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2021年2月 7日 (日)

麒麟がくる 最終回 「本能寺の変」

天正十年(1582年)五月。

安土供応の場。

膳が違うと言って光秀を足蹴にした信長。

 

別室。

屈辱に打ち震える光秀。

そこに現れた信長。

意外にも上機嫌で、あれこれ言うたが気にするな、

家康があの場でどう出るか様子を見ておきたかったのじゃと信長。

招かれる者がそなたを供応役に名指しするなど礼を失しておる、

それを思い知らせてやった、

それよりもそなたには一刻も早く西国に行ってもらいたいと信長。

近習に絵図を持ってこさせて前に広げ、

秀吉が文を持たせて来てな、四国に長宗我部元親なる大名が居ては毛利を攻めにくい、

長宗我部は毛利攻めに乗り気で無く、秀吉に与せぬばかりか背後を衝かれるおそれがあるというと信長。

それは言い掛かりというものでございます、長宗我部殿は身内同然の付き合いがあり、

信長様を大変うやもうております、秀吉殿の背後を衝くなどという事はと光秀。

わしは決めたのじゃ、三男の信孝を讃岐に向かわせると信長。

そのような大事な話を私に一度もなさらずと光秀。

そなたは丹波に居たゆえ言うのが遅れたと信長。

毛利攻めについてじゃが、そなたにはやってもらいたい大事な事がある、

秀吉は目下備中の高松城を攻めておるが、

そなたの軍は船で備後の鞆へ向かえと信長。

鞆へ?と光秀。

鞆に居る足利義昭を殺せと命じる信長。

慄く光秀。

毛利が戦の大義名分としておるのは、己の手の中に足利将軍が居るからじゃ、

将軍が居る限りわしの戦は終わらぬ、その事がよう判ったと信長。

将軍を殺せ、それがそなたの此度の役目じゃと繰り返す信長。

呆然とする光秀。

 

京に向かって馬を走らせる光秀。

回想。信長が居る京には戻らぬ、ここで鯛を釣っていれば殺される事は無いからなと笑う義昭。

そなた一人の京であれば考えもしようと義昭。

 

京、光秀の館。

出迎えた左馬助。

坂本城は如何でしたかと左馬助。

伝吾に命じて四千程の兵を集めてあると光秀。

やはり主力は丹波勢となりますかと左馬助。

無言でうなずき、左馬助を部屋の中へと誘う光秀。

わしは家康殿の供応役を解かれた、いきさつは聞いたかと光秀。

あらましはと左馬助。

鞆におられる公方様を討てと命じられた、わしにはそれは出来ぬと光秀。

急ぎ細川藤孝殿にお会いしたい、今はいずこに居られると光秀。

先日来、ご子息の忠興殿と一緒に京にご滞在でござますと左馬助。

 

御所。

公家たちと蹴鞠に興ずる藤孝。

そこに現れた前久。

藤孝に、聞いたか、安土で家康の供応役を明智が解かれたそうじゃ、

不調法があったという話だが、すでに信長と明智の間には隙間風が吹いているというと前久。

左様でありましたかと藤孝。

松永久秀や佐久間信盛の例もある、万が一信長殿が明智を切り捨て事を構えるとなると、

そなたはたちまちどちらに付くと前久。

そううならぬ事を祈るほかありませぬと藤孝。

 

伊呂波太夫の家。

へえ、明智様がそんな酷い仕打ちをされたのですかと太夫。

明智は良く我慢していると皆噂しているそうじゃ、

いつ信長殿に背いてもおかしくないと前久。

背けば良いのですよと太夫。

気楽におっしゃいますがね、信長殿に刃向かって勝った者は一人も居ないのですよと前久。

そんな事を言っていたら、世の中何も変わらないじゃありませんかと太夫。

しかたがありますまいと前久。

私は明智様に背いて欲しい、信長様に勝って欲しい、明智様に五万貫全てを掛けてもいいと太夫。

 

光秀の館。

一人絵図面を前に佇む光秀。

回想。

将軍を殺せと信長。

私に将軍をと光秀。

そなたと戦の無い世の中を作ろうと話しをしたのはいつの事だった、十年前か、十五年前かと信長。

そなたと二人で営々と戦をしてきた、将軍を討てばそれが終わる、

二人で茶でも飲んで暮らさないか、夜もゆっくり眠りたい、

明日の戦の事も考えずに、子供の頃のように、長く眠ってみたいと信長。

私には将軍は討てませぬと光秀。

回想終わり。

 

