィさん。お城にはいませんでしたが、今治駅で会う事が出来ました。ちなみに松山駅にも居ましたね。今治と言うより中伊予のシンボルの様になっているのかな。

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今治からは特急しおかぜに乗って松山に向かいます。その先にこの旅行の目的だった場所があるのですが、それはまた明日紹介します。

2024年1月11日 (木)

京都・洛東 十日ゑびす大祭2024 ~京都ゑびす神社 1.11~

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京都ゑびす神社で十日ゑびす大祭が行われています。十日ゑびすとは関西を中心に行われているお祭りで、主として商売繁盛を祈願します。関東なら酉の市に相当するのかな。

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十日ゑびすの有名所と言えば大阪の今宮戎、兵庫の西宮えびすですが、発祥は京都のゑびす神社だと言われています。この神社は建仁寺が創建された時に鎮守社として建てられたもので、明治の神仏分離令により独立しました。

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えべっさんと言えば笹に吉兆を付けで飾るのが習わしですが、元はと言えば京都ゑびす神社のお札が原型だったのだとか。ちなみに笹は一本3500円、以前からこんなに高かったかしらん。

大阪や西宮は9日から11日までですが、京都は8日から12日まで行われます。今宮戎は福娘が選ばれる事で知られますが、京都では舞妓さんによる笹の授与が行われます。冒頭の写真がそれで、残念ながらコロナ感染対策としてビニールが吊されていたため光が反射し、上手く写真に撮る事が出来ませんでした。でもにこやかな笑顔を絶やさないのはさすがは接客のプロですね。

十日ゑびすは商売人にとっては初詣のようなもの。私も福を分けて頂いて、今年一年無事に過ごせそうです。

2024年1月10日 (水)

彦根城下屋敷庭園 玄宮園

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玄宮園は井伊家の下屋敷の後園として整備された大名庭園です。池泉回遊式庭園で、広大な園内をぐるりと見て歩く事が出来ます。

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この日一番見たかったのがこの景色で、天守を借景とした雪の庭園です。欲を言えばもう少し雪が欲しかったところですが、そうなると歩くのも大変でしたでしょうから難しいところです。

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玄宮園は四つの島と九つの橋があり、近江八景を模した造りになっています。作庭したのは家臣の松本行右衛門。専門の庭師でもないのにこれだけの庭を作ったというのは驚きです。

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今はすぐ外地は陸地ですが、かつては琵琶湖の内湖に接しており、水路を通じて船で琵琶湖まで漕ぎ出られたのだそうです。優雅な船遊びも体験してみたいものですね。

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玄宮園からは離れますが、城の西側に城下町を模した夢京橋キャッスルロードがあります。昼食のために訪れたのですが、丁度ひこにゃんのショウをやっていました。彦根に来たからには会いたいと思っていたので、良いタイミングで出会う事が出来ました。この日はキャッスルロードに居ましたが、日によって現れる場所と時間は違う様ですね。主として天守前と玄宮園に現れる様ですが、あらかじめスケジュールを確認しておく事をお勧めします。

2024年1月 9日 (火)

日本百名城探訪 ~彦根城~

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令和6年1月8日、雪の彦根城を訪れてきました。8日は京都も雪の予報でしたが、それほど大した積雪でなかったため、本格的な雪景色と百名城探訪を兼ねて彦根まで足を伸ばしてみることにしました。

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彦根城は井伊直政の子、直継によって築かれた城です。それまで湖北の中心だった佐和山城を廃し、ここに城を作るように命じたのは徳川家康。石田三成の痕跡を消すためと、豊臣家包囲のための一環だったと言われています。

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彦根城は比較的多くの建物が当時のまま残っています。明治の初め頃、廃城の運命にあった彦根城を救ったのは明治天皇。天皇がこの地に行幸したとき、隋身していた大熊重信がこの城が無くなる事を惜しみ、保存を上奏したからだと伝わります。

写真は馬屋。かなり大きな建物で、21頭の馬を繋いでおくことが出来ます。城内に残る遺構はここだけだとか。

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彦根城で天守に次いで有名なのがこの天秤櫓でしょうか。左右対称に近い美しい櫓で、一説には長浜城から移築したものとも言われます。この櫓を抜けないと本丸には行けないのですが、前は通路を兼ねた深い堀になっており、橋を落としてしまえば容易なことでは突破する事が出来ないという造りになっています。

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天秤櫓を抜けた先にあるのが太鼓門。二階建ての櫓門で、前は枡形になっており、強固な防御力を誇ります。ただ、なぜか背後は開放式になっており、こういう形式の門は珍しいですね。

