麒麟がくる 第二十五回「羽運ぶ蟻」
永禄九年(1566年)、近江矢島御所。
還俗して足利義昭となり、越前に向かった覚慶。
しかし、敦賀に留め置かれ半年が過ぎていった。
あせる藤孝。まだ打つ手はあると藤英。
庭にうずくまり、じっと蝶の羽根を運ぶ蟻を見ている義昭。
光秀の家。
義景は上洛する気があるのかと光秀を責める藤孝。
私には何ともと光秀。
かつて、覚慶は将軍の器にあらずと義景に進言した事を思い出す光秀。
美濃稲葉山城。
斉藤龍興を追い出し、美濃平定に成功した信長。
光秀の家。
伝吾からの文を持ってきた牧。
そこにはかつての館は伝吾が建て直し、いつでも暮らせる様になっているとありました。
織田家のものとなった美濃なら安心して帰れるというのが牧の希望でした。
十兵衛様は帰りたくないのですかと煕子。
おまえはどうなのだと光秀。
子供たちにとっては、ここが故郷ですからと煕子。
十月。
牧を連れて明智荘に帰ってきた光秀。
感激の再会を果たした伝吾。
すっかり再建されていた屋敷。
伝吾に礼を言う牧。
龍興は当主の器では無かった、そのため家来衆に裏切られたと伝吾。
高政が生きていればこんな事にはならなかっただろうなと光秀。
信長様には会われますかと伝吾。
明日、会ってくると光秀。
歓迎する村人達。
一緒に踊る牧。
光秀に礼を言う牧。
これからも見守って頂かないとと光秀。
そなたは明智家の当主、土岐源氏の血が流れている、誇りを持って生きて行きなさいと牧。
岐阜城。
城内で出会った稲葉良通。
龍興様では器が小さい、その点信長様は器が大きい、
ついて行くならこの方しか居ないと思ったと良通。
信長に拝謁した光秀。
母が帰蝶様に会いたいと申していますと光秀。
帰蝶はまだ清須に居る、子供たちが居るからなと信長。
そなたわしに仕える気は無いかと信長。
申し訳ございませぬと光秀。
一体何を考えているのかと信長。
私は亡き義輝様に仕えたかった、この方こそ武家を束ね、
世を平らかにするお方だと思っていました、
しかし、あのような不幸な形でみまかられ、
私にもこの先どうすれば良いのか判らないのですと光秀。
わしも判らぬ、今川を倒した後、美濃を平定したあとどうするのかと聞いたな、
わしは答えられなかった、何をどうすれば良いのか判らなかったからだ、
今も判らぬ、ただ一つ判ったことがある、わしは戦が嫌いでは無い、
義元を討ち果たしたとき、皆が喜んでくれた、褒めてくれた、
わしは皆が喜ぶ顔を見るのがこの上なく好きなのだと信長。
ただ、この先どこへ向かって戦をしていくのが良いのか、それが判らぬ、
美濃を落ち延びた龍興は六角や三好三人衆と手を組み、美濃を取り返さんとしている、
東を見れば武田、北には朝倉も居る、周りは敵だらけ、
美濃を取ったは良いが今度は守らなければならぬ、また戦だ切りが無いと信長。
上洛されては如何でしょう、新たな将軍に力を貸し、幕府を再興するのです、
さすれば畿内を手に入れる事が出来ましょうと光秀。
堺も手に入るかと信長。
わしは堺が欲しいと思っていた、堺で異国と商いをするのじゃ、
異国の珍しい物が手に入る、これはおもしろいぞと信長。
畿内を押さえれば堺も手に入りましょうと光秀。
美濃、尾張周辺の事だけにこだわっていても小競り合いは終わりませぬ、
戦を終わらせるには幕府を再興し、将軍を軸とした平らかな世を畿内を中心に再び築くのですと光秀。
武士が誇りを持てる世が来れば、皆が喜ぶでしょうと光秀。
皆が喜ぶと信長。
大きな国です、かつて道三様に言われました、誰も手出しが出来ぬ大きな国を作れと光秀。
蝮がと信長。
新たな将軍とは足利義昭様の事だな、義昭様はどのようなお方だと信長。
義昭様はと言いよどむ光秀。
義輝様と懇意にしてきたそなたの事だ、
そなたが良いと言えばわしは神輿を担ぐぞと信長。
大きな国か、それはこれくらいかと絵図を指し示す信長。
もっとと光秀。
絵図全体を指し示す信長。
もっとと光秀。
ぐるりと部屋を一回りして、これくらいかと信長。
はいと光秀。
ハハハと笑い合う二人。
京。
東庵の家。
丸薬作りで大忙しの様子。
