2024年5月
      1 2 3 4
5 6 7 8 9 10 11
12 13 14 15 16 17 18
19 20 21 22 23 24 25
26 27 28 29 30 31  

最近のトラックバック

無料ブログはココログ

2024年5月20日 (月)

京都・洛北 バラ2024 ~京都府立植物園 5.14~

Kyotofuritusyokubutuen2405201

令和6年5月14日の京都府立植物園です。この日はバラ園が満開・見頃となっていました。

Kyotofuritusyokubutuen2405202

京都府立植物園のバラは約320種、1400株あります。これだけ多品種のバラが見られるのは植物園ならではです。

Kyotofuritusyokubutuen2405203

植物園に来てうらやましいと思うのはつるバラですね。つるバラは半端なく巨大に育つので、生半可な家では育てる事は出来ません。

Kyotofuritusyokubutuen2405205

植物園会館にある展望室から見た景色です。ここは比叡山を背景にした園内を見る事が出来るのですが、一番綺麗なのは一面にバラが咲いた今の季節かな。

Kyotofuritusyokubutuen2405206

見るぶんにはとても綺麗で嬉しいのですが、これだけの数を手入れするのは大変でしょうね。この日も職員の方が痛んだ花を切っておられましたが、当然ながら手作業で、相当な時間が掛かった事でしょう。そうした地道な作業のおかげで、いつも美しい状態を保っていられるのでしょうね。

Kyotofuritusyokubutuen2405207

この日から6日が経ちましたが、まだまだ見頃は続いているでしょう。22日、23日はバラフェアが行われるとのことです。ミニコンサート、スタンプラリー、ワークショップなどが行われるそうですよ。時間が合う方は綺麗なバラを見がてら、出かけてみては如何ですか。

2024年5月19日 (日)

近江八幡の旅 ~八幡山城跡 3.14~

Hachimanyzmajo2405101

この日近江八幡を訪れたきっかけは、続100名城の八幡山城を訪れるためでした。城に行くためにいろいろと調べている内にこの町がとても面白いという事を知り、城下町散策をしてみる事にしたのです。

八幡山城を築いたのは豊臣秀次、秀吉の甥にあたる人物ですね。子の無かった秀吉は秀次を跡継ぎと決め、関白職を譲って伏見城に隠居しました。しかし、実子の秀頼が生まれると秀次との関係が微妙になり、ついには謀叛の疑いをかけて高野山に追いやって、切腹へと追い込んだのでした。秀次にはその死後、殺生関白の汚名が着せられ、様々な悪評が流布されました。このため世間では秀次を無能で残虐な人物とみなす様になったのですが、実際の秀次は悪逆な愚か者ではなく、とても有能な人だった様です。

Hachimanyzmajo2405102

その最たる証拠はこの近江八幡の礎を築いた事で、城を築くと共に山の下に町割りを行って安土から商人を呼び寄せ、八幡堀を掘って水運を整え、楽市楽座によって町の繁栄の基礎を整えました。決して悪逆無能な人物に出来る事では無く、善政を敷いた名君として今でも地元の人に慕われています。

Hachimanyzmajo2405103

八幡山城は1585年に築かれた山城です。すぐ近くには安土城があったのですが、なぜか安土城を修復して使う事をせず、新たに八幡山の上に城を築いたのでした。理由ははっきり判りませんが、一説には信長の天下を奪った秀吉が、信長の威光の象徴であった安土城を消し去ろうとしたのではないかと言われています。

Hachimanyzmajo2405105

八幡山は安土山と違って険しい山で、山上には広いスペースがありません。このため、山上には純粋に軍事的な施設だけが築かれ、御殿など主要な建物は山麓に作られました。屋敷跡からは金箔瓦が出土しており、大坂城などと同じく豊臣政権の城らしい豪華なものであったと考えられています。

