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2020年5月31日 (日)

麒麟がくる 第二十回「家康への文」

永禄三年、駿府。

町を歩く駒。

町は尾張との戦支度でざわついていました。

 

越前。

称念寺。

子供たちに論語を教えている光秀。

 

光秀の家。

尾張から戻った左馬助。

娘が生まれていた煕子。

駒から娘へと贈られてきた薬草。

 

左馬助に出す粥にする米が無いと煕子。

薬草を半分質入れしてはどうかと煕子。

このままではいかぬと思っていたがと苦しそうな光秀。

 

左馬助に会い、尾張の様子を聞く光秀。

大高城に三河勢が入っていると聞き、尾張が危ないと光秀。

 

左馬助から義元に近い武士は元康と聞き、尾張が今川と五分に戦う術を思いついた光秀。

そして、左馬助に帰蝶宛ての文を持たせ、再び尾張へと差し向けます。

 

駿河、義元の館。

尾張に攻め込む、自らも出陣すると宣言した義元。

先鋒としては三河の者がふさわしいと親徳。

 

智源院。

東庵と将棋を指している元康。

やっと勝ち、5勝98敗の元康。

そこに入ってきた祖母の源応院。

東庵の針で肩が軽くなったと源応院。

駒の灸のおかげやもと東庵。

評判の良いらしい駒の灸。

尾張に戦に行くと元康。

次の家にと部屋を出る駒。

私も失礼しますと元康。

 

元康は先鋒として尾張勢のまっただ中にほうり込まれると源応院。

三河の者は今川に支配され、常に矢面に立たされる、やるせないと源応院。

 

駒と町を歩く元康。

三河を義元に返してもらうまでは戦に出るのも仕方がない、

しかし、時々全てを投げたしたくなると元康。

不思議な丸薬を作る老人が居る、

その丸薬を持っていると戦から生きて帰れると噂になっていると駒。

お守り代わりとしてその丸薬をもらった元康。

 

義元の館。

東庵を呼んだ義元。

元康は三河の棟梁に相応しい器だと思っている、

されど尾張に寝返られては我が身が危うい、

そなたの見立てはどうだと義元。

元康は裏表の無い若者、案ずるには及ばすと東庵。

安堵したと義元。

 

永禄三年五月、二万五千の兵を率いて尾張に進軍した義元。

 

尾張、清須城。

今川軍襲来を前に、議論百出の重臣たち。

その議論を余所に、席を立ってしまう信長。

 

廊下。

旅支度の帰蝶を見て、どこに行くのか尋ねる信長。

熱田の宮までと帰蝶。

お祓いでもしてくるのかと信長。

熱田に元康の母と叔父が居る、殿も一緒に来られたいと帰蝶。

そうか、と生気を取り戻した信長。

誰に知恵を付けられたと信長。

答えぬ帰蝶。

察しはつくがなと信長。

 

越前。

朝倉家の家臣に鉄砲の腕前を披露する光秀。

すっかり感心し、組頭くらいなら取り立てられようと家臣。

 

数日後。

京から来た公家たちと蹴鞠に興ずる義景。

その遊びのために約束を後日に延ばされた光秀。

 

廊下。

何が蹴鞠じゃと腹を立てた光秀。

 

光秀の家。

左馬助相手に、この国に身を委ねようとは思わぬ、

信長は大一番の戦に臨もうとしている、

なのにわしはこの国で何をしていると叫ぶ光秀。

左馬助に尾張までの道案内を命じた光秀。

 

熱田。

信元と於大の方に会っている信長と帰蝶。

このままでは元康と一戦交える事になるが、どう考えているか聞きたいと信長。

元康とは十六年会っていない、もはや母子と呼べるかどうかと於大の方。

わしが元康殿なら十六年会わずとも、名を聞けば胸を刺される、母は母じゃと信長。

こういう話もあろうかと、元康に文を認めて来ましたと於大の方。

この文を元康に渡し、身辺に送り込んである者たちに命じ、

何としても今川から離反するよう説得してみせると信元。

ただし、以後、尾張は三河の国に野心を持たぬ、

三河の事は三河の者に任すと約束して欲しいと信元。

約束しようと信長。

その文を受け取ったのは菊丸。

 

