令和6年1月8日、雪の彦根城を訪れてきました。8日は京都も雪の予報でしたが、それほど大した積雪でなかったため、本格的な雪景色と百名城探訪を兼ねて彦根まで足を伸ばしてみることにしました。
彦根城は井伊直政の子、直継によって築かれた城です。それまで湖北の中心だった佐和山城を廃し、ここに城を作るように命じたのは徳川家康。石田三成の痕跡を消すためと、豊臣家包囲のための一環だったと言われています。
彦根城は比較的多くの建物が当時のまま残っています。明治の初め頃、廃城の運命にあった彦根城を救ったのは明治天皇。天皇がこの地に行幸したとき、隋身していた大熊重信がこの城が無くなる事を惜しみ、保存を上奏したからだと伝わります。
写真は馬屋。かなり大きな建物で、21頭の馬を繋いでおくことが出来ます。城内に残る遺構はここだけだとか。
彦根城で天守に次いで有名なのがこの天秤櫓でしょうか。左右対称に近い美しい櫓で、一説には長浜城から移築したものとも言われます。この櫓を抜けないと本丸には行けないのですが、前は通路を兼ねた深い堀になっており、橋を落としてしまえば容易なことでは突破する事が出来ないという造りになっています。
天秤櫓を抜けた先にあるのが太鼓門。二階建ての櫓門で、前は枡形になっており、強固な防御力を誇ります。ただ、なぜか背後は開放式になっており、こういう形式の門は珍しいですね。
太鼓門を突破するといよいよ本丸ですが、今は天守だけが残っています。天守は三重三階の小振りなものですが、数多くの破風や花頭窓によって装飾され、大変美しい姿を誇ります。ちっょと装飾過剰ではないかという気すらしますね。現存12天守の一つで、国宝5天守の一つでもあります。一見して狭間が無く守備力に劣る様に見えますが、中に入ると隠し狭間がいくつもある事が判り、いざ実戦となったらハリネズミの様に鉄砲玉が飛んできた事でしょう。
天守の中に飾られていた初代藩主の井伊直政の鎧兜です。井伊家を象徴する赤備えと、長大な鍬形が特徴的ですね。もっともこの兜は実戦で使った訳では無く、首実検など儀式の時にだけ使われた様です。
天守の内部は意外に狭く、階段も垂直に近くて上り下りが大変です。今は手すりがありますが、築城当時は無かったでしょうから、籠城しようものならさぞかし苦労した事でしょうね。
天守からの眺めは素晴らしく、遠く伊吹山まで望む事が出来ます。何カ所かインスタ映えスポットとして窓が開放されており、格子に邪魔されずに写真を撮る事が出来ます。そのぶん吹きっさらしで寒かったですけどね。
彦根城にはこのほか西の丸に三重櫓と続櫓があります。写真が上手く撮れなかったので掲載しませんでしたが、琵琶湖に最も近い建物で、眺めも良かったです。この後は大名庭園である玄宮園に向かいます。
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