八幡山城は1995年に秀次が切腹して亡くなると廃城となり、秀吉によって徹底的に破却されました。聚楽第もそうでしたが、秀吉は秀次が生きていた痕跡を残したくなかった様ですね。現在山上には石垣だけが残り、城に代わって瑞龍寺が建っています。この瑞龍寺は秀吉の姉にして秀次の母である日秀尼が秀次の菩提寺として建てたもので、当初は嵯峨野、後に堀川今出川に移り、昭和36年に現在地に移されました。

Hachimanyzmajo2405106

八幡山城跡には麓からロープウェイが通じています。このためアクセスは極めて容易で、城跡の中は若干の上り下りがありますが、山城としては最も楽に登城出来る城の一つではないでしょうか。このロープウェイは近江鉄道が運営していますが、元はと言えば安土城跡に設置される予定のものでした。昭和33年に西武グループの堤康次郎氏が安土城の再建と周囲のリゾート地化を計画したのですが、安土城跡が史跡として指定されていたために国からの許可が下りずに頓挫、余ったロープウェイを八幡山に持ってきて設置し、現在に至っているのです。

Hachimanyzmajo2405107

まあ、城跡の保全という意味ではどうかとは思いますが、おかげでこの景色を手軽に楽しむ事が出来ます。現在では恋人の聖地とも言われ、結構賑わっている様ですね。実際、この日も平日でしたが上りのロープウェイは満員、下りたときも結構な人が乗り場で待っていました。そのうち半分以上がインバウンドの方だったのには少し驚きましたけどね。

八幡山城跡には石垣が良好に残っており、城好きの人も楽しめると思います。何より近江平野や比良山系を望む展望が素晴らしい。是非晴れた日を狙って登ってみて下さい。町巡りと絡めたら一日十分に楽しむ事が出来ますよ。

2024年5月18日 (土)

近江八幡の旅 ~八幡堀 3.14~

Hachimanbori2405081

近江八幡で一番有名なのは八幡堀のこの景色でしょうか。八幡堀は八幡山城を守る堀であると共に琵琶湖と繋ぐ事で運河としての機能を持ち、この町が水運の拠点となる事に大いに寄与しました。その後ここが近江商人発祥の地となった原動力と言っても良いのでしょう。

Hachimanbori2405082

この美しい八幡堀ですが、水運が廃れた高度成長期には見捨てられた存在になり、汚水が流れ込み、不法投棄が相次ぐドブ川になっていたそうです。昭和40年代には工場誘致を含めた区画整理事業が立案され、この堀も無用の長物として埋め立てられる事になりました。しかし、昭和47年に地元の青年会議所が故郷の原点を守ろうと立ち上がり、保存運動が始まったのだそうです。

Hachimanbori2405083

最初は顧みる人も無く青年会議所だけが地道な活動をしていたのですが、次第に市民の間に地元を守ろうという空気が生まれて運動が広まり、昭和50年9月に至って遂に市を動かす事に成功し、埋め立て計画は中止になったのでした。そして更に県を巻き込んだ事業に発展し、ヘドロの浚渫、石垣の補修が行われ、往時の姿を取り戻す事が出来たとの事です。

Hachimanbori2405085

今やこの素晴らしい景観は地元の方のみならず、ここを訪れる人にとって掛け替えのないものとなっています。よくぞ保存をして頂いたと感謝の言葉しかないですね。

Hachimanbori2405086

これはかわらミュージアム。その名の通り瓦の博物館です。時間の関係で中には入らなかったのですが、とても風情のある博物館ですね。丁度芽吹きだしたしだれ柳の新緑が白壁に映えて綺麗でした。

Hachimanbori2405087

堀のほとりには桜が沢山植わっていました。花の時期に来たらさぞかし綺麗だった事でしょうね。混雑を避けるため、あえて桜の季節を外したのですが、花の無い枝を眺めながらちょっぴり後悔しました。でも狙い通りゆっくりと散策出来たので良しとします。

2024年5月17日 (金)

