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2020年5月17日 (日)

麒麟が来る 第十八話「越前へ」

弘治二年、焼け落ちた明智城。

尾張に逃げようとする光秀。

そこに現れた駒と菊丸。

尾張は無理、高政勢が関を設けていると駒。

手薄なのは北と菊丸。

北へ逃げる決心をした光秀。

 

山中。

行く手を阻む高政の手勢。

そこへ現れ、越前へ案内すると伊呂波太夫。

彼女は帰蝶から頼まれたのでした。

 

とある一軒家。

追っ手から逃れ、一息ついた光秀の一行。

手にけがをしていた煕子。

手当する駒。

水を汲みに出た光秀。

自分は駿河へ帰る、駒にどこまでもついて行きたかったと伝えて欲しいと菊丸。

 

なにゆえ駒は良くしてくれるのですかと煕子。

私は人を探している、

その人は幼い私を火事から救ってくれた、

手の大きな立派なお武家様だった、

その人はいつかは戦は終わる、

平和な世に住む麒麟を連れてくる者がきっと現れると慰めてくれたと駒。

その話を聞き、そなたの腕に傷跡がありますかと牧。

なぜご存知かと駒。

我が夫、光綱様が話してくれた事がある、

土岐様に仕えて京に上った時、小さな女の子を火事から救った、

その子は旅の一座の者に預けてきたと牧。

光綱様が、亡くなられた、

お会いして礼を言いたかったのにと駒。

私も信じる、いつか麒麟があらわれる事をと牧。

 

越前、一乗谷。

賑わう城下。

 

朝倉館。

義景と対面した光秀。

太夫、大いに不満と見えると義景。

待ち惚けて居眠りでもいたそうかと思っていましたと太夫。

近衛の姫君は顔を出さなんだかと義景。

芸人風情が近衛家で育ったと申す出ないと、私に言った姫君でしょうかと太夫。

そのもの言いよう似ていると義景。

朝倉家に嫁いで数年になりますのに、まだ子をなさぬとか、

義景様もいつ近衛家に帰そうかと頭を悩ませているのではと太夫。

そなた、近衛家から探りを入れるよう頼まれて来たかと義景。

まさか、この家出娘に頼るほど近衛家も落ちぶれておりますまいと太夫。

では、別のやっかい事かな、この男かと義景。

明智十兵衛光秀にごさいますと光秀。

明智様をこの越前にお匿まい頂きたいのですと太夫。

一通の文を太夫の前に置いた義景。

それは藤孝の文でした。

藤孝殿は同じ文をほうぼうに出しているそうじゃ、

明智という者、落ち延びて来ればよしなにとりはからわれたいとあると義景。

わしは余計な争いごとに巻き込まれたくない、

日々穏やかにくらしたいのじゃと義景。

明智様は尾張の奥方の縁者、

もし美濃が越前に攻め込もうとすれば尾張が背後から突くはずと太夫。

値踏みするように光秀を見下ろし、

太夫の言うた事はまことかと義景。

私に尾張を動かす力などございませぬと光秀。

このまま美濃に帰す訳にもいくまい、しばらくおれば良いと義景。

そなたは運が良いぞ、この一乗谷は安楽の地じゃ、のう太夫と義景。

まことに、古の都を見る心地がいたしますと太夫。

で、そなた金が要るのであう、さしあたって今日の米代にも困るのであろうと義景。

それは、と光秀。

くれてやろうぞ、と義景。

それは頂けませぬと光秀。

そうか、と意外そうに光秀を見下ろす義景。

太夫、久しぶりにゆるりとしていけ、酒でも飲もうぞと義景。

 

廊下。

霞を食うて生きて行くつもりですか、

朝倉家は国持の大名、養う家が一軒増えたところで痛くもかゆくもありませぬと太夫。

私が金をもらっては、帰蝶様や藤孝様が金をもらうのと同じ事と光秀。

なるほど、私は近衛の姫君の顔を見て参りますと太夫。

かたじけのうございましたと光秀。

 

