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2020年10月25日 (日)

麒麟がくる 第二十九回 「摂津晴門の計略」

永禄十二年(1569年)。

二条城普請場。

自ら先頭に立ち、普請を進める信長。

その資材は近隣の社寺や屋敷から集められていました。

 

集められた調度品を調べている藤孝。

そこにやってきた光秀。

いささかやり過ぎかと思うがと藤孝。

今まで城を築こうとしなかった者たちの言う事など、放っておけば良いと光秀。

幕臣の中には社寺と組んで金貸しとつるんでいる者も居る、

調べれば調べるほど幕府の中は腐っていると光秀。

今日もこれらの品を奪われた者たちが、返せと訴えに来ると言う、

これを摂津晴門がどう砂漠かよく見ておく必要があると光秀。

 

本国寺。

金を積み、義昭に信長の非道を訴える高僧たち。

信長の悪評はやがて公方様へと向かってきますぞと晴門。

信長は我が恩人、今更やめろとは言えぬ、

ただ、信長が岐阜に帰った後なら返す事はやぶさかではない、

ただし、目立たぬよう少しずつじゃと義昭。

それは名案と膝を打つ晴門。

後はよしなにと席を立つ義昭。

それを見届け、懐に金を入れる晴門。

 

義昭が向ったのは駒の待つ部屋でした。

駒を相手に古の悲田院のごとき施設の構想を語る義昭。

奈良に居たときは夢だと笑われた、

しかし、将軍となった今なら出来る、

ただ、施設を作り働く者たちを集めるには金が要る、

今の幕府には金が無いと義昭。

初めから大きく作らずに、悲田処を一つ作られてはと駒。

一つかと義昭。

それならいかほどお金が掛かりましょうかと駒。

一千貫は要るなと義昭。

ふーん、一千貫で作れますかと図面に見入る駒。

 

東庵の家。

床下から金を出し、懐に入れる東庵。

そこに帰ってきた駒。

東庵が金を抜き取った事を見透かし、返させる駒。

丸薬作りに場所を取られ、仕事が減って手元不如意でなと言い訳をする東庵。

ですからこうして金を差し上げているではありませぬかと、

数枚の金を渡す駒。

それよりここに何貫くらいありますかと駒。

二百貫くらいかなと東庵。

宗久様がおっしゃっていました、

場所を広くし、職人の数を増やせば、もっと商いがしやすくなるとと駒。

そんなに丸薬を売ってどうするのだと東庵。

将軍様から大層良いお話を伺ったのですと駒。

 

二条城普請場。

光秀に文を渡しに来た少年。

 

とある神社。

文の送り主は伊呂波太夫でした。

太夫の用件とは、前の関白、近衛前久に会わせる事でした。

鼓を打つ芸人に化けていた前久。

 

光秀に鼓を打ってみよと命じる前久。

見事に打ってみせる光秀。

わしは摂津たちに追われている、

前の将軍暗殺に三好達と共に関わったという理由じゃと前久。

それを言いふらしたのは二条晴良、狙いは近衛家の領地であろうと前久。

以前、越後の上杉景虎と話した事がある、

今の幕府には天下を睨み、天下のために働く者がおらぬ、

それゆえいつまでも天下が治まらぬとと前久。

私は今それが出来るのは織田信長だと思っている、

それをそなたに申しておきたかったと前久。

何故それを私にと光秀。

将軍の側に居り、信長にはばかり無く者が言えるのは明智十兵衛と聞いた、

摂津を嫌っているという噂も耳にしたと前久。

言いたいことは言った、太夫後は任せたと出て行く前久。

 

本当はこういう事を言いたかったのです、

都には公家が居て、町衆が居る、そして帝もと太夫。

帝も御料地を奪われて大層難儀されていると聞きます、

帝が崩御されても弔いの金が無く、ふた月も放置された、

それれを助けるべき幕府は見て見ぬ振りをした、

御所をご覧になれば良く判ります、帝がどれほどお困りかと太夫。

 

妙覚寺。

信長を訪ねてきた光秀。

廊下で光秀を呼び止める藤吉郎。

昨日、光秀が前久と会った事を知っていた藤吉郎。

藤吉郎殿は京の奉行になると噂があるが、

それは幕府の者たちが信長様を裏切らぬ様見張るためとか、

私のことも見張っているのかと光秀。

まさかと笑い飛ばす藤吉郎。

ただ、公家衆にはお気を付け下さい、

あの方たちはどこかの寺や大名たちと繋がっている、

油断すれば足をすくわれる、お気を付け下さいと藤吉郎。

 