近江八幡の旅 ~日牟禮八幡宮 3.14~

Himurahachimangu2405121

近江八幡の中心になっているのが日牟禮八幡宮です。伝記に依れば131年に成務天皇の命によって創建されたという大変古い由緒を持ちます。さらに275年にこの地に行幸された神武天皇が二つの日輪を見るという奇瑞があったため、社を建てて日群之八幡宮と名付けられました。

Himurahachimangu2405122

元はこの地はこの神社にちなんで単に八幡と呼ばれていましたが、昭和29年の市政施行の時に福岡の八幡市との混同を避けるために近江の字を付け、現在の近江八幡市となったという経緯があります。もっとも、市政施行以前から近江八幡という呼称はあり、駅名などに既に使用されていたことから市の名前としたという説もありますね。

Himurahachimangu2405123

991年には一条天皇の勅願により八幡山の上に宇佐八幡宮を勧請して上の社とし、山麓に遙拝所を作り下の社としました。その後、八幡山城の築城に伴い上の社は日杉山に移転される事となったのですが、城主であった豊臣秀次の自害によって計画は頓挫し、下の社だけが残り現在に至っています。

Himurahachimangu2405125

本殿の横にあるのが鏡池。虚偽の心で水面に顔を映すと池に没するという言い伝えがあります。もっとも、水が濁っているので、のぞき込んでも顔が写るという事は無いのですけどね。昔は鏡のように澄んでいたのかな。

Himurahachimangu2405126

鏡池の後ろには鏡岩という大岩が聳えています。神座を守る岩とされる、迫力満点の岩です。ここで参拝を済ませた後は八幡堀周辺を散策する事とします。

2024年5月16日 (木)

近江八幡の旅2024 ~近江商人の家並みとヴォーリーズの足跡 3.14~

Ohmisyounin2405111

令和6年3月14日、近江八幡市に日帰りで旅行してきました。桜の記事を優先していたので今になってしまいましたが、素敵な街だったのでお届けする事とします。

Ohmisyounin2405112

近江八幡は滋賀県の東部、草津市の北、彦根市の南に位置する町です。近江商人発祥の地として知られ、今でも商人達が形作った町並みがそのま残っています。美しい塀と見越しの松に低い町並み、まるで江戸時代にタイムスリップした様な素敵な景色です。

Ohmisyounin2405113

近江八幡市はこの旧市街とJRの駅が離れており、近代的な街が駅周辺で発達した一方、旧市街地は無秩序な開発からは免れたのですね。高度経済成長期には取り残された感があったでしょうけど、今となっては貴重な財産となっています。

Ohmisyounin2405115

現在は国の重要伝統的建物保続地域に指定されており、町並みを損なう店も見当たりません。早朝という事もあってか人通りはほぼ無く、散策路としては言うこと無しです。このまま観光公害に犯されること無く、いつまでも保存しておいて欲しい町並みです。

Ohmisyounin2405117

近江八幡には古い町並みが残っていると共に、建築家として知らせるウイリアム・メレル・ヴォーリズの足跡がそこかしこに残っています。たとえばここはその一つヴォーリズの家であった洋館で、今は記念館として公開されています。残念ながら予約制であったため入る事は出来ませんでしたが、有名な人の住居にしてはこぢんまりしているなという印象でした。元は幼稚園職員のための寄宿舎で、後にヴォーリズ夫妻が移り住み、夫人のための和室を増築した和洋折衷の建物だそうです。

Ohmisyounin2405118

ヴォーリズは建築家のほか実業家、教育家としての顔を持つという多彩な才能の持ち主でした。彼の銅像は八幡堀の南端の広場に建てられており、その優しげな姿はヴォーリズの人柄を現している様でした。

Ohmisyounin24051110

その銅像の背後にはヴォーリズが手がけた近江兄弟社の社屋があります。近江兄弟社と言えばメンソレータムが有名でしたが、1974年に経営が破綻し、メンソレータムの販売権をロート製薬に譲ります。その後自主再建に着手しメンソレータムの販売権を取り戻そうとしますが、アメリカのメンソレータム社が拒否、諦めきれなかった近江兄弟社は成分がほぼ同じ商品をメンタームと名前を変えて販売し、現在に至ります。