そこにやって来た藤孝、忠興、たまの三人。

仲睦まじい忠興とたま。

藤孝殿と話があると二人を下がらせた光秀。

此度の西国攻めでは上様が直々に出陣なされるため、京の本能寺に入り万端手はずを整えられると光秀。

出陣は来月四日と伺っておりますと藤孝。

それゆえ我ら丹波の衆は、上様の御下知あり次第西国に向かう事になると光秀。

此度は私は丹後に止まり、忠興を総大将として出陣させる所存と藤孝。

それはよろしうごさると光秀。

さて、つかぬ事を伺うが、上様は西国攻めと共に、

備後の鞆に居られる公方様と幕府の残党を一掃したいとのご意向があるとの事、

上様より御下知はありましたかと藤孝。

御下知はあったが私はお断りしたと光秀。

息を飲む藤孝。

まずは毛利を倒せば良い、公方様の扱いはその後考えれば良いと光秀。

それで、上様はご納得いたされましたかと藤孝。

再び説得いたし、ご納得いただくと光秀。

うまくいきましょうか、上様はあの御気性と藤孝。

以前藤孝殿は、殿の行き過ぎをお止めする折は私も声をそ揃えて申し上げる覚悟があると言われた、

今でもそのお覚悟はおありかと光秀。

覚悟とは、どれ程の覚悟でございましょうと藤孝。

覚悟に果てはございませぬと光秀。

じっと光秀を見据える藤孝。

 

屋敷を辞し、町を歩く藤孝一行。

家臣に命じて、急ぎ秀吉殿に使いを出せ、何も起こらぬと良いが、起こるかも知れぬと伝えよと藤孝。

 

光秀の館。

回想。

力ある者は皆あの月へと駆け上がろうとするのじゃ、数多の武士達があの月へ登るのを見て参った、

そしてみな、この下界に帰って来る者は居なかった、

信長はどうか、信長が道を間違えぬようしかと見届けよと帝。

苦悩する光秀。

 

思い出すとは忘るるか、思い出さずや忘れねば

と唱いながら薬を摺るたま。

そこにやて来た光秀。

良い歌だなと光秀。

忠興様が戦から帰られるといつもおっしゃいます、

わしが居ない間はわしの事など忘れているのであろう、

いいえ、いつも思い出しておりますとお答えするとわざとこの歌を唱われるのですとたま。

忠興殿は面白い旦那様だなと光秀。

良いお方ですとたま。

そういうお方が戦に出ずとも良いようにせねばならぬなと光秀。

きっとそなたの父がそういう世を作ってくれると忠興様はいつも言われますとたま。

微笑する光秀。

嫁に行く前は父上が戦でお亡くなりになったら、私も後を追おうと思うておりました、

今は忠興様と共に生き死ぬのだと、命が二つあれば良いのにと思いますとたま。

命は一つで良い、そなたは忠興殿と長く生きよ、

そのためにわしは戦ってみせると光秀。

不安げに光秀を見つめ、父上、長く生きて下されませとたま。

微笑みながら頷く光秀。

 

雨の日、御所。

帝に拝謁する前久。

織田と明智がさほどの仲となったかと帝。

今日参内いたしましたのは、双方が朝廷に力を貸して欲しいと言ってきた時、

お上はどちらを選びあそばされるか御意を承りたくと前久。

花を見、河を渡り、己の行くべきところへ行く者を、ただただ見守るだけぞ、

見守るだけぞと繰り返す帝。

 

天十年五月末、丹波に入った光秀。

愛宕山。

愛宕神社に参籠する光秀。

回想。

殿は多くの間違いを犯しておられます、帝の御譲位の事、家臣のたちの扱い、

始めてお会いした頃、殿は海で釣った魚を浜辺で安く売り、多くの民を喜ばせておられた、

名も無き若者たちを集め、家臣とされ大事に育てておられた、

心優しきお方、人の心が判るお方と思うておりました、

しかし、殿は変わられた、戦の度に変わって行かれたと光秀。

じっと光秀を見下ろす信長。

回想。

毒を盛る、信長様に、今の信長様を作ったのは父上であり、そなたなのじゃ、

その信長様が一人歩きを始められ、思わぬ仕儀となった、

万、作ったものがその始末をなすほかあるまいと帰蝶。

回想。

わしを変えたのは戦か、違う、

乱れた世を変え、大きな国を作れと背中を押したのはだれじゃ、そなたであろう、

そなたがわしを変えたのじゃ、

今更わしは引かぬ、そなたが将軍を討たぬと言うのならわしがやる、わしが一人で大きな国を作り、

世を平らかにし、帝をもひれ伏す万乗の主となると信長。

呆然と信長を見つめる光秀。

脳裏に蘇る光る樹。それに斧を振り下ろす光秀。

回想終わり。

ついに決意した光秀。

 