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太鼓門を突破するといよいよ本丸ですが、今は天守だけが残っています。天守は三重三階の小振りなものですが、数多くの破風や花頭窓によって装飾され、大変美しい姿を誇ります。ちっょと装飾過剰ではないかという気すらしますね。現存12天守の一つで、国宝5天守の一つでもあります。一見して狭間が無く守備力に劣る様に見えますが、中に入ると隠し狭間がいくつもある事が判り、いざ実戦となったらハリネズミの様に鉄砲玉が飛んできた事でしょう。

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天守の中に飾られていた初代藩主の井伊直政の鎧兜です。井伊家を象徴する赤備えと、長大な鍬形が特徴的ですね。もっともこの兜は実戦で使った訳では無く、首実検など儀式の時にだけ使われた様です。

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天守の内部は意外に狭く、階段も垂直に近くて上り下りが大変です。今は手すりがありますが、築城当時は無かったでしょうから、籠城しようものならさぞかし苦労した事でしょうね。

天守からの眺めは素晴らしく、遠く伊吹山まで望む事が出来ます。何カ所かインスタ映えスポットとして窓が開放されており、格子に邪魔されずに写真を撮る事が出来ます。そのぶん吹きっさらしで寒かったですけどね。

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彦根城にはこのほか西の丸に三重櫓と続櫓があります。写真が上手く撮れなかったので掲載しませんでしたが、琵琶湖に最も近い建物で、眺めも良かったです。この後は大名庭園である玄宮園に向かいます。

2024年1月 8日 (月)

京都・洛北 早春の使者2024 ~京都府立植物園 1.6~ 

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冬真っ盛りの植物園を訪れる楽しみは、早春の気配を探しに行く事です。真っ先に思いつくのがロウバイ、少し離れた場所でも澄んだ香りが漂っていました。

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既に満開だったところを見ると、去年の内に咲き出していたのかも知れませんね。ロウバイは香りのピークは比較的早く過ぎますが、花そのものは早咲きの梅が見頃になる頃まで咲き続けます。

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もう一つ、まだ早いかなと思もいながら見に行ったが雲南ロウバイです。でもこちらも既に咲いていましたね。香りはロウバイほど澄んでいませんが、少し濃いめの良い香りがします。ただ木として弱っているのかな、花数が例年よりもずっと少ないのが気になりました。

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そして文字通りの春の妖精がスノードロップ。これもまだ早いかなと思っていたのですが、結構な数が咲いていました。

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おそらくこの区画一面に植えられているはずですから、開花していたのは三分の一程度なのかな。盛りになるのはまだまだこれからだと思います。

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冬の隣は春。この花を見ると春まであと少しなんだなという気がします。厳寒期はこれからですが、そこを乗り越えれば花一杯の季節が待っています。それまで小さな春を見つけるためにまた植物園を訪れたいと思っています。

2024年1月 7日 (日)

京都・洛北 京都府立植物園100周年

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京都府立植物園が今年100周年を迎えました。これを記念して、1月5日から8日までオープニングイベントが行われています。まず出迎えてくれるのがこの巨大な門松。あまりの大きさにちょっとびっくりしますよ。

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オープニング期間中は入園料は無料。観覧温室にも無料で入れます。この観覧温室ではラン室がリニューアルされており、海外の植物園とのタイアップのほか記念写真スポットが新設されています。

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北山門前では葉ボタンで100の数字が描かれています。一口に100年と言っても戦中、戦後の混乱期を乗り越えて続いてきたのですから大したものですね。

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これも100周年イベントの一つ、ドラゴンを探せというスタンプラリー。園内に置かれた10カ所のスタンプを集めると記念品が貰えるという趣向です。記念品はクリアファイル、傷テープ、消毒スプレーなどがあり、好きな物を選べます。このイベントは2月29日まで行われており、まだ参加する事は出来ますよ。ちなみに会場内でドラゴンに出会ってスタンプを貰えると抽選する事が出来、当たれば別の記念品が貰えるとの事です。ただし、スタンプのうち4つは観覧温室内にあるため、9日以降は300円の入園料が必要となります。

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100年を迎えた植物園ですが、付近一帯を含めてリニューアルする計画があるみたいですね。賛否両論ある様で、反対派の人たちが計画撤回を訴えているところを見た事もあります。現在計画がどうなっているのか判りませんが、良い方向に進んでくれると良いですね。どんな具合になるのか、賛成、反対両方の人たちが納得する形で決着が付いてほしいです。私的には今とあまり変わって欲しくないかな。静かで落ち着いた植物園、素敵です。

2024年1月 6日 (土)

京都・洛中 リアル宝探し 寂しがりの龍と京都の宝 ~そうだ京都行こう~

 