Ohmisyounin24051111

社屋の一階は資料館となっており、誰でも無料で自由に入れます。ここではヴォーリズの足跡や近江兄弟社の歩みを知る事が出来ます。数々のヴォーリズ建築の写真やメンタームからの派生品の数々を見る事が出来、なかなか興味深かったですよ。

入り口には滋賀県が発祥とされる飛び出し坊やがあり、メターム版になっていたのが面白かったです。

2024年5月15日 (水)

京都・洛東 青紅葉2024 ~真如堂 5.9~

Sinnyodou2405151

黒谷から真如堂に来ました。ここも桜時分以来、境内はすっかり様変わりして真新しい緑で包まれていました。

Sinnyodou2405152

このもみじは姿が良くて絵になりますね。紅葉の時は微妙で縮れてしまう事が多い木ですが、青紅葉の今はご覧のようにとても綺麗です。

Sinnyodou2405153

真如堂の定番構図の一つです。紅葉の時は花の木、もみじ、銀杏と色とりどりですが、今の季節は緑色、それでも木によって微妙に色合いが違うのが面白いです。

Sinnyodou2405155

ここ真如堂も空いていましたね。カメラを持った人が二,三人居た程度だったかな。菩提樹は花芽が出来ていましたが、この花が咲くのは半月程先、その頃には結構賑わう事でしょうね。

Sinnyodou2405156

吉祥院前の大ツツジです。5月4日で五分咲きとの事だったので期待していたのですが、残念ながら盛りは過ぎていました。ちょっと進行が早すぎる気がしますが、仕方が無いですね。今年は桜の後半からこんな感じが多いので、訪れるタイミングが難しいです。次にここに来るのは菩提樹が咲く頃、その時分には紫陽花も綺麗になっていると思うのですが、上手く行くかな。

2024年5月14日 (火)

京都・洛東 青紅葉2024 ~黒谷 5.9~

Kurodani2405151

平安神宮から黒谷に来ました。桜を見に来て以来ですが、境内はすっかり様変わりし、赤や緑のもみじが美しく彩っていました。

Kurodani2405152

桜の頃はここも沢山のカメラマンが来ていましたが、青紅葉を撮りに来る人はほとんど居ないですね。桜は時期が限られるけど、青紅葉はいつでも撮れるという事でしょうか。

Kurodani2405153

でも青紅葉も本当に美しい時期というのは限られています。時間が経つと色が濃くなり、新鮮味がなくなってしまいまいからね。

Kurodani2405155

この日はまだとても綺麗な状態でした。日が当たり、青空を背景にして見た緑は、はっとするほど美しかったです。

Kurodani2405156

そして黒谷で外せないのが、塔頭の栄摂院です。紅葉が素晴らしいもみじは、青紅葉もまた見応えがありますね。ここには平安神宮と同じくさつきの盛りの時に来るつもりです。上手くタイミングが合えば良いのですけどね。

2024年5月13日 (月)

京都・洛東 カキツバタ2024 ~平安神宮 5.9~

Heianjingu2405131

令和6年5月9日の平安神宮です。この日はカキツバタが終盤を迎えていました。

Heianjingu2405132

もう少し咲いているかなと思っていたのですが、既に三番花になっている株が多かったです。平安神宮のはんなり便りでは4月26日に咲き始めたとあったので、連休の前半あたりが見頃だったのかな。少しのんびりし過ぎた様です。