京。

五月二十九日、わずかな供回りと共に本能寺に入った信長。

 

丹波、亀山城。

先日は愛宕山で夜を過ごされたそうで、愛宕権現は戦神、目出度きお告げはございましたかと利三。

あったと光秀。

毛利を一気に打ち破り、殿の武名がさらにとどろき渡るとのお告げではございませぬかと伝吾。

昨日まではそうであったが、お告げが変わった、我らは備中へは行かぬ、京へ向かうと光秀。

京へ?と伝吾。

京のいずこに参りますと利三。

本能寺と言って立ち上がり、我が敵は本能寺にある、

その名は織田信長と申すと光秀。

信長様を討ち、志ある者と手を携えて世を平らかにする、それが我が役目と思い至ったと光秀。

太刀を抜いて三人の家老たちの前に置き、

誰でも良い、わしが間違おうておると思うのなら、この太刀でわしの首を刎ねよ、今すぐ跳ねよと光秀。

殿、皆、思うところは同じでございますぞと利三。

同意でございますと頭を下げる利三、伝吾、左馬助。

 

本能寺。

囲碁に興じている信長。

宗室、そなたならどう打つと信長。

そこに当てますると宗室。

違う、違う、その手ではつまらぬと信長。

 

亀山城。

文を書いている光秀。

そこに現れた菊丸。

家康殿の使いかと光秀。

今、我が殿は堺に居られますが、お側付きを解かれ、

以後十兵衛様をお守りするよう命じられて参りましたと菊丸。

文を手に立ち上がり、

此度わしが向かうところがどこであるか存じているのかと光秀。

おおよそはと菊丸。

わしはこの戦はしょせん己一人の戦と思うておる、

ただこの戦に勝った後、何としても家康殿のお力沿いを頂き、共に天下を治めたい、

二百年も三百年も穏やかな世が続く政を行ってみたいのだと光秀。

はい、と菊丸。

もし、わしがこの戦に敗れても、後を頼みたいと、そうお伝えしてくれと光秀。

今、堺に居られるのは危ういやもしれぬ、急ぎ三河にお戻りになるが良い、

菊丸もここから去れ、新しき世になった折、またあおうぞと光秀。

わしからの一生に一度の願いだ、必ず届けよと言って、家康宛の文を手渡す光秀。

はっ、と立ち去る菊丸。

 

六月一日夜、亀山城を出立した明智軍。

回想。

私は麒麟を呼ぶ者があなたであったなら、ずっとそう思うておりましたと煕子。

 

夜の行軍を続ける明智勢。

 

本能寺。

寝所へと向かう信長。

 

備中。

秀吉の本陣。

藤孝からの文を読み、震える秀吉。

細川藤孝様からの伝言じゃ、明智様が信長様に刃向かう恐れがあると言う、

と言いながら官兵衛に文を手渡す秀吉。

やれば良いのじゃ、明智様が上様を、やれば面白い、

官兵衛、こりゃ毛利など相手にしている場合ではないぞ、高松城をさっさと片付けて帰り支度じゃと秀吉。

はっ、と立ち去る官兵衛。

明智様が天下をぐるりと回してくれるわいと一人ごちる秀吉。

 

行軍を続ける明智勢。

寝床に入った信長。

 

天正十年六月二日、早暁。

本能寺を取り囲んだ明智勢。

 

馬上で太刀を抜き、掛かれと下知を下す光秀。

えいおうえい、と攻めかかる明智勢。

 

信長の寝所。

馬のいななきで目を覚ました信長。

廊下を行く信長に、軍勢がここを取り囲んでおりますと注進する蘭丸。

いずこの軍勢じゃと信長。

障子を開け、水色桔梗の旗印を見た信長。

明智殿の軍勢かと蘭丸。

十兵衛かと旗印の山を見渡す信長。

そこに放たれた矢。

肩に矢が刺さった信長。

信長の盾になり、倒れていく小姓たち。

奥の部屋へと逃れた信長。

 