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今、そうだ京都行こうのイベントとして、辰年にちなんだ宝探しが行われています。その名も寂しがりの龍と京都の宝。京都にある4つの神社、八坂神社、平安神宮、白峰神宮、護王神社に設置されたヒントを元に4つの謎を解くと最後の謎が現れます。それをさらに解くと宝の有りかを問われ、そこをクリアすると記念品が貰えるという趣向です。参加するにはスマホとラインのアプリが必要ですが、参加費は無料です。初詣で混み合う三が日を避けて4カ所を回ってきましたが、まだ結構な参拝者が居ましたね。それにこのイベントに参加している人も多かったです。

四つの謎はすぐにその場で解けましたが、最後の謎が判らず一旦家に帰ってゆっくり考え直しました。その謎までは解けたのですが、肝心の宝の有りかがどうしても判らず延々と悩んでいたのですが、息子にSOSを出したところ5分足らずで解いてくれました。負うた子に教えられるとはこのことですね。ちょっとずるをしましたが、無事ゲット出来たのがこのマグカップです。

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ただにしては良い出来ですよ。今年の京都初めはこの宝探しゲームになりましたが、初詣を兼ねたイベントはなかなか面白かったです。興味のある方は寂しがりの龍の宝で検索して見て下さい。期間は3月31日まで、京都のプチ旅行として楽しめますよ。

2024年1月 5日 (金)

日本百名城探訪 ~赤穂城~

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明石から赤穂へとやって来ました。朝から狂った電車のダイヤは昼近くになっても回復しておらず、赤穂に着いた時は昼を大きく回っていました。このため赤穂の街歩きもあきらめ、赤穂城跡に直行する事としました。

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赤穂城は1648年から1661年にかけて浅野長直によって築かれた城です。元和偃武後に築かれた数少ないの一つ城で、それ以前は搔上城という簡略な城がありました。赤穂と言えば長直の三代下である長矩によって起こされた元禄赤穂事件が有名で、浅野家の治世は長い江戸時代のうち53年間に過ぎないのですが、今の赤穂市は忠臣蔵一色に染められています。城内で一番賑やかなのは大石内蔵助の屋敷跡に建てられた大石神社で、参道には四十七士の石像が並べられ、他の神社とは違う独特の雰囲気があります。

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赤穂城と言えば大石神社が全てかと思っていたのですが、そうではありませんでした。城内は思っていたよりもずっと広く、大石神社のあるのが三の丸、その北に二の丸そして本丸があります。二の丸と本丸は発掘調査が行われ、それぞれ庭園が復原されています。この写真は二の丸庭園で、芝生が赤く変色していましたが、春になれば青々と復活し、また違った景色に見える事でしょうね。

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こちらは本丸の天守台。天守は江戸時代を通じて築かれる事はありませんでしたが、天守台を持つ事は一種のステータスだったのだそうですね。最初から天守を作る気が無いのなら無駄の象徴の様な気もしますが、このあたりは当時の武士の気持ちになってみないと判らないところです。

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その天守台に登ってみました。見晴らしは抜群で、遠くの山々まで見通す事が出来ます。見えている門は本丸の櫓門。平成4年から8年にかけて復原された門で、堅固な枡形を形成しています。

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こちらは本丸庭園の全貌です。このほとりにはかつて本丸御殿がありました。出来るものなら名古屋城の様に御殿を復原してほしいところですが、予算が無いのか、資料が足りないのか判りませんが、現状は発掘調査の結果を平面的に復原するに止められています。

なお、この天守台は足腰の弱った人にはお勧めできません。石段の段差が大きすぎるためで、手摺りはあるものの、登るのも下りるのも一苦労しました。

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赤穂城は山鹿流築城術を取り入れた近世城郭であり、要害堅固な城です。十字砲火を意識した横矢掛かりを多用した石垣など、見所は多いですね。また城下町も整備された上水道、兵を隠す工夫をした町作り、四十七士縁のお寺など見たかった場所は多いのですが、時間が無かったのとダイヤの乱れから来る電車の時間が判らなかったのとで町の散策は諦めました。本当に恨めしい信号機のトラブルでしたが、城跡だけでも楽しめたのは良かったです。百名城巡りは今後も不定期にアップして行きますので、またお付き合い願えたら嬉しいです。

2024年1月 4日 (木)

日本百名城探訪 ~明石城~

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昨秋から始めたのが百名城巡り。日本に点在する城跡から名城として選ばれた100のお城を訪れてスタンプを集めるというスタンプラリーです。現在はさらに100の城を選んだ続100名城を合わせて200カ所に及び、とてもコンプリート出来るとは思えませんが、行った事の無い場所を訪れる動機づけにはなります。まずは手近な所から始めようと明石城を訪ねてきました。