丸薬の又売りをしている者が居ると聞き、妙昇寺へ事情を聞きに行った駒。
妙昇寺。
高値で又売りしているとはどういう事ですかと住職を責める駒。
どういう事と言われてもと困惑する住職。
そんな事では困ります、薬を配ったのは和尚様ではありませぬかと駒。
母親が病だというので薬を配りましたよ、しかし、それを又売りなどと和尚。
又売りなどされては困ります、それでは薬を配る意味が無くなりますと駒。
これからはお寺の方でも気を配ってください、私はその子に直に会って叱って来ますと駒。
そこに現れ、やりとりを聞いていた今井宗久。
何をもめて居たのですかと宗久。
これでございますと丸薬を差し出す和尚。
何にでも効く薬です、貧しいものはただで配っておりますがと和尚。
ほう、と感心した様子の宗久。
貧民街。
平吉に会いに来た駒。
大勢の子供たちが鍋を囲んでいる平吉の家。
平吉を呼び出し、お母さんは病じゃないのねと詰問する駒。
あなたはお母さんが病だと言ってくすりを分けて貰い、
それを余所で高く売っていると駒。
おばさん、誰と平吉。
私は駒、薬を作っている人と駒。
で、何と平吉。
又売りなんてしては駄目と駒。
どうしてと平吉。
私は貧しい人に分けてくださいとお寺に渡してあるの、
それを又売りするなんておかしいでしょと駒。
稼いで何が悪いんだ、もらったものをどうしようと俺の勝手じゃないかと開き直る平吉。
ただのものを高く売るのが間違っていると言っているのと駒。
それで、妹や弟たちが飯を食えると平吉。
兄ちゃん一緒に食べよと妹たち。
その声に呼ばれて家に帰る平吉。
何も言えない駒。
東庵の家。
稼いで何が悪いかと東庵。
私が間違っているのかと思い、何も言えなくなってしまったと駒。
何も間違っておらぬよと東庵。
又売りしたとて構わぬではないか、それは駒とは関わりの無いことじゃと東庵。
薬を買う者にはそれだけのゆとりがあるのだ、
薬を売る方はそのお金で助かる、貧しい一家が飯を食えるのだ、
お前のしらぬところで薬は一人歩きをして人様を助けているのだ、良い薬じゃないかと東庵。
そうでしょうかと駒。
そう、思うがなと東庵。
光秀の家。
帰ってきた光秀。
藤孝の来訪。
光秀の子供たち相手に、雑面で遊んでいる義昭。
あのときは無様な姿を見られた、裸足で逃げようとしたところをと義昭。
十兵衛殿に会いたいとおっしゃるのでお連れしましたと藤孝。
私に?と光秀。
また遊ぼうのと子達に言って下がらせる義昭。
私に何かと光秀。
兄はことのほかそなたを信用していたと聞いている、一度ゆるりと話がしたかったのだと義昭。
敦賀に居ても息が詰まる、ただ待たされるだけでは退屈極まる、
それで庭の桜を見ていたら一匹の蟻を見つけてのう、
自分の体よりはるかに大きな羽根を一生懸命運んでいた、
しかし、小石や草が邪魔をして思い通りに進まぬ、
すると仲間の蟻がやってきて手を貸そうとする、
ところがこの蟻は頑固なやつでおのれだけで運ぼうとする、一匹では無理じゃと言うのにと義昭。
それでどうなりましたと光秀。
蟻は私だと義昭。
将軍という大きな羽根は私一人では運べぬ、しかし、助けがあればと義昭。
お心は決まりましたかと光秀。
まだ迷いはある、この間まで経ばかり読んでいた男に武家の棟梁など務まらぬ、
しかし、私が将軍になれば今まで出来なかった事が出来る様になるかも知れぬとも思うと義昭。
出来なかった事とはと光秀。
人を救える、貧しい人々を、私一人の力では限られている、
しかし、私が将軍になれば今まで手が届かなかった人々を救えるかも知れぬ、
そう考えると将軍になるのも悪くはないと義昭。
おかしな事を言うておると思うかも知れぬが、
もの心付いた時分から寺に居た私にはそのような考え方しか出来ぬのじゃと義昭。
ご立派なお考えかと思います、
将軍になられるお方がそのような考えをお持ちなら、民も救われましょうと光秀。
されど私は武士ではない、兄のようにはなれぬ、
助けが要る、朝倉の助けが、そなたからも義景殿によしなにと伝えてくれぬかと義昭。
朝倉館。
義景に拝謁している光秀。
義昭様に会ったそうじゃなと義景。
何の話をしたと義景。
蟻の話をしましたと光秀。