城下のはずれ。

一軒のあばら屋。

そこが光秀に与えられた家でした。

ほこりだらけ、隙間だらけ、破れた屋根。

箒、炭、薪を手に入れねばと木助。

私、質へ行って来ましょうかと駒。

質草は数珠でも良いかと光秀。

それは父上の大切なと牧。

持って行ってくれと光秀。

私も一緒にと煕子。

 

賑やかな城下。

あの店主相当けちですよ、もう少し粘ればあと二十文くらい取れたのにと駒。

もう十分、またお世話になるかもしれませんからと煕子。

帯を入れてしまって良かったのですかと駒。

帯はもう一本ある、それにこの数珠の代わりはありませんからと煕子。

 

光秀の家。

私は戦が好きでは無い、勝っても負けても戦は戦、

私は戦は武士の定めと思っていました、

田も起こさず、畑も耕さない武士の生き方なのだと、

されど負けて全てを失ってみると己の無力さだけが残るのですと光秀。

そなたの父上が私におおせになった事がある、

人には浮き沈みがある、戦には勝ち負けがある、

沈んだ時にどう生きるか、負けた時にどう耐えるかでその者の値打ちが決まると牧。

幼き頃、父上と馬に乗った事があります、

そのとき父上はこう言った、馬は誇り高き生き物ぞ、

勝っても負けても己の力の限り走る、遠くへ、それが己の役目と知っておるのじゃと、

我らもそうでありたい、誇り高くと光秀。

 

駿河へと帰る駒。

礼を言う光秀。

私はいつか恩返しをしたいと思っていたのに、無念でなりませんと駒。

あの戦の中、駒さんが来てくれてどれだけ心強かった事かと牧。

私も駒さんと質屋に行けて楽しかった、次はもっと粘ってみますと煕子。

 

尾張、清洲城。

不穏な情勢な織田家。

信長に拝謁し、再び謀叛の兆しがあると告げる勝家。

我が弟、信勝かと信長。

誠にもって申し訳ございませぬと勝家。

そなたは信勝の重臣であろう、

己の言葉が主君を斬る刃となると知らぬ訳でもあるまい、

首を刎ねられて仕方がない事を申しておるのだぞと信長。

その覚悟でまいりました、

尾張の行く末を案じ、やむにやまれず、

信勝様の背後には美濃の斉藤高政がおりまする、

高政は今川家とも通じている、

謀叛に乗じて双方から尾張を飲み込もうとする構えと存じます、

信勝様は我が主君、しかし、これは見過ごせませんと勝家。

先にも信勝はわしに背いた、

母上がわしに許せとおおせになり、わしは折れた、

権六、わしは愚かじゃなあと信長。

 

信長の部屋。

信勝様はよほど殿が目ざわりなのでしょうな、

先の戦でどれほどの兵を失ったかお忘れなのでしょうかと帰蝶。

周りの者におだてられ、自分を見失っているのだ、哀れな男だと信長。

哀れだとお許しになられますかと帰蝶。

どうしろと言うのだと信長。

信勝様にお会いなされませ、会って顔を見て決めればよろしいのですと帰蝶。

 

数日後。

病と言う信長の見舞いに来た信勝。

信勝とは別の部屋に通された土田御前。

 

廊下で金魚を見ている帰蝶。

 