五月十六日、岡崎城に入った義元。

翌十七日、尾張に侵攻した元康。

 

清須城。

元康が大高城を目指しているとの報に接した信長。

元康勢を討つべきとの重臣たちの意見に無言を通す信長。

 

大高城。

無事に入城を果たした元康。

途中奇妙な事があった、織田方の砦の近くを通った時、

気づかれたはずなのに矢の一本も飛んでこなかった、

まるで見て見ぬ振りをされたようなと元康。

そなたたちの動きが素早かったゆえであろうと長照。

 

清須城。

大高城に元康が入ったと聞いた信長。

丸根砦に元康が攻めかかってきてもまともには戦わず、

砦に火を付け兵を引けと命じた信長。

義元は大高城までどの道を行くと聞く信長。

おそらくはこの道をと地図を指し示す政綱。

その途中にあった桶狭間の地名。

 

大高城。

無事元康に会い、於大の方の文を手渡した菊丸。

文に書かれていたのは、戦から身を引け、

母の望みはそなたに会いたい、穏やかに、何事もなくとの事でした。

これが母上のと涙ぐむ元康。

これが三河の者すべての望み、今川ある限り三河に陽はあたらない、

なにとぞ織田に付いて義元を討ち、三河を三河の者に戻してくださいと菊丸。

 

尾張を目指して馬を走らせる光秀と左馬助。

 

「今回は桶狭間の戦い前夜が描かれました。圧倒的軍事力で尾張に攻め込む義元とそれを迎え撃つ信長の策略、それは先鋒の元康を尾張方に取り込む事でした。」

「義元は従来、公家かぶれした弱々しいイメージで描かれる事が多かったですが、今回の義元は駿遠三の大守としての貫禄を持った東海一の弓取りに相応しい人物として描かれています。義元は輿にのっていましたが、これは馬に乗れなかったのではなく、将軍家から輿を使う事を許された家柄である事を示しています。決して軟弱な武将ではなかったのですね。」

「少しおかしいなと感じたのは元康があまりにも若すぎる事で、この時はすでに築山殿という妻を持ち、後の信康という子も居たのに、その影すらなかった事ですね。そのあたりは本筋と関係ないからということで省略したのかしらん。」

「一方、光秀について言えば、明日の米にも困るほど貧乏していたというのはよく知られた話です。事実かどうかは判りませんが、客をもてなす酒肴を整えるため、煕子が髪を切って売ったという逸話が残っていますね。ただ、ドラマの明智家は明るく、あまり貧乏くさくないと思ったのは私だけかしらん。」

「それに何度も尾張に行ったり来たりする路銀はどこから来たのでしょう。このあたりに矛盾を感じましたが、まあドラマだからまあ良いか。」

「光秀が鉄砲に秀でていたというのは明智軍記にあり、朝倉家では鉄砲組の組頭として五百貫の知行を得ていたとあります。これは眉唾ものですが、ドラマではこの軍記の記述を少し拝借したのですね。」

「光秀が元康を動かすべく、帰蝶に知恵を付けたというのは無論創作です。大体、文一本で圧倒的劣勢を覆せるはずもないのですが、藁にもすがるというところかしらん。ドラマで元康が今後どういう行動を取るのか見物ではありますね。」

「ただ、母を思う子の気持ちを誰よりも判っていたのが信長というのは、これまでのドラマの流れから理解できるところかな。信長の悲しい側面を丹念に描いてきたのは、この策略のための伏線だったのかも知れません。」

「次回はいよいよ桶狭間の戦いですね。元康がどう動くのか、信長がどうやって義元を討つのか、前半の山場ですね。さてどんな合戦シーンが見られるのか楽しみです。」

参考文献
「明智光秀・秀満」「明智光秀と本能寺の変」小和田哲男、「図説明智光秀」森祐之、「ここまでわかった 明智光秀の謎」歴史読本、「明智光秀」早島大祐、「本能寺の変」藤田達生、「信長研究の最前線1、2」日本史資料研究会

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