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明石城は1619年に築かれた城。大坂夏の陣の後に作られており、西国の外様大名に対する押さえとして築城されました。初代城主は小笠原忠政、築城を命じたのは二代将軍の徳川秀忠です。忠真の石高は10万石でしたが、城の規模は52万石の姫路城をしのぐほど大きく、国の大きさに対して不釣り合いなものでした。これには幕府が西国大名を警戒して巨城を築こうと援助したという事情があり、西国街道と明石海峡を押さえる拠点としたかったのですね。

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明石城の見所は二つの三重櫓にあります。三重櫓は日本に12基しか現存しておらず、そのうちの二つがこの城にあるのですね。二つの櫓とそれを繋ぐ白壁はとても絵になり、明石駅からも望む事が出来ます。

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明石城は西国街道に面しており、大手門の枡形は立派なものですね。その巨大な門は往時は街道を行く人たちに威圧感を与えた事でしょう。

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こちちらは天守台。立派な天守台ですが、ここに天守が建てられる事はありませんでした。既に平和な時代となっており、天守は無用の長物であった事、また当時技術革新が進んでいた大砲の目標とされる事を恐れたなどが理由として考えられています。

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明石城はこれほどの巨城であり、南、西、北の防御は強力だったのですが、東側の防備は貧弱で、もし敵に東側に回り込まれたらとても保たなかっただろうとも言われています。つまりは敵は西から攻めてくるものと決めて掛かっており、東には徳川氏に敵対する勢力は居ないという前提だったのでしょうか。もう一つ現地を訪れて思ったのは本丸が意外な程狭く、防御する人数を入れる事は無理では無いかと思われ、最後まで籠城する気はあったのかしらんということですね。これらの事から、明石城はあくまで西国大名に対する威嚇のための城であり、実戦は想定していなかったんじゃないかなと感じた次第です。

この日は朝早くから明石を訪れ、街中も散策する予定でしたが、JRの信号機の故障で電車が大幅に遅れたため、城跡を見ただけで終わってしまいました。この後赤穂城も訪れる予定だったので、ダイヤがどうなるか見当が付かなかったため、早々に切り上げる事にしました。せっかく来たのに残念でしたね。後ろ髪を引かれる思いで駅へと向かったのでした。

2024年1月 3日 (水)

京都・洛東 辰年に訪れたい寺 ~建仁寺~

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辰年に縁のある寺の一つが建仁寺。ここの法堂の天井には見事な双龍図が描かれています。この龍図は比較的新しく、平成14年に小泉淳作氏によって奉納されました。それ以前にはここには何も無かったのですが、建仁寺創建800年を記念して新たに描かれました。大きな天井一杯に描かれた龍は迫力満点ですよ。

また、建仁寺には海北友松の手に依る龍図もあります。こちらは複製ですけどね、本物と遜色の無い出来となっています。ここの良い所はどちらも写真撮影が許可されている所。見る事は出来ても撮影は禁止というところがほとんどの中、建仁寺は貴重な存在です。ここも混むでしょうけど、辰年に訪れたい寺の一つです。

2024年1月 2日 (火)

京都・洛東 辰年に訪れたい神社 ~瀧尾神社~

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今年の干支は辰。龍に縁のある社寺はいくつもあますが、最も手軽に行けるのが瀧尾神社。東福寺駅の北へ5分程行ったところにあります。

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お勧めする理由は拝殿の天井にある龍の彫刻です。絵に描いた龍は数多いですが、立体的な龍は珍しいですね。全長は8mあり、江戸時代後期に奉納されたものだそうです。

ここは何より拝観料が要らないのが良いですね。その分混雑も相当なものになりそうですが、そのあたりは覚悟して行って下さい。

本殿には弁財天、大黒天、毘沙門天が祀られており、商売繁盛、出世運向上、金運の御利益があるとされます。特に金運は誰にでも共通する御利益ですから良いですね。令和6年の初詣の場所としてお勧めの場所ですよ。

2024年1月 1日 (月)

地震お見舞い申し上げます

正月早々、大きな地震が発生しました。時間が経つにつれ、被害がだんだんと判明してきています。寒空の中、避難を強いられている方々は大変でしょうね。地震の被害は現在進行形で続いていますが、くれぐれも命第一で行動してください。被災された方々には心よりお見舞い申し上げます。

あけましておめでとうございます

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あけましておめでとうこざいます。本年もよろしくお願いします。

さて今年も冒頭は下鴨神社の絵馬に登場願いました。何とも力強い、荒々しい龍ですね。毎年ここの絵馬は丁寧に描かれ、どちらかというと優しい感じのする事が多いのですが、今年は書き殴ったと言うか、迫力満点ですね。それにいつもは添えらていれる禅語がありません。昨今の世相に対する怒りの表れか、それとも龍の力で不穏な世相を吹き飛ばそうとするのか。

何にしてもこの龍の迫力で、2024年が閉塞する世相を吹き飛ばしてくれる事を願うばかりです。

 

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