信長の部屋。

お加減は如何でございますかと入ってきた信勝。

それは、と信勝の持ってきた器を尋ねる信長。

これは親しき行者が白山から持ち帰った霊験あらたかな湧き水にございます、

万病に効くと申すが故に、兄上にもどうかと持って参りましたと信勝。

病が重いと伺いましたが、ご息災の様に見受けますと信勝。

病と言うのは偽りじゃ、

そなたを呼び寄せ討ち果たすつもりで偽りを申したと信長。

思わす息をのむ信勝。

しかし、そなたの顔を見てその気は失せた、そなたを殺せば母上が嘆く、

母上の悲しむ顔は見たくないと信長。

子供の頃よりそなたは母上に可愛がられた、

色白で賢く、誰もがそなたをほめそやす、

そういうそなたを母上はいつも手元に置かれた、いまもそうじゃと信長。

わしはそれが口惜しかった、わしは色が黒く、母上の好きな和歌も詠めず、

書も読まず、犬の様に外を走り回り、汗臭い子じゃと母上から遠ざけられた、

あるときわしはそのことに気づいた、そなたの美しさ、賢さに遠く及ばぬと信長。

妬んだ、殺してやろうと何度も思った、判るかと信長。

私も兄上を妬ましく思っていました、

兄上はいつも私より先を走っておられる、

戦に勝ち、国を治め、私のせんとすることをすべて成し遂げられてしまわれる、

兄上が疎ましい、兄上さえ居なければと信勝。

それゆえ、高政と手を組んだのかと信長。

呆然と息をのむ信勝。

我らは似たもの同士という事かと信長。

信勝、これを飲め、白山よりわき出でたるありがたき水であろう、

どうした飲んでみよと信長。

申し訳ありません、どうかお許しくださいませと信勝。

そうか、と信長。

飲め、飲むんじゃ、飲め、お前が飲め!と信長。

部屋になだれ込んできた家臣たち。

 

不吉な予感にいたたまれなくなった土田御前。

 

じっと金魚を見つめる帰蝶。

 

倒れている信勝。

信勝、愚か者と信長。

 

「今回は明智城の陥落と光秀の逃亡、信勝を成敗した信長が描かれました。ぎりぎりのところで誇りを保とうとした光秀のやせ我慢、信勝に死を迫った信長の冷酷さが際立っていました。」

「資料に依ると高政が明智城(これにも諸説がありますが)を攻めた事は事実の様です。また、光秀が落城を前に脱出して越前に逃れた事は「明智軍記」に描かれています。ドラマは大筋ではこの軍記の記述に沿った様ですね。ただ、「明智軍記」は後世に書かれたもので信憑性に欠けると言われており、実際のところは良く判っていません。」

「比較的信頼出来る資料とされる「武功夜話」には明智城が落城した事は記されていますが、光秀の名は出てきません。なぜかは判りませんが、当時の光秀はそれほど名を知られた存在では無かったのではないかと推測されています。」

「ドラマでは伊呂波太夫が越前までの道運内をした事になっていましたが、無論これは創作で、「明智軍記」には郡上郡を経て越前に入ったとあり、「美濃国諸旧記」には、西美濃の叔父を頼って落ち延び、その後六年に渡って諸国を遍歴したあと義景に仕えたとあります。これらの資料が後世に書かれたもので信頼性に欠けているのは前述したとおりですが、同時代資料に依ると経緯は判らないものの光秀が越前に居た事は確からしく、紀行にあった様に一乗谷のはずれにある長崎称念寺の門前に居を定めていた様ですね。」

「越前時代の光秀の処遇がどうだったかは良く判っていませんが、無名だった光秀がいきなり仕官したとは考えにくく、ドラマの様に城下に住まう事を許された程度だったのかも知れません。このあと、ドラマでどう描かれるか楽しみですね。」

「信勝についてはドラマに描かれていたとおり、高政に通じた事を家老の勝家に密告され、信長に誘殺されています。信勝は白山を信仰していたとも伝わり、ドラマでは上手く小道具に使われていましたね。信勝に自害を迫る信長は冷酷で迫力がありましたが、その裏には帰蝶の示唆がありました。このドラマでは信長が自ら決意する事は珍しく、必ずと言って良いほど帰蝶が絡んでいます。これほど帰蝶が活躍するドラマも珍しいでしょうね。蝮の道三亡き後は、彼女がその後を襲うのかしらん。美しいだけに、空恐ろしい感じがします。」

「このドラマもコロナ禍で収録が出来ず、6月7日の放映までで、いったん休止する事が決まっています。せっかく新展開が始まったばかりなのに残念ですが、こればっかりはどうしようもありません。本当に完結するのか怪しい気もしますが、制作陣の創意工夫に期待するしかないでしょうね。」

参考文献
「明智光秀・秀満」「明智光秀と本能寺の変」小和田哲男、「図説明智光秀」森祐之、「ここまでわかった 明智光秀の謎」歴史読本、「明智光秀」早島大祐、「本能寺の変」藤田達生、「信長研究の最前線1、2」日本史資料研究会

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