Heianjingu2405133

ただ、花穂が見えなかった株も多かったので、今年は花そのものが少なかったのかも知れません。この日一度見ただけなので、何とも言えませんけどね。

Heianjingu2405135

折鶴は咲き出すのが遅かったらしく、まだ二番花が咲いていました。綺麗な花なのですが、花殻が付いたままなのは気になりますね。

Heianjingu2405136

この日はなぜか神苑はガラガラでした。仁王門前には沢山人が居たのですけどね、神苑に入る人はごくわずかだった様です。泰平閣に全く人が居ないなんて、雪の日に来て以来じゃないかしらん。桜時分とは大違いですね。次はさつきが満開になる頃に来るつもりです。今年の花暦はいつにも増して良く判らないので、情報はちゃんとキャッチする様にしなければね。

2024年5月12日 (日)

京都・洛北 日本仏教の母山2024 ~比叡山延暦寺 5.5~

Enryakuji2405101

ガーデンミュージアム比叡の次は延暦寺に来ました。ここは仏教の聖地、いつ来ても厳粛な空気が漂い、背筋が伸びる場所です。

Enryakuji2405102

ここで必ず行うのが平和の鐘を撞く事。最近はもっぱら息子の役目になっていますが、ずっと50円だったのが100円になっており、ちょっと慌てる事になってしまいました。手持ちの小銭に50円玉しかなく、100円玉が無かったのですよね。

Enryakuji2405103

延暦寺に来て最初にお参りするのが大講堂。僧侶が修行、学問を行う場です。その象徴がここで5年に一度行われる法華大会広学堅義という問答です。普段の修学の成果を幹部の僧侶が修行僧に問いかけるのですが、これがとても現代で行われているとは思えない、平安時代さながらの進行で展開されるのだそうですね。司馬遼太郎さんが書かれた「街道を行く」でその様子が活写されているのですが、千年前にタイムスリップした様でなんとも興味深いものです。一度その様子を見てみたいと思うのですが、天台宗の秘儀であり、一般人が興味本位で立ち会いが許されるはずも無く、大講堂を眺めながら司馬さんの作品を読み、想像をたくましくするしか方法は無いでしょう。

もう一つ、このお堂に入って圧倒されるのは、日本仏教界を代表する巨人たち、法然、親鸞、栄西、道元、日蓮、一遍など錚々たる人物の木像が並んでいる事です。このうちどの一人を取っても分厚い思想史が書けるくらい歴史の中に大きな足跡を残していますが、これら全ての人たちが延暦寺で修行を行っているのですね。今も日本に残る主な宗教が、ことごとくここから派生しているという事実から、比叡山は日本仏教の母山と呼ばれています。

Enryakuji2405105

延暦寺の総本堂にあたるのが根本中堂、現在全面的な改修作業中です。予定では10年、今年で8年目ですから、完成までには後2年ですね。改修は相当程度進んでおり、いま入り口から入るといきなり外陣の中央、ご本尊の正面に出ます。それ以外の部分は作業中と言う訳で、8割程度は手が付けられているのでしょう。作業の進捗が見学出来るステージからは本堂と回廊の屋根の現状が見られるのですが、共に葺き替えは終わっている様に見えました。特に本堂の屋根の銅板葺きはまさに銅色で、緑青色だった改修前と全く違っており、これが本来の色だったのかと興味深かったです。これから本堂の中心部に取りかかるのでしょうけど、拝観はどうするのでしょうね。さすがに中止にしないと無理ではないかと思うのですが、さてどんな方法を採るのでしょう。二年後に完成した姿を見に来るのが楽しみです。

Enryakuji2405106  

根本中堂の拝観が終わったら、以前なら息子と連れだって西塔まで歩いたのですが、足腰の弱った今は途中の石段がきつく、息子のペースについて行けなくなったので止めておきました。昔は幼かった息子の手を引いて行ったのですけどね、今は立場が逆転してしまっています。頼もしくなったと思う反面、自分が情けないという気持ちもあり、複雑な気分ですね。