十兵衛、そなたがと信長。

そうか、はっはっはっ、十兵衛か、はっはっはと笑う信長。

肩の血を拭って嘗め、

であれば是非もなしと信長。

肩の矢を折り、槍を手に蘭丸と共に引き返した信長。

 

門前でじっと戦況を見つめる光秀。

 

鉄砲を放ち、堂内に攻め込む明智勢。

自ら槍を持ち戦う信長。

信長と共に戦う蘭丸。

 

乱戦となっている境内。

軒下に出て、自ら矢を放つ信長。

襲いかかる明智勢を槍で迎え撃つ信長。

槍が折れ、太刀を抜いて奮戦する信長。

やがて右手に傷を負った信長。

信長を貫く銃弾。

ついに抵抗を諦め、蘭丸と共に奥へと入っていく信長。

後を追う明智勢。

 

傷だらけとなりながら一室に入り、

わしはここで死ぬ、蘭丸ここに火を付けよ、わしの首は誰にも渡さぬ、わしを焼き尽くせと障子を閉めた信長。

 

やがて火の手が上がった本能寺。

場所はいずこじゃ、奥書院のあたりかと明智勢。

 

回想。

明け方の海を渡ってくる若き日の信長。

 

名古屋城で、明智十兵衛と名乗った光秀。

 

燃えさかる部屋の中で回想にふける信長。

今川を倒し、次は何をなさると光秀。

美濃の国を獲ると信長。

その後はと光秀。

 

光秀の回想。

大きな国ですと光秀。

部屋の中をぐるりと周り、これくらいかと信長。

はいと光秀。

笑い合う二人。

 

燃えさかる本能寺。

じっと見据える光秀。

 

燃える部屋の中でつっぷしている信長。

 

何度も息を飲む光秀。

 

東庵の家に駆け込んできた太夫。

 

本能寺で戦がと驚く東庵。

明智勢が攻め込み、寺が焼けているそうですと太夫。

本能寺と言えば、確か織田様がおいでのはずと東庵。

明智様が、御主君をと絶句する東庵。

目を閉じ、手を握りしめる駒。

 

本能寺。

灰を手にする光秀。

回想。

その人は麒麟を連れてくるんだ、麒麟というのは穏やかな国なやって来る不思議な生き物だよって、

それを呼べる人が必ず来る、麒麟が来る世の中をと駒。

 

本能寺。

焼け跡を見つめる光秀。

この焼け方では髪の毛一本見つかりますまいと左馬助。

坊主どもは間違いなくここで腹を召されたと伝吾。

二条御所の信忠様も、同じく火の中で御最期の由、如何なされますと利三。

今少し掘り返して検分いたしますかと伝吾。

いや、もうよかろう、引き上げようと光秀。

 

門前で馬に乗る光秀。

そこに現れた太夫。

きっとこうなると思っていましたよ、帝もきっとお喜びでしょう、

明智様なら美しい都を取り戻してくれると太夫。

美しい都、それは約束する、

駒殿に伝えてもらえぬか、必ず麒麟が来る世にしてみせるとと光秀。

きりん?とけげんそうな太夫。

そう言っていただければ判る、麒麟はこの明智十兵衛光秀が必ず呼んでみせると光秀。

 

天下を取った光秀。

 

為す術のない勝家。

沈黙を守った藤孝、順慶たち。

三河へと伊賀越えで戻る家康。

 

六月十三日、西国から思わぬ早さで戻ってきた秀吉に敗れた光秀。

 

三年後、天正十三年。

内裏。

帝と囲碁を打っている東庵。

世の中も双六と変わりませぬのう、一歩先が見当付きませぬ、

羽柴秀吉様が天下を制しているのは判りますが、まさか関白におなりになるとはと東庵。

これまでも、力ある武家の棟梁が立ち上がっては世を動かし、去って行く、

世が平らかになるのはいつの事であろうと帝。

ふっふっふっと笑う東庵。

 