光秀の話を聞いて、藤吉郎はそういうやつじゃと笑い飛ばす信長。

私の後を誰かに付けさせています、いい気はしませぬと光秀。

まあ、勘弁してやってくれ、信用出来る男だ、

旨く使って幕府の役に立ててくれと信長。

その幕府ですがと言いかけた光秀。

腐り果てているであろうと信長。

良くお判りでと光秀。

皆口を揃えて幕府の非道を責め、わしになんとかしろと申す、

しかし、わしは将軍では無い、

幕府のやることにいちいち口出しはせぬと信長。

口をお出しになるべきかと存じますると光秀。

岐阜に帰る前に、幕府の方々を全て入れ替えるべきかと存じますると光秀。

それは将軍のお側に居るそなたの役目であろう、

越前の義景の下に三好の一党が出入りし、

わしの留守の間に美濃を攻めようとしているとの知らせが入った、

美濃を失えばこの京も危ない、

すぐに帰って戦支度をせねはならぬ、

そのためにそなたたちを京の奉行にするように幕府に飲ませたのだ、

やり方は任せると信長。

子供の頃、父にこの世で一番偉いのはだれかと尋ねた事がある、

それはお日様だと言われた、

ではその次に偉いのは誰かと聞いた、都におわす天子様、帝じゃと言われた、

わしには帝というものが判らなかった、

その次はと尋ねると帝をお守りしている将軍様じゃと言われた、

なんだ将軍とは帝の門番かと思った、

わしらはその門番をお守りするため城を作っておるのだと信長。

わしの父は変わり者で、近頃の将軍は帝をお守りするのを忘れている、

だからわしが代わりにお守りするのだと言って、

築地を直すために四千貫もの大金を送った、

都に来たがわしはまだその塀を見た事が無い、

近頃その塀が気になる、奇妙じゃなと信長。

 

本国寺。

光秀を訪ねてきた藤孝。

藤孝の用件は、光秀が東寺八幡宮の領地の一部を押領したので、

返せと訴えられているという事でした。

公方様より頂いた土地だと光秀。

 

憤怒の表情で、政所へと向かう光秀。

晴門に訴状を示し、私は公方様から土地を頂いた、

まさか押領した土地とは思いもしませんでした、

この手はずを付けたのは政所ではありませぬかと光秀。

それで、と晴門。

誰が如何にして手に入れた土地か教えて頂きたいのですと光秀。

山城の国は広い、誰がどの土地を押領したか一々存じておりませぬと晴門。

公方様の近くに仕える者が訴えられているのです、

いちいち存じておらぬとは何事でございますかと光秀。

この政所にはこの様な訴えが数多く寄せられています、さほど気になさらずとも良いかと晴門。

その訴えを政所ではどう裁いておられると光秀。

一つ一つを念入りに、五年、十年かけて調べていますと晴門。

そうやって、帝の丹波の御料地もお身内の武家に与えられたのかと光秀。

さほどにご不快なれば、この領地をお返しになれば良いと晴門。

社寺の土地は長年武家が守って来たもの、その謝礼にいささか頂くのは当たり前の事、

それをとやかく言われては話にならぬ、これはお返し頂こうと晴門。

返して済む話では無い、誰がどのようにして押領したかを調べ、

不正があれば処断する、それが私の役目と光秀。

それまでお返しにならぬとと晴門。

早々にこの訴えを詮議し、事の顛末をつまびらかにし、私にお教え願いたい、

その上でお返しいたしましょうと光秀。

よろしうきございます、長々とした詮議になりましょうなと晴門。

晴門をにらみつけて出て行く光秀。

その後ろ姿に、困った人だ、世の仕組みを教えて差し上げたのじゃがと晴門。

 

太夫の下を訪ねた光秀。

帝の御所を拝見したいと光秀。

案内いたしましょうかと太夫。

 

御所。

破れ築地に来た二人。

これでは誰でも入れてしまう、子供が中に入り込んで御殿に石を投げたりするそうですと太夫。

中に入るとまず小御所がございますと光秀を誘う太夫。

 