蟻?と義景。
お庭でじっと蟻をごらんになっていると光秀。
門跡ともなると、常人とは見当もつかぬ事をするもんじゃなあと義景。
生き物を慈しむのは結構だが、やはり将軍の器ではないかと義景。
いえ、左様な事はないかと光秀。
任にあらずとそなたが申したのだぞと義景。
お目に掛かってお話を伺い、いささか考えが変わりましたと光秀。
義昭様はご聡明で弱き者の心が判るお方でございますと光秀。
例えば強い大名方がお支えすれば、立派な将軍になるかも知れませぬと光秀。
支えがあればと義景。
義景様によしなにお伝えせよと申しつかっていますと光秀。
実は久秀殿からも言われている、信長と共に義昭様を奉じて上洛すれば良いとの事じゃと義景。
信長と一緒というのが気に入らぬが、致し方なしかと義景。
上洛されるのですかと光秀。
わしも考えが変わった、義昭様は美しい神輿である、その美しき神輿を担ぐのは我々だ
そしてその神輿は軽い方が良いと義景。
恐れながら上洛は無理かと、本願寺の門徒どもの一揆が収まっておりませぬし、
上洛には莫大な費用がと山崎。
つまらぬ事を申すな、義昭様はわしを頼って越前まで足を運ばれたのだぞ、
これ以上お待たせする訳にはいかぬと義景。
そこにやってきた息子の阿君丸。
忠太郎がいなくなってしまいましたと泣きそうな阿君丸。
よし、わしが見つけてやると阿君丸を抱いて出て行く義景。
忠太郎様?と光秀。
様ではない、ネズミじゃと山崎。
忠太郎を探して大騒ぎの家中。
その様子を半ばあきれて見ている光秀。
永禄十二年二月、摂津、富田。
征夷大将軍に任ぜれた義栄。
その知らせを藤孝から知らされた光秀。
「今回は覚慶の還俗から義景が上洛を決意するまでが描かれました。ドラマでは覚慶から義昭に改名した事になっていますが、実際には義秋と名乗っています。そして、いきなり越前を目指したのではなく、一度は妹婿である武田義統を頼って若狭に向かっています。これは、最初友好的であった六角氏が三好氏側に寝返ったため、近江に居られなくなったためと言われます。」
「一度は若狭武田氏を頼った義秋たちですが、武田氏に上洛するたけの力が無いと見限ると越前に向かったのでした。しかし、義景には積極的に上洛する意思はなく、逗留が長期に及んだのはドラマにあったとおりです。無論、そこに光秀による義秋評が影響しているのはドラマによる創作です。」
「義秋にしても、支援者の本命は朝倉氏ではなく上杉氏だったと言われていますが、上杉氏は国内の平定に手一杯で上洛の余裕は無く、期待には応えられないのでした。」
「そうこうしているうちに義栄が先に征夷大将軍に任じられたのはドラマにあったとおりです。ただし、彼にしても京での三好三人衆と松永久秀の抗争が収まらず、また義栄自身も背中に腫れ物を患っていたため、入京出来ずに居ました。」
「ドラマでは一足先に牧が明智荘に帰った事になっていましたが、資料には無く事実かどうかは判りません。そもそも明智荘も誰かの領地になっていたはずであり、旧主と言えどもそう簡単に帰る事が出来たのかは疑問ですね。」
「稲葉良通については、西美濃三人衆と呼ばれた安藤元就、氏家直元と共に織田家の調略に応じ、織田家に寝返ったのでした。斉藤家の没落はこの寝返りにより決定的になったと言われます。」
「光秀が信長に拝謁したのはこれも創作で、実際にはもう少し後、義昭と改名した義秋の使者としてです。なお、義秋から義昭へと改名したのは、秋と言う字が冬に向かう不吉な字であるという事で行ったとされます。」
「それにしてもこのドラマの信長は面白いですね。地図の周りをぐるぐる回ったり、従来の信長像とはかけ離れています。この信長が第六天魔王となっていくのか興味深く見守っていきたいと思います。」
参考文献
「明智光秀・秀満」「明智光秀と本能寺の変」小和田哲男、「図説明智光秀」森祐之、「ここまでわかった 明智光秀の謎」歴史読本、「明智光秀」早島大祐、「本能寺の変」藤田達生、「信長研究の最前線1、2」日本史資料研究会
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