備後、鞆。

義昭に会いに来た駒。

よう参ったなと義昭。

公方様にもお変わりございませんかと駒。

ない、日ごとこうして釣りに明け暮れていると義昭。

これからいずこへ参ると義昭。

高山城の小早川様のところで堺衆が茶会を催す事になり、

私どもの丸薬を沢山収めさせて頂いておりますのでご一緒にと駒。

小早川?、あんな男と茶を飲むのか、

あれは毛利一族の中でも真っ先に秀吉と手を握った世渡り上手じゃ、まるで志の無い男じゃと義昭。

微笑する駒。

世を正しく変えようと思うのは志じゃと義昭。

わしは大嫌いであったが信長にはそれがあった、明智十兵衛にははっきりとそれがあったと義昭。

ご存じでございましょうか、十兵衛様が生きておいでになるという噂をと駒。

何?と義昭。

私も聞いて驚いたのですが、実は密かに丹波の山奥に潜み、

いつか立ち上がる日に備えておいでだと言うのですと駒。

まことか?と疑わしげな義昭。

釣りに出かける義昭。

行ってらっしゃいませと駒。

また会おうぞと義昭。

 

賑わう町の雑踏を歩く駒。

ふと目にとまった牢人風の男の横顔。

十兵衛様と呼びながら後を追う駒。

町外れで忽然と消えた男の姿。

十兵衛様とつぶやく駒。

 

荒野を馬で駆けていく光秀。

 

完。

 

「今回はとうとう最終回、本能寺の変が描かれました。光秀を決意させたのは万乗の主となると言った信長の不遜な言葉、このままでは麒麟は来ない、ならば自分で呼ぶしか無いという思いでした。しかし、秀吉によって行く手を遮られ、麒麟を呼ぶことは出来ずに終わります。では秀吉が呼んだのかと言うとそうでもなく、正親町天皇はいつになったら平らかな世になるとつぶやきます。結局のところ光秀の志を受け継いだ家康が麒麟を呼んだという事になるのでしょうか。」

「このドラマでは本能寺の変に絡む様々な説が盛り込まれていました。朝廷が関与したという説、光秀の個人的な怨恨説、最後に少しだけ出てきた四国問題説、義昭に政権を返すためだとする説、さらには光秀自らが書いた藤孝への手紙にある忠興たちの世代に受け継がせるためという説など様々な要素が散りばめられていました。最後には光秀生存説まで出てきました。」

「信長はやはり光秀を頼りにしていたのですね。光秀を足蹴にしたのも家康を試すため、あるいは光秀を取られそうに思った嫉妬のためだったのかも知れません。それも光秀に対する甘えがあったからなのでしょうね。自分がここまで来たのは他ならぬ光秀に背を押されたからと信長は判っていました。その信長が光秀から離れて月に登ろうとしたとき、光秀は信長を見限り自ら麒麟を呼ぼうと決心をしたのでした。」

「信長が自ら神になり天皇を超えた存在になろうとしたという説は、ルイス・フロイスの書簡にある記述を根拠にしています。まず京都馬揃え式の後フロイスが天皇に拝謁しようとしたとき、信長は自分が王であり朝廷であるからその必要は無いと言ったと記されています。また、安土城にある総見寺に盆山という石を置き、これを信長と思って参拝する様に皆に強制したともあります。さらに自らを仏法の敵、第六天魔王と名乗ったという話もフロイスによって伝えられていますね。」

「これらとは別に、安土城の発掘調査の結果出てきた本丸御殿の跡が御所の清涼殿そっくりであった事から、誠仁親王が天皇になった暁には天皇を安土城に住まわせ、自らはそれを見下ろす天主に住まい、天皇をも凌駕する存在になろうとしていたと説く論者も居ます。」

「ドラマではこうした説を下敷きにして万乗の主となるという台詞につなげたのでしょうね。しかし、ドラマでは正親町天皇は傍観者に徹し、光秀の後見となろうとはしませんでした。光秀もまた天皇の言葉を聞いた事に感動はしていましたが、天皇を守るために立ち上がったのではなく、そんな不遜な態度では万民が付いてこない、麒麟は呼べないと判断して信長を倒したのでした。」

「最近の研究では信長は朝廷を否定していたのではなく、むしろ協調していこうとしていたと見る説が有力です。信長は旧時代の破壊者ではなく、むしろ従来の秩序を重んじていたという見方ですね。朝廷は対立軸ではなく、自らの権威の正当性を保証してくれる存在でした。政治の実権は信長が握っているものの、それを裏付けてくれるありがたい存在が朝廷というものだったという考え方ですね。」