Enryakuji2405107

西塔の代わりに訪れたのが阿弥陀堂と法華総寺院東堂です。右の阿弥陀堂は阿弥陀如来をお祀りするお堂で、壇信徒の先祖の回向・供養を行う道場です。一般の人でも回向・供養はしてくれるのだとか。ここの阿弥陀様は丈六の大きなもので、迫力がありますね。

一方、法華総寺院東堂は伝教大師が日本に六つの宝塔を建設し、日本を護るという計画を立てられたのですが、その中心となるのがこの塔です。信長の焼き討ちの時に焼失し、長く放置されていましたが、昭和55年に再建されました。二重の塔ですが、多宝塔とはまた違う形をしており、他ではあまり見ない形式の塔ですね。

Enryakuji2405108

東堂に行く途中に聳えているのが戒壇院。正式な僧侶の資格を与える大事な儀式の場で、僧侶でも授戒の時に一度だけ入れるという特別な場所なのだそうです。延暦寺の創建当初はこの戒壇院が無く、せっかく修行を終えても僧侶の資格を得るには南都に行くしかなかったため、戒壇院を持つのは伝教大師の悲願でした。そして何度も朝廷に掛け合い、ようやく許しを得たのですが、戒壇院が出来る前に伝教大師はお亡くなりになりました。さぞ無念だったのか、それとも許しを得た事で安心されたのか、どちらだったのでしょうね。

道沿いの高台にぽつんと建っているからか訪れる人は少なく、外人さんだけが来ていましたが、どういう意味を持つ施設か判っていたのかな。外国のガイドブックにどう書かれているのか聞いてみたいですね。

2024年5月11日 (土)

京都・洛北 天空の花園2024 ~ガーデンミュージアム比叡 5.5~

Gardenmusiamhiei2405081

令和6年5月5日、初夏を迎えた比叡山に登ってきました。まず訪れたのがガーデンミュージアム比叡。848mの天空に整備された花園です。

Gardenmusiamhiei2405082

ガーデンミュージアム比叡が開園したのは2001年の事。それ以前ここには比叡山頂遊園地がありました。比叡山は霊峰とされますが、昭和の時代には山頂までドライブウェイやケーブルカーが整備され、遊園地に隣接してスキー場まであるという一大レジャーセンターでした。夏場には遊園地でお化け屋敷が設置され、スキー場ではコンサートが開かれるなど、今では考えられないほど若者や家族連れで賑わう場所でした。

Gardenmusiamhiei2405083

比叡山が一番賑わっていたのは昭和40年代から50年代にかけてでした。私も子供の頃良く連れていって貰いましたね。特にお化け屋敷は一種の風物詩で、大抵の京都の子供は訪れていたかな。陰りが見え始めたのは昭和の終わり頃からで、平成に入ると遊園地はすっかり寂れてしまいました。アトラクションも更新されなくなり、入園者も激減していましたが、小さな子供を遊ばせるにはぴったりで、息子を連れて良く行きましたね。

Gardenmusiamhiei2405085

これだけ寂れていつまで保つかなと思っていたのですが、2000年に入るととうとう閉園されてしまいました。その後、多数の重機が入って大々的に工事が行われ、何が出来るのだろうと思っていたのですが、翌年に完成したのがガーデンミュージアム比叡です。モネの庭をコンセプトにした庭園で、印象派の画家の45点の陶板画を設置した美術館でもあります。

Gardenmusiamhiei2405086

開園した当初は結構な人気で、カフェやショップはいつも混んでいました。昼食はどうしようというのが悩みの種でしたからね。でもここ数年は入園者が減っている感じです。この日も連休中にも係わらず、とても空いていました。ロープウェイは満員だったのですが、ここに入ったのは我が家だけでしたからね。1200円と入園料が高い事も影響しているのかも知れません。でも澄んだ空気の中に緑と花が溢れていて、私的にはお気に入りの場所です。年に一回ですが、独立した息子達も一緒に来てくれますしね。5月の空の下、のんびりとした時間を楽しんだ一時でした。

«京都・洛東 青紅葉2024 ~粟田神社 5.2~