青森沖で地震が発生し、最大震度6強の揺れがありました。今現在の情報では、負傷者30名、火災一件という被害状況と報道されていますが、テレビの情報では至る所で割れたガラスが飛び散り、商店では商品が散乱し、被害を受けた建物も少なくないようです。そして、極寒の中避難を余儀なくされた方たちも大変な思いをされたようです。震度6強なんて経験した事が無いですが、相当に怖かった事でしょうね。ここに改めてお見舞い申し上げます。
また、後発地震が注意情報という耳慣れない警告も出されており、今後同クラスの地震が起きる可能性が相対的に高まっているとか。心配の種は尽きませんが、どうかこれ以上の災害が起きませんように。
前庭の紅葉
この寺の特徴として、方丈を取り囲むようにもみじが植えられており、小さいながら紅葉の名所となっています。この日はこの一本が見頃となっていた他はまだ色付き半ばでした。これは例年の傾向で、庭園のもみじが見頃を過ぎた頃に方丈周りのもみじが見頃になる事が多い様です。両方を一度に見られないのは残念ですが、どちらか片方は見頃な訳ですから、外れる事が少ないとも言えますね。また、紙がまだ基調品だった頃に、その大きな葉が代用品として使われていたという貝多羅樹も必見ですよ。
なお、今年の秋の特別公開は12月15日までです。
令和7年11月25日、大徳寺塔頭の黄梅院を訪れてきました。黄梅院は普段は非公開寺院ですが、秋になると特別公開が行われます。この日は雨模様でしたが、雨の紅葉も綺麗だろうと出かけてきました。連休明けで空いているだろうという見込みもありましたが、拝観開始の10時丁度に訪れたところ一番乗りでした。
紅葉は丁度見頃を迎えたところ、狙い通り雨に濡れたもみじはとても綺麗でした。一部はまだ色付き半ばのもみじもありましたが、これだけ美しい紅葉が見られたのだから、雨を押して出かけてきた甲斐はありました。
黄梅院を訪れるのは三度目、前二回は撮影禁止だったのですが、最近庭園の撮影が解禁されました。大仙院に続き嬉しい事ですね。多分、インバウンドが増えた事による措置でしょうか。おそらくは勝手に撮るインバウンドが続出し、制止するのが困難になったため、いっそ解禁しようという事になったのではないかと推測されます。まあ私の想像ですけどね、化野念仏寺もやはりインバウンドが増えてから西院之河原の中が解禁になっているので、当たらずとも遠からずでしょうか。
黄梅院は永禄5年(1562年)に織田信長が初めて入洛を果たしたとき、父の織田信秀を弔うために信長が建てた寺。最初は小さな庵でしたが、天正十年(1582年)に信長が本能寺の変で急死した際、羽柴秀吉によって密葬が行われて増築されました。秀吉はすぐ後に信長の菩提寺として総見院を開きますが、黄梅院もまた同じ年に本堂、唐門を改築しています。さらに天正十七年(1589年)に小早川隆景の協力を得て、鐘楼、庫裏、客殿等を改築し、「庵」を「院」に改めました。
黄梅院の名は中国の黄梅県破頭山東禅寺に由来しています。本堂前庭の破頭庭という不思議な名もまた、この寺に由来しているのですね。白砂と苔からなるシンプルな庭で、中央億に二本の石が建てられています。文殊菩薩と普賢菩薩を表すとされ、あたかも寄り添っているように斜めに傾いています。これは本堂の釈迦如来の説法を聞いている姿で、聴聞石と呼ぶそうですね。
黄梅院には八つの茶室があり、これはその一つ一枝庵に続く廊下です。その奥には見事に黄葉したもみじがあり、とても風情がありました。この茶室を囲んで千利休が作庭した直中庭があり、破頭庭とは対照的に緑溢れる池泉回遊式庭園になっています。写真は紅葉速報でアップしていますので、よろしければご覧下さい。
令和7年11月21日の廬山寺です。初夏から秋にかけて桔梗が咲く源氏の庭で知られますが、紅葉の名所でもあります。この日は丁度見頃を迎えたところでした。ただ、紅葉には影響がなかった高温・小雨ですが、苔には大きなダメージとなったらしく、生気がおとろえ、一部では枯れていたのが痛々しかったです。
廬山寺の紅葉は、源氏庭の西側にもありますが、多くは屏の外側に植えられたもみじです。庭園を包む様にぐるりと植えられており、背景としてとても美しいですね。庭園の外にあるため苔と白砂で形作られた洲浜の景観を壊す事が無く、よく考えられた配置ですね。
庭園から見える紅葉で一際美しいのが、御黒戸の横にあるもみじですね。御黒戸はかつて歴代天皇の位牌が置かれていたところで、廃仏毀釈の影響で維持管理に支障が生じたため、位牌は今は泉涌寺に移されています。
庭園を出て、御黒戸の裏側に来ました。このもみじの西半分が庭園側に出ているのですね。毎年綺麗に色付くもみじで、裏側も見事です。この木は外れ年になる事はあまり無い様に思います。
この本堂の裏手にあるのが慶光天皇陵。慶光天皇は東山天皇の孫にあたりますが、生前に天皇に在位した事は無く、閑院宮家を継ぎ典仁親王と呼ばれていましたが、後桃園天皇が後継ぎの無いまま崩御されたため、第六子が光格天皇となりました。光格天皇は父の死後、太上天皇の尊号を贈ろうとしたのですが、皇位に就かない私親への尊号宣下は名分を乱すものと時の老中松平定信らが反対したため、断念せざるを得なくなりました。明治に至り、明治天皇から改めて慶光天皇の諡号が贈られたという経緯を持つ人物です。その御陵への参道にももみじがあり、ご覧の様に綺麗に色付いていました。
廬山寺には門が二つありますが、南門を入ったところにももみじと銀杏があり、紅葉と黄葉の両方が楽しめます。銀杏の方が早く色付く傾向がありますが、この日は両方が見頃となっており、とても美しい景観でした。
廬山寺の見頃はこの日の前後、連休明け頃までだったでしょうか。ここは何度かタイミングを外しているので、今年は丁度良い時に来られたのは幸運でした。
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