「本能寺の変の原因については様々な説がありますが、現在のところ背後に黒幕が居たとする説はほぼ否定されています。朝廷黒幕説、イエズス会黒幕説、果ては家康や秀吉黒幕説なんていうのもありますけどね、光秀が誰かに操られていたという見方は主流では無く、光秀個人の判断に依るものという考え方が大勢を占めています。」

「では個人的動機だとして何がそうさせたかについては、未だに新説が唱えられている状態ではっきりしません。最近有力なのは四国問題説で、四国の覇者である長宗我部氏は織田家と同盟関係にあり、その申し継ぎ役が光秀でした。光秀と長宗我部氏は家老の斉藤利三を通じて遠い縁戚関係にあり、光秀は織田家家中にあっては四国通を自負していたのですね。ところが、長宗我部氏に圧迫された三好氏が織田家を頼ると信長は態度を一変し、長宗我部氏を敵視し始めるのです。この事について光秀は蚊帳の外に置かれており、申し継ぎ役の面目は丸つぶれでした。光秀はなおも長宗我部氏を説得し織田家に服属するよう調停しますが、これを長宗我部氏が受け入れたタイミングで信長は四国征伐を決定してしまいます。これにより、決定的に面目を失うと同時に自らの前途を悲観した光秀が、信長を討つ決意をするに至ったというのですね。」

「また、最近発見された文書により、光秀は義昭に政権を返すために本能寺の変を起こしたという説も有力となっています。この様に新しい資料が発見される都度に新しい説が唱えられるというのが実情で、決定打はまだありません。私的には四国問題も含めて、織田家の外様として神経をすり減らしていた光秀が、疲れ果てた末に前途を悲観し、現状打破のために信長を討ったという説に魅力を感じています。この説では光秀の妹で信長のお気に入りの側室であった御妻木殿が本能寺の変の前年の八月に亡くなっており、織田家との紐帯が切れてしまったという側面も語られています。」

「ドラマに戻って、前半では凝った戦闘シーンが満載で、本格的な大河ドラマが戻ってきたという印象でした。しかし、後半に入るとコロナ禍の影響でしょう、戦の描写はほぼ無くなり、心理描写が中心となって行きました。時節柄仕方が無いとは言え、この点が残念でしたね。でも光秀をはじめ信長や帰蝶、秀吉などに新しい光を当てて描いて見せたのは面白かったです。特に松永久秀を従来とは全く違う描き方をし、ストーリーの上でも重要な役割を持たせたのは特筆ものですね。」

「創作上の人物である駒や伊呂波太夫、東庵、菊丸といった存在もストーリー上邪魔にならず、物語を膨らませていたのも良かったですね。中でも伊呂波太夫という狂言回しに持たせたストーリー性は、真実味があって興味深かったです。」

「ただ、あまりにも省略が多すぎて、唐突過ぎる展開があったのは気になったところです。荒木村重などはその典型ですね。岸が荒木の義父と言ったあたりは、良く判らない人が多かったんじゃないかしらん。他にももう少し丁寧に描いて欲しかったというところは散見されました。なお、岸は史実では荒木家から離縁されたあと左馬助の妻となっています。これが省略されたのはなぜなのかな。」

「この明智光秀という謎の多い人物を四十五週に渡って描いて見せてくれたこのドラマはとても楽しいものでした。光秀はただの裏切り者ではないというところは描ききれたんじゃないかな。ただ、誰も麒麟を呼べなかったのは消化不良の様な気がします。まあ、家康の天下まで行くのは無理があるというものですが。」

「最後になりましたが、私のレビューにお付き合いして頂きありがとうこざいました。毎回長い文章なのに読んで頂けたのは嬉しい限りです。一年を通じて光秀という人物に寄り添ってきましたが、とても楽しい作業でもありました。なんだか今でも京都に行けば光秀に出会える様な気さえしています。面白いドラマを見せて頂いた事に感謝を込めてまとめとさせて頂きます。」

参考文献
「明智光秀・秀満」「明智光秀と本能寺の変」小和田哲男、「図説明智光秀」森祐之、「ここまでわかった 明智光秀の謎」歴史読本、「明智光秀」早島大祐、「本能寺の変」藤田達生、「信長研究の最前線1、2」日本史資料研究会

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