御所の中。

私は捨て子で近衛様に拾われたと申しましたねと太夫。

私がここへ連れてこられたのは、私の行く末を案じられた近衛様が、

私を尼寺へ入れる事に決められた直後の事で、

子供だった私はまた捨てられるのかと泣いてばかりいましたと太夫。

それでここを一人で歩いていたら、若いお公家が一人蹴鞠の稽古をしていたのです、

大層上手で見とれていたら、そのお公家が私に気づいてこう申されたのです、

そんなに悲しい事があるのか、そういう顔をしている、

そう言って私に近づいて来て、これをやるからもう泣くな、

そう言って懐から石を出し、私の手の上に乗せてくれたのです、

とても暖かい石でたき火で温石だとおっしゃいました、

今でもその石を大事に持っていますよ、

後でその人が方仁親王様だと伺いました、

今の帝であられますと太夫。

あの日、親王様に会って、生まれて初めて人の顔が美しいと思いましたと太夫。

私は尼寺に行きたくなくて近衛家を飛び出し、今日までと太夫。

でも、この壊れた塀を見るとここを直さなくてはと、

ここだけでも綺麗にしておかなくてはとそう思って、

自分が泥にまみれて生きているものだからと太夫。

 

二条城。

落成の日。

見事に仕上がった城を見て歩く義昭。

信長を見て、この都を蘇らせた恩人じゃ、皆礼を申せと家臣たちに命じる義昭。

どうぞ中をご覧下さいませと信長。

見事な調度品に見入る義昭達。

浅井長政を光秀たちに引き合わせた信長。

 

光秀に折り入って話があると信長。

二、三日で良い、わしの後から美濃へ帰ってこい、

越前の朝倉義景の件でそなたの話を聞いておきたいと信長。

 

岐阜へと帰る信長。

 

綺麗に出来上がった二条城の壁をなでながら、

御所の破れ築地を思い浮かべる光秀。

 

「今回は二条城の建設に絡んで、幕府の腐敗ぶりが描かれました。前回も書きましたが、晴門が腐敗した幕府の張本人の様に描かれていますが、実際に彼が不正を働いていたという証拠はありません。政所執事であった事は事実で、後に信長と対立した義昭の幕府側の責任者であった事から悪人として描かれているのでしょう。ちょっと気の毒ですが、片岡鶴太郎さんの怪演ぶりは上手くはまっていますね。」

「もっとも、光秀が東寺八幡宮の領地を押領したとして訴えられたのは史実にあるとおりで、その訴状の中に上意(義昭の意向)として光秀が拝領したと書かれています。この事実から類推すると、政所執事であった晴門に責任があったと言えるのかも知れません。このあたり、事実と創作を上手く絡み合わせているとも言えます。」

「矛盾を感じるのは信長の光秀に対する態度で、光秀が義昭に付くと言ったとき、以後そのつもりで接すると言っておきながら、光秀を京都奉行に任じたり、義景の事を知りたいから美濃まで戻ってこいとあたかも家臣の様に命じている点です。史実としてはこの時点で信長と義昭に両属していたと見られていますが、ドラマとしては言行不一致ではないかしらん。」

「ドラマでは信長は幕府の事には口出ししないと言っていますが、実際には室町幕府殿中掟を定めており、この掟によって義昭の権限を制約しています。ドラマでは光秀が進言した事になっており、信長と義昭の間を引き裂く端緒を作ったのは他ならぬ光秀という事になりますね。」

「それにしても、このドラマの義昭は仏様の様な善人ですね。政治力は無いに等しいですが、考えているのは苦しむ民の事ばかりで、将軍と言うより高僧の様な人です。こんな人がこの後どうやって信長を苦しめる存在へと変わっていくのでしょうね。今後の見所の一つかな。」

「創作上の人物ですが、伊呂波太夫の身上も明らかになってきました。謎めいた存在でしたが、その底流には帝への憧憬があったのですね。その事が光秀にどう影響を与えていくのか、興味深いところです。」

 
参考文献
「明智光秀・秀満」「明智光秀と本能寺の変」小和田哲男、「図説明智光秀」森祐之、「ここまでわかった 明智光秀の謎」歴史読本、「明智光秀」早島大祐、「本能寺の変」藤田達生、「信長研究の最前線1、2」日本史資料研究会

 

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